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「これ食べて力つけて」
「ありがとうございます」
おじさんは微笑みながら、箸のつけていない白身フライを譲ってくれた。
あなたの言葉は、不快じゃなかった。責められているようには感じなかった。
それは、きっと身体の病に向けての言葉だから。
「普通に見える」は、励ましの言葉。しかし心の病だと「普通に見える」は、苦しみすら否定されたのと同じ。
ただの惰性だと言われているのと同じ。哀れみや、労らいの言葉ではない。
「あんたは、もっと太った方がいいよ」
パイプ椅子に座り視線を新聞に留めたまま、無愛想なお婆さんが言う。
「そうね。これも食べなさい」
枯れ木のようなお婆さんが、小さなお皿に乗った唐揚げを二個くれる。
ここは優しい場所だ。
「ありがとうございます。太ります」
今までの自分からは考えられない。自らその三文字を口にする自分を赦しているなんて。「太る」と、いう言葉以上に怖いものはなかったから。
__あれは、中学生の頃のことだ。
元々、太っていた私は思春期を迎えると自分の体型をコンプレックスに感じるようになった。
その原因は、別に他者から何か言われたわけではなく「痩せた」「痩せない」と、いう会話が日常的に飛び交う年頃故だろう。
いつからか太っていることはいけないこと。痩せていることは褒められるべきこと。
それが暗黙の常識だと刷り込まれていった。
そして私は、三食の食事の量を減らすようになった。
ある日、あまり話したことのないクラスの女子から痩せたと言われたのがきっかけだ。
自分の努力が他者に認められた。その瞬間、今まで感じたことのないような優越感を覚えた私は、どんどん食事の量を減らした。
そして気づけば生理が止まり、いつしかリップクリームのカロリーまで気になるようになった。
__摂食障害。
そこから私の心の歯車は、どんどん壊れていったように思う。
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