雨の散歩道

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空はどんどんと暗さを増していく。 霧雨から粒も大きくなり、ぼたり、ぼたり、と前髪から大粒の雫が連続して落ちていく。 ざあっと、風に煽られた雨が大きな音を立てるなか、ひと際軽やかなベルの音が道の先から聞こえた。 あんな所に店なんてあっただろうか。 小さな田舎町の中心から東に外れた路地裏に、壁中が蔦植物に覆われたレンガ造りの店が見えた。 重そうな木製のドアが開き、俺と同じ三十代くらいの生成りのエプロン姿の女性が出て来る。 その女性の後に続いて、ひとりの白い顔をした老女が「ありがとうねぇ」と何度も会釈しながら出て来た。 杖をついた老女が路地の向こうに消えていく傘の後ろ姿を「足元、気を付けて」と手を振り、角を曲がるまで見送っていた。 「いらっしゃい」 俺に気付いた女性は、少しだけ広角を上げて「どうぞ」と入り口の脇に立って店へと促す。 腰まで届く黒いポニーテールと、それを束ねた黄色いリボンが印象的なその人は、今度はさっぱりとした口調で「ほら」と店内に目配せした。 ポニーテールの毛先が、さらりと揺れる。 「あ、いや、えっと」 お金、無いんです。 心のなかで呟きながら、ジーパンのポケットに両手を突っ込んだ。 やっぱり無い。唯一出てきたのは、昨日ジュースを買ったお釣りの三十円。 三十円を隠すように再びポケットに両手を突っ込み、来た道へと踵を返した俺の背中に、女性が柔らかな声を掛けた。 「お金はいりませんよ。良かったらどうぞ」 「え……」 すると店内から「チトセさん、これどうするのー?」と、幼い女の子の声が聞こえて来た。 「あ、それ混ぜるのー。待って、今行くから。ほら、私先に入っちゃいますからね」 ひとり取り残され、蔦が這うレンガの店をぐるりと見渡す。 店の前には、雨露を纏った青い紫陽花が咲き乱れ、その葉に埋もれるように立つレトロな朱いポストがある。 「雨の日珈琲店、かたつむり……」 女性が開けっぱなして行った重厚なドアの上に掛けられた、丸いアイアンの看板。 白い文字で書かれた店名の下には、かたつむりが描かれている。 さっき俺をここまで案内してくれたかたつむりは、今はどこを探しても見つからなかった。
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