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序章 1
大広間へ続く大扉を開けると、着飾った貴族の大観衆が背を向けて立っていた。彼等の視線は玉座へと続く階段である。
そこには私の婚約者である赤い髪を持つオスカー・オブ・ウィンザード王太子が女性を伴って立っていた。
珍しい水色の髪のその女性は…。
「タ…タバサ・オルフェン…?な、何故彼女がオスカー様の隣に…?」
2人供揃いの衣裳を着て、中睦まじげにピタリと寄り添い、観衆に手を振っている。
誰もが彼等に注目し、私の存在にすら気付いてない。
「一体…今何が起こっているの…?どうしてあの2人が一緒に…?」
そこまで言いかけて私は口を閉ざした。
どうして?
違う…本当は薄々気が付いていた。
オスカーが私を見る目は冷たい視線だった。同じ学院で婚約者同士だったのに、私と彼は殆ど一緒に過ごした事は無かった。何故なら入学してすぐにタバサ・オルフェンがオスカーに纏わりつくようになったからだ。
それはオスカーに限った事では無かった。タバサは私の幼馴染のレイフにも何かと構っていたし、高等部の頃から友人として親しくしていたエルンストやエドワードにも近付き、気が付けばいつしか私は彼等から避けられるようになっていた。
人々の歓声が沸き上がる中、オスカーの父である国王フリードリッヒ3世が現れた。
そして彼は右手をサッとあげると、一斉に歓声はやみ、辺りは水を打ったように静まり返った。
彼は言った。
「皆の者、良く聞けっ!これよりアイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
すると再び大歓声と拍手で大広間は湧いた。あちこちでおめでとうございます!と声が響き渡る。
(陛下…っ!)
私はその言葉に耳を疑った。そんな話は今初めて聞かされた。今日だって城から馬車が迎えに来たので、それに乗って城まで来た。そして、こちらでお待ち下さいと言われて控室に通された…はずだったのに…。
その時―
突然王広間の大扉が激しく開かれ、数名の王宮兵士が飛び込んできた。
(まさかっ?!)
瞬時に嫌な予感がした私は人々に顔を見られないように俯き、目立たない場所へ移動しようとしたその矢先、兵士が叫んだ。
「た…大変でございますっ!」
「何事だっ!このめでたい場でっ!」
陛下は険しい顔で兵士を睨み付けた。
「に…逃げられてしまいましたっ!」
「何っ?!まさか…逃げられただとっ?!」
オスカーは顔を歪めた。
「オスカー様っ!」
タバサは怯えた顔でオスカーにしがみ付く。
「は、はい…申し訳ございませんっ!扉はしっかり施錠致しまたが、部屋のカーテンを割いてロープを作り、窓から脱出を図った模様でございますっ!」
兵士の言葉で、はっきり気付かされた。
(やっぱり私は閉じ込められていたんだ…っ!)
でも何故?どうしてこのような目に遭わなければならないのだろう?初めから私を婚約式に立たせるつもりが無いなら、迎えの馬車などよこさなければすんだ事なのに。
「者どもっ!早く…あの悪女、アイリス・イリヤを探し出してひっ捕らえるのだっ!」
オスカーが信じられない言葉を口にした。
「そ…そんな…オスカー様…」
しかし、幸い人々はまだ私がアイリス・イリヤだと誰一人気付いている素振りは無い。そして壇上の3人も私の事を見つけられないでいる。
逃げるなら今しかないっ!
今は取りあえず逃げて…屋敷へ戻って家族と状況を確認しなければ…。
人々の間をすり抜けて立ち去ろうとした矢先、突然背後から右腕を強くねじり上げられた。
「ああっ!い、痛い…っ!」
あまりの痛みに目じりに涙が滲み、見上げるとそこには私の腕を掴んでいるレイフの姿がそこにあった。
「レ…レイフ…」
その目はゾッとする程冷たかった。とても私を見逃してくれるような目では無い。
そしてレイフは言った。
「陛下っ!オスカー殿下っ!アイリス・イリヤを捕まえましたっ!」
凛と響き渡る声でレイフは叫んだ。
人々は一斉に後ずさり、私とレイフが人々の輪の中心に取り残された。
「アイリス…」
オスカーがゾッとする程冷たい目で私を睨み付け、ゆっくりと階段を降りて来ると、私の正面に立ち塞がった。
「まさか窓から逃げ出すとはな…。しかし愚かな女だ。閉じ込められれば普通はある程度察するんじゃ無いのか?それなのにノコノコとここまでやって来るとはな…」
「オ…オスカー様…?」
私は未だに腕をねじりあげられながらオスカーと、いつの間にか側にいたタバサに気付いた。
彼女は…緑色のダイヤ・ドレスデン・グリーンのネックレスをしていた。
「そ、そのネックレスは…」
私は声を震わせた。あのネックレスはオスカーが婚約の証にと婚約式の日に私にプレゼントしてくれるはずだったのに…!
私の視線に気づいたのか、オスカーが言った。
「アイリス、お前…まさかあのネックレス…自分が貰えるとでも思っていたのか?誰がお前になどやるものか。お前にはせいぜい囚人服がお似合いだ」
「囚人…服…ですって…?」
あまりの言葉に一瞬我が耳を疑ってしまったが、次の瞬間オスカーは言った。
「レイフ。この女を北西の牢屋に連れて行けっ!」
「はい、オスカー様。承知致しました」
2人の会話は完全に私の希望を打ちのめした。そして視線を感じ、ふと見上げるとそこには私を見て口元に笑みを浮かべるタバサの姿だった。
(まさか…全て…タバサの仕業だったの…?)
私がタバサを見つめると、彼女は途端に怯えた顔になってオスカーにしがみついた。
「オスカー様っ!アイリス様が私を睨んできますっ!怖いっ!」
「アイリスッ!貴様…まだそうやってタバサを怖がらせるのかっ?!」
言葉と同時に私の目から火花が飛んだ。頬が熱を持ったように熱くなる。
…叩かれたのだ。
気付けば、ポタリと鼻血が床に垂れていた。
「チッ!」
するとそれを見たオスカーが舌打ちをする。
「神聖な大広間の床を貴様のような悪女の血で汚すとは…おいっ!目障りだっ!すぐに牢屋へ連れて行くんだっ!」
「さあ、来いっ!」
レイフに乱暴に腕を引かれた私はもうすっかり抵抗する気は無くなっていた。
気付けば周りの貴族たちは全員が私を白い目で見て、ひそひそと囁いている。その内容は全て私に対する批判だった。
私は悟った。
ここには私に味方になってくれる者は誰もいない…。
そして私は牢屋に幽閉された。
それは20歳になったばかりの春の出来事だった—。
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