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そしておばあちゃんは、私が傘にする花を決めた小学三年生の冬に、この世を去った。おじいちゃんと同じ、心臓発作が原因だった。
昔のことを思い出して、少し懐かしいような物悲しい気分になりながら、私は温室を出る。そして、温室とは正反対の位置にある花のところまで、またのんびりと歩いていく。この花が咲いているのもあとちょっとだ。早く採ってしまわなければ、春がやってくる。
そうするとこの花は、もうまた来年の冬まで咲かない。
*
「そうだ、美琴、知ってる?」
次の日のことだ。月曜日の朝の、慌ただしい学校の玄関の中、私にそう声を掛けてきたのは結衣だった。
結衣は、幼稚園が一緒という理由で昔から親しくしている私の友人だ。同じ年におねーちゃんがいるというのもあって、おかーさん同士の仲もいい。
結衣はうちの庭を見る度にいつも感服したような声を出し、すごい、と言ってくれる、言わば植物への理解者だった。私のクラスの大半の子は、植物に興味を持ってくれないけれど、結衣は違う。だから、私は結衣のことが大好きだし、おかーさんも「趣味が合う子は大切にしなさい」と言った。彼女は、私にとって、同じ気持ちを分かち合える友達なのだ。
そんな彼女が私に話しかけるのは、そう珍しいことじゃない。だから、私は気負わずに聞き返した。
「何を?」
それを聞くと、結衣は、「あー、やっぱ知らなかったか」と言い、そのあと困ったように頭を搔いた。言葉を選びながら、歯切れ悪く言う。
「あのさ、美琴のお姉ちゃんの、美音さん」
「え」
まったく予想外の名前に、声が喉の奥で固まって出てこない。詳しい内容を聞く前から衝撃を受ける私に、結衣はさらに話しづらそうな顔をする。
「私のお姉ちゃんから聞いたけど、大変なんだってね」
その時、「結衣ー」と彼女を呼ぶ声がした。
「あ、ごめん、もう行かなきゃ。今日、六年生の仕事手伝わなきゃいけなくて。また、帰りに話すね」
「あ、うん……」
そこで、話は打ち切りになった。
私は一人で階段を上がる。窓の外で降る雨が、私の心に泥を作った。
*
静かな田舎道を、私は結衣と並んで歩いた。辺りには人がまばらになり、何もない田んぼの土が寂しそうに風に吹かれている。
結衣が、とても自然に、何気なく切り出した。
「朝のこと、ごめんね、途中になっちゃって」
「あ、いや、全然いいよ。それより、おねーちゃんに何があったか聞かせてくれる?」
「うん」
結衣の方にも、朝のように言い淀む雰囲気はなかった。学校にいる間に、彼女の方でも気持ちの整理ができたのかもしれない。
「あのね、美音さんのクラスに、芦田沙智っていう人いるの、知ってる?」
「あー、その人、なんか名前だけは聞いたことある。あれだよね、不良っぽい人」
「うん、そう。でね、美音さん、その人と一悶着あったらしいよ」
詳細はわからない。でも、なにかがあった。結衣は、そう言って私の顔を覗き込んでくる。私は聞いた。
「つまり、標的にされたってこと?」
「まあ、そういうことだね」
「それ……結構有名な話なの?」
「うーん、今は、まだそんなに広まってないらしいよ」
今は、というその言葉に、目の前に黒い靄がかかったような気分になった。つまり、あともう少しすれば、広く知れ渡ってしまうということだ。
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