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私は温室に入ると、奥の方にある大きな作業机まで向かった。足元にも作業机にも、所狭しと、でもちゃんと育つ程度には間を取って植木鉢が並んでいる。
大きな作業机にひとつだけある椅子に立ち、机の上の奥にあるスイカズラの蔓で編まれた籠を引き寄せる。そしてその籠を手に持つと、温室の入り口まで行き、茎の浸かった水入りのバケツごと、未完成の傘を手に取った。
これは、私がおばあちゃんに仕事を任されるようになってから、初めて作った傘だ。今の時期にしか取れない花で作っているもの。
おばあちゃんが私に仕事を任せるようになったのは、小学一年生の頃からだ。最初はおばあちゃんの仕事を手伝ったり見ていたりするだけだったが、段々やれることが増えるうちに、おばあちゃんは多くのことを私に委託した。そして去年の夏、おばあちゃんは私に言ったのだ。
「もう、美琴ちゃんは一人で作れるよお。来年から、作ってごらん」
そう言われてから、私はずっと、次の年に作る傘に思いを馳せていた。毎日庭に行っては花を選び、だけどなかなか決まらなくて悩んだ。
でも、去年の冬に見つけたこの花こそが、私が作るべき傘に相応しい花なのだと思う。だから、この花で作ったことに後悔はしていない。
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「美琴ちゃん、不思議な子だねえ」
おばあちゃんはいつの日か、私にそう言った。
それは、ある雨の日に、二人で雨の音を聞こうとベランダに出た時のことだった。おばあちゃんはベランダの屋根の中にある椅子に腰かけ、私はその脇に立って、二人で雨音を聞いていた。
耳を澄ましてごらん、というおばあちゃんの言葉に従い、私は耳をそばだてた。
最初のうち、私の耳には普通の雨音が聞こえていた。でも、それに混じって別の音が聞こえてきた。
聞き間違いではない。それは、私が手に持っているチューリップから聞こえていた。
「おばあちゃん、チューリップが呼吸をしてる」
不思議な気持ちを抱えきれなくなってそう呟くと、おばあちゃんはまじまじと私の顔を見、それから言ったのだ。不思議な子だねえ。そして、そうかいそうかいと頷いた後、私に教えてくれた。
花から音が聴こえるのは、私にしかない不思議な力であることを。
「時々いるんだよお、そういう人は。何かのきっかけで、人よりも多くの才能を持って生まれてくる。大体、その才の内容は、きっかけに由来することが多い。美琴ちゃんの場合、私やお父さんたちが庭仕事をしていることがきっかけだろうねえ」
私の力の内容はこうだ。
「美琴ちゃんはね、花に触れると、その花に雨が落ちるときの音を聴くことができる才を持ったんだよ。その音はね、花の花言葉によって変わる。今のチューリップなら、甘い音が聴こえる筈さあ」
「なんでわかるの?」
「おばあちゃんのお母さんも、そうだったからねえ」
「えっ」
「もう死んじゃってるけどねえ」
おばあちゃんは、ただ笑うだけだった。
私は目を閉じて、チューリップの音を拾おうと意識を音に集中させる。
「あ」
「聴こえたかい」
それは、甘い恋の音。聴いているだけで少し恥ずかしくなってくるような、でもずっとこの気持ちに浸っていたくなるような、そんな音。
「聴こえたよ!」
「チューリップの花言葉は、真実の愛や、愛の告白さあ。そういう音だったかい」
「うん!」
きっとおばあちゃんは、それを知った日から、自分の仕事を私に託すことを決めたのだと思う。
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