現実

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 最後のページを開くと両親を想い、何か遺そうと頭を働かせる。  しかし、自分の一生を思うとどう言葉で現せば良いのかわからない。  死にたいとばかり思っていたのも事実。しかし、死期が近づくにつれて複雑な感情が芽生え始めているのもまた事実……。 「あら。もう起きてたのね」  扉が開く音に慌てて日記を枕の下にしまう。振り向くと母とその後ろには父の姿があった。  紺色のスーツを着てネクタイを絞めている格好を見ると、これから出勤するところだろう。  いつもは、平日の定時に仕事が終わる時は顔を出してくれている。  しかし只今の時刻は朝の八時。  珍しい時間帯だな。と、思いながら眺めていると父と目が合う。 「今週は残業が増えそうなんだ。だから、朝に樹里の顔を見て会社に行こうと思ってね」 「わざわざ、ありがとう。でも、遅刻しちゃうとマズイから早く行って」  そう言うと、優しく微笑みながら私の頭をそっと撫で父は病室を出て行った。  その後ろ姿を見送りながら、私達の関係性について考える。  昔からあまり口数が多いタイプではない父と親子で語り合った記憶はないし、この頭の特性のことも心の病のことも直接話したことはない。  恐らく母からは聞いているのだろうけれど、父と話すことといえば日常の当たり障りのないことばかり。どこか上部だけの会話が多い。  父は父で、こんな面倒な娘の扱い方が今も尚わからないのだろう。だからあまり深く立ち入ることもない。身体の病気のことも、あまり触れてくることはない。  それが良い親子関係かと聞かれたらわからないけれど、私からしたら居心地が良かったし死の直前でも変わらぬ距離感を保ってくれていることは有難い。 「早起きしてどうしたの?」 「眠くないんだよね。きっと、ここ最近寝過ぎたせいかも」  そう微笑んで見せると、母はホッとした顔をする。  専業主婦だとはいえ、毎日病室に来るのは大変だろうに。嫌な顔をせずに付き添ってくれている姿に、申し訳ないと思いながらもふと疑問が頭を過る。 「……こんな私でも生きていたほうがいい?」  一瞬、驚いた顔をするとすぐに悲しげに瞳を歪ませる。そんな、母の顔を見ればマズイことを口にしてしまったことは一目瞭然だ。
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