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第11話「喧騒」
(元医事委託職員 宮入初美) 2016年6月
マンションの3階から臨む見慣れた風景には、朝から雨が降り続いている。昼食を終えた宮入は、コーヒーを入れてリビングで寛いだ。今年は平年より少し早く梅雨入りしたらしい。
今日は、買い物をやめた。夕食は冷蔵庫にあるもので作る。夫は何を食べても美味しいとしか言わないバカ舌で、こういう時はとても楽だった。
宮入は、先日プリントアウトしたいくつかの資料をテーブルに並べて、端から読んだ。
この年の春、診療報酬の改定があった。診療報酬は、医療機関が患者の診療費を算定する際の価格表のようなもので、2年に一度見直される。もう仕事を辞めてしばらく経つのに、宮入は何となく気になって、ネットで資料を検索した。
ひとつ、目を引く改定項目があった。
在宅自己注射指導管理料だ。「2以上の保険医療機関が同一の患者について、異なった疾患に対する当該指導管理を行っている場合には、いずれの保険医療機関においても、当該在宅療養指導管理料を算定できる」という一文が追加された。
「お、おわぉっ!」
宮入は思わず、一人で妙な声を上げた。
やっと、ようやくだ。もしかしたら、自分が国を動かしたのかもしれない、なんて、そんなカンチガイだって、遠慮は要らないと思った。
自然と、思考はあの頃に向いた。
宮入は2014年8月に株式会社AIMを退社するまで、安座富町中央病院の医事課に、委託職員として配置されていた。そこでは最後の数年を、外来算定係として過ごした。
当時、外来算定は3名でシフトを組み、外来リーダーの倉科頼子が時々フォローに入ることもあった。外来算定は時間との勝負だ。できるだけ患者を待たせず、かつ正確に計算する責任を負う。
「宮入さん、ちょっといい?」
ある日の午後2時頃、算定が一段落して息をついた宮入に、倉科が声をかけた。
「最近、同じ人のレセプトが、数カ月分まとまって戻されたよね」
「うん。金井先生には後で報告するけど」
倉科はリーダーではあるが年下で、敬語は使っていなかった。宮入は当時45歳で、統括リーダーの辻原麻衣を含めても、一番年上だった。
医事課では、患者負担の3割分を計算し、同時に7割分のレセプトも作成する。レセプトとは、診療費を保険者に請求するときの請求書のことだ。ただし途中で審査機関によるチェックが入るため、疑義や不備があると病院に戻される。
「宮入さん、連合会のメモ見た? 他院でも算定されているため確認願います、だって」
国民健康保険団体連合会は、レセプト審査機関の一つだ。
「見たよ。返戻理由は在宅自己注だったけど、他の病院でもインスリンやってんのかな。4ヵ月連続で重複なんてヘンだよね」
在宅自己注射指導管理料は、患者が自宅で自ら注射を打つための指導管理を、外来で行った場合に算定できる。当時の基準では主たる指導管理を行っている保険医療機関で算定すると示されていて、例外特記はなかった。
連合会審査を一度はパスしたが、保険者である漆目町役場の再審査請求で差し戻された。2つの医療機関から受け取ったレセプトを見て、両方になんか払えるか! と突き返してきた訳である。
「とにかく、カルテを確認しよう」
宮入もまだしっかり見ていなかったので、倉科とともに確認した。患者名はキジマアツオ、67歳。中央病院では数年前から糖尿病で内科に通院している。それとは別に整形外科にもかかっていたが、1年ほど前に当院から漆目町リウマチ科医院へ紹介し、通院は終わっている。
「なるほど、エンブレルか」
倉科が言った。彼女のほうが理解が早かったので、宮入はむっとした。エンブレルはリウマチの薬で、在宅自己注射が認められるエタネルセプト製剤だ。
「リウマチの自己注なら、重複してもおかしくないね。宮入さん、小池先生にも報告しておいて」
宮入はその日のうちに、内科医長の金井と、整形外科医長の小池に会った。
小池はリウマチの診断後に専門医に紹介した際、キジマ氏に糖尿病は当院で継続治療する意志を確認したはずだと言った。金井は紹介先で在宅自己注射を指導をすること自体、知らなかった。診療科間の情報共有と、医事課の関わりがあれば、こんな事態は防げたかもしれない。
「どうしようか、倉科さん。連合会に聞く?」
「私から照会してもいいよ」
倉科の言い草に、宮入はカチンときた。いつもこうだ。何かあると、相手をまるで力不足のように決め付ける。今までも、彼女とぶつかることは何度もあった。倉科が年上の部下にフラストレーションを溜めていることも、よくわかる。結局のところ、彼女とは合わないのだ。
「いいよ、私がやるから」
翌日の午後、宮入は、連合会県支部の審査管理課に連絡を入れた。対応した男性は、開口一番「最近多いんですよ」と辟易した様子を窺わせた。
「主たる指導管理って、どう決めるんですか?」
「私たちから明確には言えません。こういう場合、医療機関さん同士での協議を勧めています」
指導管理は継続していく話だ。収益に直結するのだから、簡単に決着が付くとは思えない。
「決着が付かなかったら?」
「うーん…。その場合は、協議不調とコメントしたうえで再提出してもらって…」
決め手がないのか、彼は言い淀んだ。宮入は、それでは困ると食い下がった。
「それじゃあ、ウチの中央会の方に上申してみます。病院さんも、協議は頑張ってください」
電話を切ると、倉科への経過報告は後回しにして、次に漆目町リウマチ科医院へ連絡した。問合せに応じたのは、事務の女性だった。
「こちらにもレセプトは戻されています」
「やっぱり。あの、算定をこちらに譲ってもらうのは……無理ですよね」
図々しく言うと、向こうの女は鼻で笑った。
「そちらのご意向は院長に伝えますよ」
「もしくは、そちらでインスリン治療もしてもらうことはむずかしいですか?」
言ってから宮入は、これは完全に越権だと気付いた。金井はそんなこと一言も言っていない。
「じゃあそれも含めて伝えます。逆も考えられていますか? つまり、リウマチ治療をそちらで引き継がれたいとか」
「あ、ええと、聞いてみます」
電話を切ると、早々に、小池の元を訪れた。
ちょうど数ヵ月前、中央病院では外来化学療法管理加算の施設基準を活用し、新たなリウマチの診療体制を整備した。これは在宅ではなく、外来で点滴治療を行うものだ。主軸は、オレンシアというアバタセプト製剤だった。選択肢が広がったことでキジマ氏を再度引き受ける可能性もあるかなと思ったが、小池は「算定の事情で決めることではない」と一蹴した。
このあたり、電子カルテの導入を「医者が患者の顔を見なくなる」との理由で拒んでいた梼原院長の思想が流れている気がした。院長は整形外科医だ。宮入は昔から、梼原に世話になってきた。
小池の意向をリウマチ科医院に伝えると、かくして宮入は暫しの間、回答待ちの状態となった。
宮入は2杯目のコーヒーに口をつけた。
気付くと、午後3時を回っている。雨は少し勢いを弱めただろうか。窓際に立つと、色の薄い雨雲が、曇天特有の妙な輝きを放っていた。
今回の改定によってもたらされた追想は、あの頃の胸の躍動をありありと呼び起こす。
医療事務は、賃金は安いし労働環境も良くないのに、長く続ける人間が少なくない。どんな魅力を見出すかは人それぞれだ。医療者たちとの関わりか、彼らの労働を収益に変える喜びか、あるいは受付担当者であれば、患者の笑顔か。
宮入はというと少し特殊で、診療報酬の規定の裏に隠れた国の意向を汲み取り、自分が国と一対一で対峙するかのような錯覚が好きだった。
例えばリウマチ治療では、生物学的製剤の導入が進み、国の医療費を圧迫する要素となったことを背景に2014年度の改定では在宅自己注射の点数が細分化され、リウマチ治療において実質的な減収となった。ところが2016年度の改定では、増に転じた。地域包括ケアという構想のもとで、国が在宅医療の充実や連携の強化に本腰を入れ始めたためだろうと、宮入は思った。
保険医療機関はいつだって、国家戦略という荒波に晒される。だったら敢えて楽しもうぜ! というのが宮入のスタンスだ。もちろんそれは自分が経営者でないから言えることである。
宮入はソファに腰掛け、再び資料を眺めた。
先に回答を寄越したのは、連合会だった。
「やはり中央会も、病院間で協議してもらうしかないという結論でした」
「そうですか……」
「ただ漆目町役場とも調整しまして、過去の分については両者認めるという回答をもらいました。今お手元にあるレセプトは、問題ありません」
一瞬喜んだが、本質的な解決ではない。それにキジマ氏が自己負担分を二重で支払うことを、町役場が勝手に認めたことにもなる。
「リウマチ科医院さんからも連絡があって、同じ話をしました。やはり、協議をお願いします」
宮入は落胆し、電話を切った。
次にリウマチ科医院にかけると、先日の事務の女性が院長へと取り次いだので、少し慌てた。
「算定を譲るのは、ウチにも理由がないですね」
彼はまずそう言った。至極当然である。
「それと、インスリンは当院ではできません。できたとしても、こちらだけで決めることではありません。逆についても同様ですよね」
「すみません、差し出がましいことでした。ウチの医師も、そのように申しております」
宮入は、電話なのに頭を下げた。
「私のほうから審査機関と医師会に、三者会談あたりで、主たる医療機関の定義を定めてもらうよう要請してみますよ」
段々と、話が大きくなってきた。少しだけ、興奮で胸がドキドキする。
今後のことについては、とりあえずそれぞれで指導管理も算定も行い、レセプトには惚けて「町役場了承済み」と書き続けてみようと言われた。
倉科に話すと、「もう少しマメに報告してほしかった。独断が多すぎる」と叱られた。そして倉科から辻原に、辻原から佐々木医事係長と二人の医長に伝えられた。
夫の転勤が決まったのは、その頃である。長年勤めてきた衛生材料メーカーで、夫は転勤族ではなかったが、新たに設立される仙台支店の要職に抜擢されたことを、彼は興奮気味に話した。
「やっぱ私も、一緒に行ったほうがいいかな」
「えっ……。そりゃあ、うん。だって俺一人じゃ、どうしたって……」
うさぎのような目で見てくる。やれやれと思った。
二人に子どもはいないし、持ち家でもない。中央病院を離れるのはイヤだったが、職場が変わるのは初めてではないから、仕方ないかと思った。
辻原に報告し、退職日が決まると、自分が去った後の外来算定の体制が気になった。折を見て辻原に聞くと、「当面は倉科さんに入ってもらう」ということだったので、安心した。
「まだ本人には言ってないけど、関さんに移ってもらいたいと思ってるよ。私というか、倉科さんがそう希望してる」
関朋枝は入院受付係で、特徴のない大人しいスタッフだ。だが倉科は、彼女の堅実な仕事の仕方を評価し、辻原に名指しで要請したという。つまり、前任と対照的な人物を選定したわけだ。
「倉科さん、宮入さんの退職はイタすぎるって泣き顔だったよ。私にしてもそうだけど」
思わず「えっ」と声を上げた。それは倉科の本心かと疑い、本心ではないと結論付けたが、やはり少しだけ、嬉しかった。
退職間際のある日、連合会の審査管理課から電話が入った。三者会談の議題にあがり、これらは別に算定して良いと決まったそうだ。もちろん県内だけのローカルルールだが、審査機関も保険者も、基本的にはこの取り決めに準ずるだろう。
宮入は色めき立った。最後にこの報告を聞けて良かったと思った。それから予定どおり退職し、宮入夫妻は仙台へと転居した。
だが結果的に宮入は、新天地での就職活動をやめた。自分のなかでも理由は明確ではないが、少し疲れたのと、新たにイチから仕事を始める気が、どうしても起きなかったのである。
少し悲しいなぁと思ったのは、単なる興味で診療報酬改定の中身を追いかけても、もう実務と結びつけて考えることができないことだ。
国の方針も、制度も変わっていく。中央病院の外来担当表だって、きっともう知らない名前ばかりだろう。
多くの同僚たちと悩んで、議論して、慌ただしく過ぎていった日々は、嫌なこともたくさんあったけれど、医療の世界の末端で、カルテと、レセプトと、あの医事課ならではの喧噪と。
だけど、もうあの世界へは戻らないと決めた。少なくとも、いつか我慢ができなくなるまでは。
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