Day9. 団扇

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Day9. 団扇

「暑いですねえ」  と猫がうだるので、 「そうですねえ」  と返した。  猫はごろんと畳の上で寝返りを打つ。冬の間は黒猫だったくせに、今はまだらの三毛猫だ。長いしっぽでたしんたしんたしんと暇そうに畳を叩くその姿は紛れもなく怠惰である。 「いや、暑すぎない? 何これ。新たな季節でも増えました? 屋根の上然り、塀の上も歩けたもんじゃないですよ。焼けます。丸焼きになります。猫の丸焼き、いかがですか」 「要りません」 「つれませんねえ」  ごてん、と猫が再び寝返りを打つ。寝返りを打とうと手足を一瞬ばたつかせるのが、まるで夢の中で犬かきをしている時のようで面白い。ぱたぱたと手元にあったうちわで仰いでやれば、「ぐふ」と満足げな声を上げて四肢を四方に放り出し腹を見せてくる。 「あーそれそれ、良いですね。……もうちょい上、いや右……あーそこですそこです。あー」  鼻先の毛が風に吹かれて逆立つ。気持ち良さげに目を閉じ耳とひげをひこひこと動かす猫の表情は、招き猫そっくりの満面の笑みである。 「良いですねえ、夏」 「そうですかね」 「良いものです。どれだけ暑くなろうと、夏の人間はわたしを猫可愛がりしてくれます」 「さいですか」  じわりと額に汗が浮き出るようになったので、猫へと扇いでいたうちわを自分へと向けた。途端、猫が「あっ」と物欲しげにこちらを見上げてくる。その後、不貞腐れたようにうつ伏せになって、すっくと立ち上がった。後ろ足を畳んで座り、前足二本で自分の顔を撫でる。 「しっかし暑いですねえ。水浴びてきます」 「猫なのに?」 「猫でも、ですよ」  言い、猫は縁側へと向かって歩き出した。波打つようにしっぽが揺れる。まるでグラフだな、なんて思う。サインとコサイン。螺旋のように交差しては離れ、交差する動き。  二本のしっぽをくねりくねりと交互に動かしながら、猫は外へと出ていった。 「……あっつ」  そしてすぐに戻ってきた。 ----- 20220709
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