チョコがもらえない理由

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 バレンタインデーの翌日、俺の席に暗い顔をした深大寺が来た。 「どうだった」  とお互いの戦果報告をする。小学校時代から続く毎年恒例のセレモニーだ。 「姉ちゃんと母ちゃんと。それだけ」  深大寺が伏目がちに報告した。それを聞いて安堵する。 「俺は妹と母ちゃんだ」 「一緒じゃん」 「去年は母ちゃんだけだったからな。レベルアップはした」 「同じだって」  と深大寺の奴は笑ったが、お前も笑える側の立場じゃないぞと思う。  お互いに、身内以外からチョコレートをもらったことが一度も無い。放課後にぐだぐだと意味なく教室に残りながら、あれ君どうしたの何か用かな、というように女子から突然告白される妄想をするが毎年妄想で終わる。 「妹からもらうっていいなあ」  とこれも毎年同じように深大寺は言う。彼は同じ家の中に「年下の女の子」がいるというシチュエーションが信じられない、と言う。何かあったらおにーちゃん、おにーちゃんって甘えてくるんだろ? と分かったような顔をする。 「よしよし今日はいい子にしてたから、兄ちゃんの分のケーキもあげるからな」 「うん!」 「おいおい、どうした、そんな膝に乗っかってくんなって。いつまでもひかるは子供だな。しょうがないなあ今日だけだぞ」 「うん!」  いやいやいや、やめてくれと思う。 「お前ひょっとして毎日布団の中でそんな妄想してんのか」 「いや、そうじゃないけど……」  妹の甘えんぼキャラなんて、これは人類が作った大いなる歪んだ妄想だ。それを妹がいない奴は分からない。妹のひかるとの間では絶対にそんなシチュエーションはない。 「それよりお姉ちゃんがいる方がやばいけど」  と俺は返した。  深大寺には隣の女子高に通う2つ上の姉のまどかがいる。信じがたいことだが、今でも一緒に風呂に入っていると言う。1か月おきくらいに現状確認をしているので、継続中だと分かっている。  ウチは超古い家だから風呂もボイラー式で、一回沸かしたら冷めるまでに全員入らなきゃいけないのよ。と深大寺は言い訳していた。 「それは単に面倒くさがってるだけだと思うけど」  それはそうなんだけど。最初に親父が入って最後が必ず母ちゃんだから、と深大寺は続ける。  母親が入る時に、ぬるすぎたり汚かったり湯が少なかったりするとめちゃくちゃ叱られる。だから姉と自分は短時間のうちにさっさと一緒に入る。風呂場は狭いので、脱衣所から全て規律に沿った刑務所みたいに、毎回姉の管理下で速やかに行動することになる。  そのシチュエーションを想像すると俺は鼻血が出そうになる。 「ほら何してんのもう、早く脱ぎなさい。早くしないとお母さんに怒られるんだから」 「うるせえな」 「いつまでも子供なんだからもう。今日は私が背中流してあげるからね。いーい?」 「うるせえな」 「ほらこっち来なさいったら」 「うるせえな」  鼻血が出る。おえーと深大寺は言った。絶対ないから、それ。  それはお前もそうだけどな。  この辺までは、おそらく毎年バレンタインデーが終わったらやっているお約束みたいなやり取りだ。  放課後、クラスメートが帰り始めた中で俺は深大寺を席に呼んだ。そして少し声を低くして「あのさ」と言ってから、ずっと前々から考えていたことを深大寺に提案した。 「だったらさ、1回姉ちゃんと妹を交換してみない?」 「ど、どういうこと」  深大寺がリュックを置いてすぐ食いついてくる。俺は説明した。 「1日駅長とかあるだろ。それと一緒で、俺らが1日だけ入れ替わって、1日弟と1日兄をやるんだ」 「それは何のために」  お前の姉ちゃんと風呂に入るため、とはあからさまに言えなかったので、「姉や妹に対する世間の誤った固定観念を打破するための聖戦だ」と力強く俺は言った。 「いいね、それ」  あからさまに喜んで深大寺は同意した。聖戦ではなく、ただのひかる目的だ。分かりやすい。 「じゃあ、いつやる? あ、でも俺今週末は部活でいないからダメだな」  と勝手に話を進めてきた。俺は声を潜めた。 「いきなりやれるわけないじゃんか。馬鹿なのお前」 「いや、乗っただけだって」 「その前に、当然手を回しておかなきゃならない。まずウチのひかるとお前の姉ちゃんに、俺らが1日だけ代わるけどよろしくなって伝える」 「それムズいな。まずその段階で拒否られるよ。俺たちにはメリットあるけど、姉ちゃんたちにメリットがあるようには思えないし」 「別に奴らは利害関係で動くわけじゃないだろ。きょうだいだし。あ、どうも1日よろしくお願いします、でいいだろ。ただ当日いきなりだとビビられるかもしれないから、先に言っておく」 「うまくいくかなあ」  何を想像したか分からないが、深大寺は斜め上を見て顔をわずかにしかめた。 「イケメンの先輩とか、かわいがってる後輩とかだったら喜ぶかもしんないけど。俺らが交代したところで、あんま変わんないっていうか、すげえ引くと思う」  深大寺のその言葉に、俺はひかるが「キモ」と言って部屋に逃げ込むのが想像できる。深大寺に関してはそうだろう。昔からひかるは深大寺のことを「あの人」としか呼ばないから。  だが俺に関しては、まどかも割とその気になるんじゃないだろうか。ほとんど面識はないけど、俺のルックスは弟に比べたら全然イケてると思うし。 「あ、ごめん、今日は弟になったんだよね。緊張しちゃった」 「おす」 「そんな離れて座ってないでもっとこっち来なよ」 「おす」 「ねえねえお姉ちゃん耳掃除してあげよっか。なんちゃって。きゃー照れる」 「おす」 「ち、ちょっと……ボイラー見てくるね」  あ、いいかな、と深大寺が話しかけてくる。心の中で舌打ちする。 「まあ姉ちゃんたちはいいとして、ひとつでっかい問題があるんだけど」 「何だよ」 「いや、1日交代してもさ、親はどうすんの。母ちゃんとか絶対何これって言うと思うんだけど」  それはそうだ。今更ながらに俺もそれは問題だなと気が付く。考えたことがなかった。  自宅に俺じゃなくて、深大寺が普通にただいまーって帰って来る状況を想像する。うちの両親はくそ真面目だから、相当に驚くはずだ。  分かった。俺もちょっと考えてくるわ。と思案の末にそう言った。 「せっかくだからさ、頼むよ」  と深大寺は言った。  何が「せっかく」だ。人のアイディアに乗っかってくるスケベ野郎のくせに。  その件はまた明日話し合おうぜ、とひとまず俺たちは解散した。  翌日の放課後に、またこっそりと深大寺を呼ぶ。一番後ろの窓際でロッカーにもたれながら、俺たちは昨日の続きを話す。その前に、と俺は用意していたスマホ画面を深大寺に見せた。 「スワッピング? なにこれ」  画面を見たままに深大寺が声を上げたので、足を軽く蹴っ飛ばして「声でけえよ」と言う。 「スワッピングってのは夫婦交換ってやつらしい。昨日いろいろ調べた結果、これが一番いいんじゃないかと思って」 「意味が、よく分からないが」 「だから俺たちが交代するのと一緒に、親父たちも入れ替わるんだ。これで解決するだろ。俺たちが交代しても何も言われない」  ずいぶんと長い間深大寺は黙った。理解に苦しむという顔をしていたので、頭悪いなとイライラしていたら、すごい真顔でこちらを見る。 「つまり俺と俺の親父がお前の家に行って、親父はお前の母ちゃんと一緒になるってことなのか」 「まあ、そうだな」 「そうしたらお前の母ちゃんは喜ぶのか」  えらいくそ真面目に言ってくるな。  俺は深大寺が手元でずっと見ていたスマホを奪い取って「つまんねえな」とつぶやく。 「ジョーク。ジョークだって。なに真剣な顔で考えてんだよ。そんなことできる訳ないだろう。たまたまサイトで見つけたんで、ウケるかなと思っただけだ」 「焦らすなよ。マジでやるのかと思った」  本当に安心したみたいに、深大寺は眉を下げて苦笑いする。そしてぼそっと呟くように言った。 「でもさ、一瞬あるな、と思ったんだよね」 「何が」 「いや、うちの親父がお前の家に行くっていうのがさ。妙にリアルで」 「リアルって、なんだそれ」 「いやさ」  急に深大寺が、青春ドラマでBGMがマイナーキーに変わった時みたいに、ロッカーにもたれた両腕に顔をのせて、遠くを見つめる。 「最近、親が仲悪くてよ。なんか親父が浮気してるんじゃないかって、姉ちゃんが言ってて。それで町内会の運動部で、お前の母ちゃんと同じ班だろ。一緒に会合とか出てたじゃん。今ふと思ったんだけど、親父お前の母ちゃんと浮気してんじゃないかって……」 「?」  深大寺が言っている意味が分からない。母親の真面目一直線の顔を思い出す。どう考えても、他所で遊ぶような性格ではない。 「それはないだろ。アホなこと言うなって」 「そうか、良かった。俺、結構アリかなって思っちまった」 「ありえない」  深大寺がそんなくそ真面目な表情で言うから、俺の中でもひょっとしてとか思ってしまうじゃないか。  いや絶対にない。もし母ちゃんにそんな趣味があったとしても、絶対に深大寺の親父ではない。悪いけど、もうちょっとマシなの選ぶな。言わなかったけど。 「それなら安心した」 「うん、しかし、急に話がおかしくなったな。深大寺のせいだからな」 「すまん」 「お前の親父とうちの母ちゃんがくっついたら、俺たち兄弟になるわけじゃん。それは勘弁してほしい」  それは俺も一緒だって、と深大寺も苦笑した。 「姉ちゃんと妹を取り替えるのは、やっぱやめよう。だめだこれは」 「そうだな」  1日でも、ヤツの家の息子になろうなんて考えたのが間違いだった。本当にまどかと姉弟になってしまったら、それはそれで結構面倒くさいなと気がつく。多分深大寺も同じことを考えているのだろう。 「くだんねえこと喋ってないで、帰ろうぜ」  いつの間にか時間が過ぎ去っていたことに、ふと気が付く。あわてて俺たちは話を切り上げた。これもいつものことだ。  放っておくと俺と深大寺は、教室内でいつまでもアホな話を続けてしまう。  毎年俺たちがチョコレートをもらえない理由は、多分こういうところなのだろう。(了)
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