第19話「氷の粒」

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第19話「氷の粒」

(連携係長 竹脇浩太(たけわきこうた)) 2014年12月  聞いていられなくなって、物も言わず講堂を出た。一緒に来ていた同僚が後ろで何か言っていたが、足早に駐車場まで戻った。  年の瀬も押し迫った2014年の12月、土曜日の午後のことである。ここ福祉プラザで、県の保健福祉課と医師会が合同で「県民リヴィングウィル表示カード」の説明会を開催した。  安座富町(あざとみちょう)中央病院では最も業務に関わるということで、地域医療連携室から、連携係長の竹脇が参加していた。その他に希望者を募り、総務係長の須井暢介(すいのぶすけ)と、物品調達係の出雲亜美(いずもあみ)が一緒に来ている。  外の空気は、冷たくて気持ちが良い。運転席に座ると、やがて、二人が戻ってきた。 「どうしちゃったんですか、竹脇さん」  出雲が助手席のドアを開け、そう言った。 「ダメだ。うちのじいちゃん思い出しちゃって」 「あらら。それでたまらず駆け出しちゃったんだ。取りあえず、メシでも行きますか」  リアシートに座った須井が、少し笑って言った。時計を見るとまだ17時半だったが、3人は出雲が勧めたガレットの専門店に向かった。 「お疲れさまぁ」  須井と出雲はビール、竹脇は烏龍茶だ。  今日のメインテーマであるLW(リヴィングウィル)カードは、例えば高齢者が救急搬送された際に延命治療を望むか断るか、緩和ケアについてはどう考えるかなど、自らの意志を事前に明らかにするものだ。LWは臓器提供ほど普及していないため、担当者らは先進的な取組みであることを何度も強調した。 「けっこう、重いテーマでしたね」  出雲はそう言って、バーニャカウダの赤パプリカを口に運んだ。 「身近にいるとなおさらね。竹脇さんのおじいちゃん、どこかの施設にいるんだっけ」  須井が聞く。彼は竹脇より1つ年少で後輩だ。ともに40歳目前で、パチスロ仲間である。 「睡蓮(すいれん)の里っていう施設にいるよ」  須井は「ああ、隣町っすね」と言って店員を呼び、水ダコのアヒージョを頼んだ。 「身内にいると、リアリティが違ってきますよね。全身がチューブだらけなんて、私はイヤだなぁ」 「それを望む人は少ないだろ。だから、LW導入はシンプルに良いことだと思ってたけど」  須井は最初の一口で、もうすでに赤ら顔だ。 「俺だって同じだよ。自分で先に決めておけるんだからな」  今日の説明会で熱弁を奮った救急医や在宅診療医、それに老健施設の看護師らは、それぞれ異なる言葉での価値を説いた。  だが竹脇は、違和感を拭えなかった。  地域医療の分野では、どこの行政府も、限られた医療資源を有効に活用するため、入院から在宅への移行、そして病院とかかりつけ医の機能分化を必死に進めている。LWも急性期病院の負担を減らすことにつながるというが、要するにそれは、ことだ。  店員が、チーズクルチャを竹脇の前に置いた。出雲はサーモンのガレットだ。 「LWって、言質みたいになったりしないのかな。延命治療は望まないって言いましたよね!みたいな」 「確かにね。でも救命医は、現場じゃACPなんてのんびり言ってられないってさ」  須井の言うACP(アクセスケアプランニング)とは、自分の終末期について、患者や家族が医療者と相談を重ねる過程を指す。  家族が心肺停止となった場合、日本人は心臓マッサージで心電図が一波形だけでも反応したなら、死に目に会えた、ちゃんと看取ったと思う傾向があるらしい。だが心臓マッサージは、成功率が低いのに苛烈な負担を与える。最期の波形より大切なものを、ACPは作り出すのだという。 「LWとACPの、役割分担なんですかね」 「地域連携が大事ってことか。そういえば竹脇さん、青野が人事課から連携室に動くんですか?」  話に飽きた様子の須井が、話題を変えた。 「そういう話があるらしいってのは聞いた」  竹脇は係長とはいうものの、部下はいない。これから中央病院の地域連携業務が拡大することを見越して、増員という話は前から出ていた。 「同じ係員の出雲の目から見て、青野って仕事はどうよ。竹脇さんと合いそう?」 「まあ、人柄は温和だし、連携室には向いてるかもしれないですね」 「それを言ったら、影山も人柄は悪くないけどな」  須井が渋い顔をして、ビールをぐーっと飲み干した。影山は須井の部下である。 「あいつ、入れ込みすぎるんだよな。委託職員と仲良くなって、悩み相談みたいなことしてよ」 「それ私も聞きました。変わり者ですね」  出雲の言葉に、須井はため息をついた。  それから1時間ほどで会はお開きになったが、竹脇は、何となく消化不良だった。  説明会の間、竹脇は祖父のことばかり考えた。竹脇はいわゆるおじいちゃん子で、幼い頃から、父方の祖父が可愛がってくれた。祖父母の住む尾花沢を訪れることが、少年時代の楽しみだった。  当時新宿に住んでいた竹脇にとって、虫取りも、魚釣りも、教えてくれるのはいつも祖父だ。  だが竹脇が中学に上がると、帰省する機会は減った。大学二年の夏、親戚の葬儀で訪れたときは、実に五年ぶりだった。  祖父は小さく、老け込んでしまっていた。  その理由はすぐに分かった。祖母の様子がおかしかったのだ。竹脇に対しても、何度も同じ話や同じ質問を繰り返した。どうも、そのときすでにアルツハイマー型認知症と診断されていたらしい。一般的な症状だが、祖母は自分で財布を隠しては、それを忘れ、何度も祖父を泥棒扱いしたという。祖父の頭には、円形脱毛がいくつも見られた。  やがて、祖母は祖父の元から離れ、竹脇一家が住む安座富町の特別養護老人ホームに入所した。  施設の祖母を毎週見舞っていたのは、母である。父は年に数回訪れるくらいで、すでに家を出ていた竹脇が祖母の顔を見るのは、年始だけだった。  それから十年ほど経った頃、祖母は施設で静かに息を引き取った。敗血症が深刻になる前に近くの病院に入院したが、父が延命治療を断って、「施設での最期」を要望したことで、退院となった。間もなく、祖母は多臓器不全で亡くなった。父も母も、見守ってくれたスタッフに感謝していた。  だが祖父はというと、一人あの家に残り、死に目どころか、最期の数年を会えずに過ごした。  それからしばらくして、今度は祖父が腰を痛めたことをきっかけに、施設へ入所した。認知機能に衰えはないので、特養ではなく住宅型有料老人ホームだ。竹脇も時々会いに行っていたが、いつか来るその時を考えないわけではなかった。  祖父は最愛の妻の死を、どのように受け止めたのだろう。そして、もしも自分だったら――。  竹脇は今日の説明会で、ずっとそんなことを考えていた。  県の担当者は会の結びに、「我が県が目指す地域包括ケアシステムの最大の特徴は、今よりももっと、医療者側から自然死の提案がしやすい環境を醸成することだ」と言ってのけた。改善の見込めない高齢患者を医療者側で選り分け、死の宣告ができるようにしたいのだ。竹脇には、LWもACPも、アリバイ作りにしか思えなかった。    週が明けて職場へ行くと、竹脇は説明会の概要を簡単に医事課長へ報告し、資料を回覧した。それを目にした荏田華子(えだはなこ)というベテランのソーシャルワーカーが「県もけっこう思い切ったことするね」と言ったので、何となく話が通ると思い、竹脇の感じた違和感を話した。  かつて平均在院日数縮減のために退院調整の方針見直しを求められたとき、「病院は立ち食い蕎麦屋じゃねぇ!」と言って幹部らとケンカした彼女だ。同じ気持ちを共有できると思った。  だが予想とは異なり、荏田は少し苦笑した。 「そうじゃないと思うよ、竹脇さん」  竹脇は、面食らった。 「家族はみんな、全快する見込みもない患者に辛い負担を強いてまで、延命してほしいなんて思ってないよ。だけど、自分が最後に見限ったって気持ちにも、なりたくないんだよね」  竹脇は何か言おうと思ったが、言えなかった。  いつの間にか、医事課の武藤紗苗(むとうさなえ)が隣にいて、荏田の話に聞き入っていた。彼女は半年ほど前に中途採用された新人だ。  荏田は続ける。 「竹脇さん。延命治療をしないことを、医療者側から選択肢として提示されることは、家族にとってほっとできる場合もあるんじゃない?」 「でも、行政側の真意は――」 「いいのよ、仮にそうだとしても」  それから荏田が、「氷の粒」の話をしてくれた。  聞いているうち、竹脇は自分自身が「死にゆく人」のために何ができるか、何をすべきか、考えたことがないことに気が付いた。 「私は、母を看取れなかったけど」  同じように黙り込んでいた武藤だったが、荏田をじっと見つめて口を開いた。 「癌でずっと苦しんでた母が、せめて最期だけは楽になれたって、思いたい。残される側にはきっと、最後にが必要なんだと思います。もうダメだと分かっていても、自分自身のために」  武藤の声は、少し、涙声のように聴こえた。  荏田は、二度、頷いた。  竹脇には意外だった。武藤は自分のことを積極的に話すタイプではないし、仕事では極めてロジカルだ。彼女のこんな表情を、初めて見た気がした。  その日は定時に業務を切り上げ、久々に祖父に会いに行くことにした。  車を出すと、雪がちらほら舞い始めていた。安座富町でも毎年のように雪は降るが、尾花沢で見た豪雪とは全然違う。あの家にはもう誰も住んでいないのかと思うと、不思議な気がした。  30分ほどで、「睡蓮の里」に着いた。受付を済ませ、祖父の部屋へ向かう。祖父は108号室だ。夕食を終えた入所者たちが、リビングで寛いでいるのが目に入った。 「おぉ、浩太か」  祖父はその中にいて、竹脇を見ると声をかけてきた。入所当時と比べ、ずいぶんと栄養状態も良くなり、杖があれば普通に歩くこともできる。  友人と思しき周囲の老人方に何やら詫びながら、祖父はよたよたと近づいてきた。 「会社帰りか? わざわざ来てくれて嬉しいよ、スーツ姿がサマになってるな」 「勘弁してくれよ、もう入社して20年近く経つってのに」  そう言いながら和菓子の包みを渡すと、祖父は自分の部屋に招き入れた。  綺麗に整頓されていて、いかにも祖父らしい部屋だ。窓の外にはうっすらと雪が積もり始めていて、寒々しい風景だった。祖父は「もう12月だな」というと、お茶を出してくれた。  しばらく、仕事の話などをした。結婚はまだかと聞かれ、忙しいと答える。定番のやりとりだ。それから「今でもばあちゃんに会いたくなる?」と聞いた。自然な流れを装ったが、不自然だったと思う。祖父は「そりゃあな」と答えた後、少し小さな声で「何もしてやれなかったからよ」と付け加えた。  ――氷の粒だ。  ついさっき荏田が語ったことを、思い出した。  人間は脱水や飢餓状態になると、いわゆる脳内麻薬であるβ(ベータ)エンドルフィンや、ケトン体が増える。だからもしもその人が口渇を訴え、何かを口にしたいと言ったとして、もしかするとそのとき最も適切な選択肢は、例えば一粒の氷なのかもしれない。そこには強烈な飢餓も苦痛も存在しておらず、胃瘻どころか点滴すら必要なくて、身体はただ穏やかに、自然に、優しく死を待っている。  目を伏せると、祖父は竹脇の顔を覗き込んだ。 「浩太、今日はどうも変だな。お前、俺がもうすぐ死ぬって思ってないか」 「あ、いや、それは――」 「失礼だな、もうちょい生きるぞ」  祖父が笑ったので、竹脇も思わず笑った。 「つまらないこと考えてないで、仕事がんばれよ。40代が、一番ノリノリなんだぜ」  祖父は両腕を振って、上半身だけで軽くリズムを取ってみせた。確かに、これだけ元気なら、もうしばらく先のことではあるだろう。  竹脇は、施設を後にした。雪はもう止んでおり積雪もほぼなかったが、帰路はすっかりと暗い。  運転中も、LWのことが頭をもたげる。県の示した方針が、自分や、祖父や、武藤のような感情の在り方を掬い上げることになるのか。実母の延命治療を断った、父の気持ちはどうだったか。  竹脇には分からなかった。まして自分の死についてなど、到底思考が及ばない。  だけど、それでいいのかもしれない。生き方と同じように、死に方も、看取り方も、きっとひとつではないのだから。  ふと、若き日の祖父母を思い出した。無条件で自分の味方をしてくれた、あの頃の二人の姿だ。  竹脇はアクセルペダルを緩めた。走りなれた道なのに、何故か、初めて通るような気がした。
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