Day28. しゅわしゅわ

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Day28. しゅわしゅわ

 覚えている物語がある。幼少の頃、確か小学校低学年の時に読んだ子供向けの話である。夏休みのある日、おばあちゃんの家に遊びに行った女の子(もしくは男の子)がそこで男の子(もしくは女の子)と出会う――そんなストーリーだったようなそうではなかったような。さして長くはない、けれど小学校低学年の教科書に載せるにしては長い話であった。実のところあまり詳細には覚えておらず、その本が表紙の厚い児童書だったか文庫本だったかすら覚えていない。挿絵はあった気がするが、アニメめいた明瞭なキャラクターではなく水彩画のように淡い白黒のイラストだったような気がしている。何もかもが曖昧だが、そこにあった飲み物の描写だけはどうにも忘れられないのだ。  それはおばあちゃんに作ってもらった飲み物だった。サイダーにレモンを搾り、ハチミツを加えるのである。名称はなく、サイダーの泡立ちとレモンの酸っぱさ、そしてハチミツの甘さの味わいがまるで私の舌にそれを乗せたかのように明確で、読みながら飲んでもいない炭酸の痛みに口をすぼめていた覚えがある。  我が家は砂糖の塊である炭酸飲料は滅多に購入しない。レモンなどスーパーでしか見たことがない。ハチミツも然り。全てが憧れであった。  大学生になり、一人暮らしを始めた私はとうとうその飲み物を自作してみた。未だ数度しか飲んだことのないサイダー、初めて買うレモン、これまた初めて買うハチミツ。普段作らない氷も作ってみた。結果はというと、ハチミツがサイダーに溶けずそこに溜まってしまったので実質レモン味のサイダーであった。けれど微かにハチミツの甘みがあり、市販のレモンではない瑞々しくも苦いレモンの味があり、ぱちぱちと遠慮なく口内を刺激する炭酸の痛みがある。あの忘れてしまった物語の、子供向けに書かれた文章、そのままの味がそこにあった。文章とはこれほど正確に感覚を伝えられるものなのかと驚愕したものである。  私は幾度かその飲み物を作った。毎度ハチミツは溶け残ってしまったが、最近知ったところハチミツはあらかじめお湯で溶かすと良いらしい。レモン汁と混ぜてからサイダーに入れるレシピも多い。しかしあの話の中ではレモンを搾ったサイダーの中にハチミツを垂らしていたはずなので、私はハチミツの固まるこの飲み物の方が正しいと信じている。  なお、この話のタイトルを知りたくてネットで幾度か検索をしたけれど、出てくるのはいつもハチミツレモンソーダなどというまるで昔からよくあると言わんばかりに有名な飲み物のレシピばかりであった。なんと、あの飲み物はあの物語だけのものではなかったらしい。思い出の田舎の味が大手量販店に大量生産されたかのような、一方的な悔しさで口をすぼめたのは言うまでもない。 ----- 20220728
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