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Day23. ひまわり
「世界で最も美しい螺旋を知ってるか?」
彼の質問はいつも唐突だ。私は呆れ返ったふりをして、その実少しばかりの興味を持って、彼へと首を傾げてみせた。
「それは謎解きかい? それとも、純粋な知識の話かい?」
「どちらかといえば後者だ。しかし『世界で最も』などという言葉が許されるのなら、それは謎解きでもあるのかもしれないね」
「これはまた難解なことを言う」
私は彼の学生帽の下の顔を覗き見た。私より幾分か背の低い彼は学校からの帰り道に私と並んで歩くとどうにも年下に見られるらしく、行き違う人に「弟さんと帰宅かい、仲良しだねえ」と言われてしまう。私はそれがどうにも居心地悪く感ぜられてならなかったのだが、彼はというとさして気にもせずに螺旋の話を唐突に始めるのだった。
「螺旋、螺旋か。カタツムリの殻なんかはどうだろうか」
「悪くない」
「ほう?」
「というのも、自然界にはとある数列が存在する。カタツムリの殻もそれによるものなのだよ」
「これまた難しい話が始まった」
彼は田んぼの畦道を行きながら朗々と数字を並べ立てた。聞けばそれは有名な数字の並びらしく、隣り合った数字を足した数字はその次の数字と等しくなり、隣り合う数字の比率は常に一定なのであるという。私にはさっぱり訳のわからぬ話である。
「なるほど」
何もわかっていないという意味で言ってみる。これが私の弟であるわけがないので、私は彼の背の低さが、もしくは自分の背の高さが恨めしくて仕方がない。私が彼より背が低かったなら私は堂々と胸を張って兄上の隣を歩くだろう。
「これもだ」
言い、彼は道端を指差した。そこには大きな背丈の植物がにょきにょきと数本生えていた。頭のてっぺんには茎で支え切れようもないほどの大きな花が咲いている。鮮やかな黄色は晴れた青の空によく映えた。
「ひまわりか」
「これの花がその数列、つまり『世界一美しい螺旋』なのだよ」
「花が数列?」
「ひまわりという花は実のところ、幾つもの小さな花が集まってできている。その花びら一つ一つが花であり、その集まり方が例の螺旋なのだよ」
「ははあ」
「中心から、こう、ぐるりとね」
彼はそれを指差した指先で、そのまま宙に渦巻きを描いた。内側から外側へ、徐々に半径を増していく渦巻きである。
「だからこの花は『世界で最も美しい』のだ」
彼は淡々とした、けれど明るい声で言う。
「世界で最も、などという言葉が世界共通だとは思えない。美しさの基準は国それぞれであり人それぞれだからだ。けれど、この花は世界共通の基準によりその評価が許されている。だから僕はこの花がいっとう好きだ。この花は確かに、世界の誰もが美しいと指を差せる花なのだから」
ブーン、と遠くから駆動音が聞こえてくる。空の向こうを飛ぶそれは我が国のものではない。私達が幼い頃から聞こえてきているもので、たびたび遠くの地平が赤く燃えるのを見るのだった。ここだけではない、他の土地もそうだ。そして敵国の土地も我が国の爆撃機によってあのように燃えているのだと思えば、あの炎は勇気にすらなり得る。
「ひまわりの花の美しさは世界の誰もが認めるというのに、世界は未だ敵対し続けている」
「我が国日本を認めぬ他国が悪いのだ。これは我が国の強きなるを主張し守るための戦い、先生も皆そう言っている」
「ひまわりの花は一つの枠の中に美しく並ぶというのに、その美しさを知る我々はひと枠に美しく並ぶことができない」
「それ以上言うのはいくら君とて許されないぞ」
「わかっているさ」
彼は学生帽の下で笑ったようだった。
「君にしか言わないよ。僕の隣にいるのが君だからこの話をしたんだ」
――蝉と戦闘機が耳障りな、夏の日のことだった。
あの日のひまわりは、私達が随分と老いた後も、あの畦道の横で毎年美しい花を咲かせている。
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20220724
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