30人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
介護士として昼夜問わず働いていた俺が、ある日ぷつん、と糸が切れたみたいに仕事が手に付かなくなったのだ。
夜勤に行かなくちゃいけないのに、布団から出られない。
解っているのに動けないジレンマ。
重い体を引きずって何とか仕事はこなしたが、その日を境に煙草を吸う量が馬鹿みたいに増えた。
一日60本は吸うようになり、亜沙美は子供のいる家で吸うなと言う。
当たり前と言えばそうなのだが、当時の俺はその当たり前の指摘ですら、酷くストレスに感じていた。
それから程なくして離婚をした。もちろん俺とあいつの間に、寄りを戻そうなんて考えは毛頭無い。
それでも俺には切っても切れない家族がいる。
【美咲が、夏休みにパパの家に遊びに行きたいって】
八月で五歳になる美咲は、引っ込み思案な女の子だ。家の中でだって我が強い所は見たことが無い。
幼い割に、聞き訳が良くて、優しい子だ。
だが、この家に遊びに来るだって?いや、それは無理だ。
ゴミが散乱する色褪せた六畳を見回す。
どうせ亜沙美が言わせているだけだろう。
夏休みは子供が一日中家にいるという事だ。
離婚した今、亜沙美はひとり、仕事に家事、子育てと奮闘している。
そうは言っても、彼女の母親が住む実家は徒歩10分の距離だし、本人も「お母さんが手伝ってくれるし、今すぐにでも離婚して」と言ったくらいだ。
それでも、たまには親と言う仕事から離れて、羽を伸ばしたいのだろう。
亜沙美からのメッセージに、今までろくに返信した事が無い。
養育費だって決まった日に振り込むし、それ以外に連絡を取らなければならないような用事も無い。
だから今日もまた、そのメッセージには返信しないまま、スマホの電源を落としてズボンのポケットに突っ込んだ。
ふと、ちゃぶ台に伸ばした手が止まって、思わず舌打ちした。
「煙草、ねぇじゃん。買いに行くか」
昼飯に食べようとしていたカップ麺を足で蹴って、玄関までの道を作り、ぼさぼさの後頭部を掻きむしりながら部屋を出た。
最初のコメントを投稿しよう!