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第17話「キライな仕事」
(厚生係長 畑野伊織) 2016年9月
勤め先の安座富町中央病院は、元々は県立病院だったが、長期の経営不振を受け、2007年に民間の医療法人「橘橙会」へ移譲された。といっても畑野はそれから2年後の採用であるため、当時のゴタゴタは知らない。
畑野はいくつかの係員ポストを経て、現在は厚生係長を拝命している。
「厚生係長って、どんな仕事?」
よく聞かれる質問だ。
「私もよくわかんない」
嘘ではなかった。自分が一体何の仕事をしているのか、いつだって畑野は煩悶していた。
橘橙会の本部は江東区にあって、研修などがあると何時間か電車を乗り継いでそこまで出向く。面倒だったが東京へ行くいい機会になるので、それはそれで楽しむことにしていた。
今年は9月の頭に、研修があった。労務管理と安全衛生に関する内容だというが、今はむしろ、自分自身の労務管理を何とかしてほしいという気持ちだった。
1年ほど前に、青野という唯一の常勤の部下が、地域医療連携室に配置換えになった。それだけならともかく、今年の1月には、人事係長の小菅が長期の病気療養に入った。人事課でたった2人の係長だったのに、その片割れが倒れたことで、厚生係長の畑野にも当然しわ寄せが来た。
「課長、何とかしてくださいっ」
畑野は人事課長に何度かそう主張したことがある。
「いや、もちろん大変なのはわかってるよ」
「ホントですかね、対策はあるんですか」
「対策といってもな…。相本もよく頑張ってるだろ」
相本は人事係で小菅の部下だ。この緊急事態を受け、確かに動きはよくなったが、係員では限界がある。
「あたしも小菅くんの業務をやらないとは言ってません。でも、非常勤でもいいから、人を付けてください。この体制のまま年度末を迎えるなんて、必ず仕事に穴が空きますよ」
「小菅はいずれ戻ってくるんだ。それまで何とかならないか」
課長は人はいいが今イチ決断力がなく、他の課に気を遣ってか、増員には消極的だ。
「青野くんを取られた時点で、あたしの負担は増えてるんですよっ」
言って一秒後に後悔した。これは言わないと決めていたのに、何とみっともない発言だろう。青野が配置換えになると決まったとき、事前の打診もあったし、畑野はちゃんと考えて了承した。だが心の底では、「一人取られた」とか「自分の仕事を軽く見られた」という思いが今もくすぶっていて、それが表に出てしまった。
結局、翌年度の5月に入ってから、非常勤職員が一名増員された。小菅の復帰に、相当な時間がかかりそうだと判断されたからだ。
今はもう、人事係長はいないものとして、定着してしまった。畑野にしても何の違和感もない。だが忙しさだけは解消されなかった。
研修は午後からだったので、昼食は品川で取ることにした。漢方の専門店があって、十代の頃からの肩こりと腰痛の相談をするために、何度か訪れたことがある。ここのランチはサラダにアーモンドやクルミを掛け放題なのがお気に入りで、必ず寄ることにしていた。
それから浜松町まで戻る。このあたりに来ると、いつかの元カレとクルーズディナーへ行った記憶が頭をよぎるが、それがどんな男だったか、よく覚えていない。
大門から大江戸線で森下へ向かう。橘橙会の本部はここにあった。
研修では、別の病院にいる顔なじみと多少のお喋りもするが、別に楽しくも嬉しくもないし、基本的に面倒だ。講義もほとんど、聞き流していた。
明日は、何から手を付けようか――。
研修や監査対応で一日が潰れると、決まってこんなことを考える。休みの日の夜も同じだが、いつも意識してそれを消し飛ばした。
だが月初だけは、いつにも増して憂鬱になる。帰ったら、アレをやらなきゃなぁと思うからだ。
「先生、この日のカンファレンスは自己研鑽ですよね? 診療業務とは直接的な関係のない内容でしょうか」
畑野は該当する医師のPHSを順に鳴らし、こんなことを聞いていく。
「んー、そうだな、まあそうかな」
医師らは決まって曖昧に肯定する。それはこの質問の意味を本質までよくわかっているからか、もしくはまったくわかっておらず誰かの指示に従っているだけなのか、そのどちらかだ。
業務と関係しない自己研鑽であれば、病院に拘束されるものではないため、超過勤務の対象にはならない。少なくとも中央病院ではそういう整理となっていた。
この病院では、タイムカードは導入していない。
畑野は月初に前月の勤務時間を集計し、給与に反映させる業務を担っているが、これはその際に行われる儀式みたいなものであった。
「先生、これは自己研鑽ですね」
「はいはい、そうそう、ジコケンサン」
こんなことを繰り返すと、不思議なもので、やがて協定内の勤務時間数に上手に収まる。
最初に前任の佐々木からこの仕事の引継ぎを受けたとき、何とも嫌な気持ちになった。誰のための、何のための仕事なのか。なぜそれを自分がしなければならないのか。
だが、今はもう、慣れてしまった。
確かに、佐々木は言っていた。
「医者はいわゆる労働者じゃないんだよ」
「でも、生身の人間じゃないですか」
「労基署が本気でウチらの世界にメスを入れたら、日本の医療は簡単に崩壊するぜ」
達観したようなクチ聞くなよ、と思った。自分だってただの事務員だろう。所詮、他人事だから言えることなんじゃないのか。畑野はそんな言葉を飲み込んだ。
だが調べてみると、佐々木の言葉とは少し異なり、少なくとも現時点では、行政官庁には強制力はないのだ。言われてみれば、他の医療機関で医療従事者の労働時間がニュースになるとき、残業代の不払いという視点で語られることがほとんどだ。だったらせめて、給料くらいは適切に払うべきではないか。
――いや、そうじゃない。
そこでいつも立ち止まる。それは何故か。もう一つ、医療機関における過重労働が社会的なトピックになるときがあって、それは医師が自殺したときなのだ。
「佐々木係長。やっぱり違うと思う、私」
「あのね、畑野がどう考えたって自由だけど、現実はそうなの。無給医なんて言葉もあるんだぞ」
「だけど、理不尽ですよ」
「じゃあ医者を増やすか、患者を減らすしかないな。畑野がやるか?」
そう言うと、佐々木は首をすくめて見せた。
中央病院の三六協定書には特別条項は確かにあるが、もちろん無制限ではない。この上限が本来は医療従事者を救うべきものだということは、仮に結果が本末転倒になっているとしても、忘れてはならないと思う。
だけど一方で、畑野ら人事課職員は、給与を算定しなければならない。
そこでまた、畑野は頭を抱えるのだった。
研修を終えると、畑野は再び大江戸線で今度は六本木へ向かった。
駅の化粧室で鏡を見ると、リップの山がアシンメトリーになっていることに気が付いた。いつからかと考え出したら、少し気が滅入った。
六本木へ来ると、何となく思い出す。
今の係に配置換えになって腐っていたとき、ちょうど研修で、今と同じように東京に来た。半分ヤケになっていて、以前からチェックしていた東京ミッドタウンの45階のレストランで、お金も気にせず食事しようと決めていた。
一緒に研修に来ていた小菅を誘い、愚痴を言いながらワインを飲んだ。彼は対人関係が全くダメで、特に異性とは満足に会話もできないほどだったので、ほとんど話に頷くくらいしかしなかったが、それが畑野には都合がよかった。夜景は綺麗だったはずだ。だが記憶にない。高い酒の味もまた同じだ。
今回の行き先は六本木ではない。
畑野は日比谷線に乗り換えて、広尾で降りた。いくつかブティックをまわってニットジャケットを一着購入した後、塩味が恋しくなったので広尾商店街に寄って、ベルギーフリットとバジルのディップを買った。
今回の研修は資料も多くて、両手に荷物という状態になった。戻って片付けたい仕事が山のようにあったので、さっさと帰ることに決めた。
一度、マンションの部屋に荷物を置いてから職場に戻ると、もう二十二時を過ぎていた。
人事課には相本一人が残っていて、畑野を見つけると「えーっ」と大きな声を出した。
「何でそんな驚くの」
「いやぁ、だって、僕は当然、直帰か一泊だと思ったから。すごいすね」
「すぐ帰るよ、相本くんは、まだやっていくんでしょ。帰り、カギ締めてってね。あと超勤はちゃんと書いていくこと」
「はあい」
同じフロアの総務課や財務経理課には、もう人はいなかった。超過勤務の申請については部署によっても何となく暗黙の目安やバランスがあるので、こういう問題は医師に限った話ではない。
明日の午後、外来が終わった頃を見計らって、該当する医師らに電話を入れよう。畑野はそう決めて、そのための事前準備を始めた。
明日は、憂鬱だ。
去年の暮れだったろうか。この儀式について、院長の梼原が把握していなかったことを初めて知り、畑野は驚いた。何年も前にこの運用を始めたのは当時の幹部たちであったが、梼原先生は何故か蚊帳の外だ。
何かの折、院長室で話をしているときにこの件に触れ、院長は畑野が初めて目の当たりにするような動揺を見せた。
「ウチでは、そんなやり方をしているのか――」
院長は声を震わせて言った。それまで消極的だった医師事務作業補助者の採用に急に乗り出したのも、これがきっかけだったのではないかと畑野は思う。
そして、実際に3名の医師事務作業補助者が、2016年4月より非常勤採用となった。
遅すぎる。医師の負担を軽減する手法を国が明確に示したにも関わらず、それを活用しなかったのだ。誰より、院長自身がそれを悔いているようだった。
採用から数カ月経ち、畑野はそのメンバーのなかで、函南晴香という女とよく話すようになった。8つも年上であるうえに、化粧っ気もなく、休みの日は一人で山など登っているというから、とにかく何もかもが違う人だったけれど、どこか波長が合った。
その函南が、仕事のことでウダウダと愚痴ることが多くなったので、最近は話していて苛つくことが増えた。
やりがいがない、目的がない、存在価値が感じられない――等々。学生かよ、と思う。ましてDCなんて、医師の負担軽減という明確な立ち位置がある。そんな職種も珍しいだろう。
「何が自分の仕事かわかんなくなるんだよなぁ」
その日も、そんなことを言っていた。
病院の近くの喫茶店でたまたま会って、ランチを同席したときだ。
函南は、終始、憂鬱そうな顔をしていた。
だがよく聞いてみると、些細なことではあるけれど、彼女は医師に礼を言われたことを忘れていたというのだ。
「なあに、贅沢じゃん」
思わずそんな言葉が出た。礼を言われるために働くわけではない。でもきっと、自分は彼女が羨ましかったのだと思う。
「あたしは仕事キライだからなぁ。厚生係って何なんだよっていつも思う」
畑野は何気なく自分が発したこの言葉に、何故か胸がドキっとした。
仕事がキライ。
そんなことは、前から自覚していたことだ。
だが、言葉にすると違った。そうか、いろいろ理屈を言ってみても、結局すっきりしないのは仕事が嫌いだからだ。
とてもシンプルな結論だが、解決策を見つけるのは容易ではない。現実的には、自分が別の係に配置換えになるのを待つしかないような気もする。
「仕事なんて、好きって言えるほうが少ないか」
函南がさっさと納得してしまったようなので、置いてきぼりはイヤだったから「そりゃそうだよね」と笑ってみた。
いつか、今よりももう少し自然に笑えるようになれたら―― 。
畑野は函南と一緒に店を出て、田舎町に小さくそびえる5階建てのその建物を、そっと見上げた。
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