Day20. 入道雲

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Day20. 入道雲

 あまりにも暑いので、公園のベンチに座ってひと休みをしていた時のことだ。 「もし、よろしいですか」  ハンカチがしっとりと濡れているのを嫌に思いながら汗を拭いていた私に、それは話しかけてきたのである。木陰で見上げたその人は木陰に埋もれるような色味をしていた。日の強い日は影がことさらに濃くなる。彼の白黒の着物は木陰よりも黒かった。 「お坊さんですか」 「見ての通り」  言い、彼は毛のない頭をそろりと撫でた。細身の男である。さして特徴のない痩せた面持ちは坊主という生業の清貧さを表しているかのようだった。しかし、この暑い日に黒の着物とは。見ているだけで熱が伝播してきそうである。しかし彼はというと涼しい顔をして私の前に立っているのだった。悟りを開くと暑さまでもが平気になるのだろうか。そんな馬鹿らしいことを思う。 「一つ、お伺いしたいのです」 「はあ」 「ここらで雨が降ったのはいつですかね」  奇妙なことを聞いてくるものだ。 「ここ数日降ってないですよ。日照りというやつです」 「ほうほう」 「電力不足だけじゃなく最近は水不足がどうとかとも聞くし、野菜も値上がりするし、大変ですよ。早く降って欲しいものだ」 「そうですな」  坊主はにこりと笑った。奇妙な奴だなと私は顎下の汗を拭いながら思った。 「教えていただきありがとうございます。お礼代わりに一つお伝えいたしましょう。夏の雨は、地表から生まれるのですよ」 「はい?」 「地表の高温の空気と上空の低温の空気の温度差により、地表から湿った空気が上空に上がることで、雲ができ雨が降るのです」  言い、坊主は地平を指差した。そしてそれを、ゆっくりと空へ動かしていく。  坊主の指先が天へと昇る。  真上を指差したところで坊主は手を下ろした。そして、何を言えば良いのかわからないでいる私へと両手を合わせて頭を下げてくる。 「それでは、これにて」  顔を上げた後、坊主はすたすたと去っていった。呼び止める気も起きず呼び止める言葉も思いつかないほどの素早さだった。呆然と私はその背中を見送った。何とも奇妙な坊主であった。あまりの奇妙さに、私はしばらくベンチで座り続けていた。  ――気付けば、時が経っていた。  夕方である。さすがに休みすぎたなと私は立ち上がった。そして何気なく空を見上げた。  雲があった。  白を知らぬかのように晴れ渡り続けていた青の空に白の雲があった。地平の先、遠くから巻き立つようにもくもくと、それは空へ伸び上がっていた。まるでこちらへ顔を覗き込ませてきたかのようなそのこんもりとしたてっぺんは、坊主の頭によく似ている。 「……あ」  私は思わずそれを指差した。そして改めて、地平近くの暗い灰色の雲の端へと指を差し、徐々に指を上げていき、最後は白の輪郭の鮮やかなてっぺんを指差した。  ――夏の雨は地表から生まれるらしい。  私は急ぎ足で公園を出た。入道雲は夕立を連れてくる。ぼうっとしていたら大雨に降られそうだ。 「雨が欲しいとは言ったが、急にどっかり降られても迷惑なんだよなあ」  私の呟きがあの坊主に届いたかどうかは、わからない。 ----- 20220721
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