103人が本棚に入れています
本棚に追加
第20話「特命の二人」
(人事係長 小菅治樹) 2016年10月
朝方が冷え込むので、秋なんだなと気づいた。
病休に入ったのが1月初旬だったから、もう9ヶ月を過ぎる。当初こそ後悔と焦燥感に心を支配されていたが、今は少し麻痺していた。
だが眠りはいつも浅く、夜明けを何度も見た。朝日は闇を押しのける希望の象徴だが、同時に、逃れられない現実という絶望の象徴でもあった。
小菅はベッドから這い出ると階段を下り、冷蔵庫からチーズを取り出してかじった。ミモレットが好きで、時々母親が買っておいてくれる。両親はまだ寝室だが、今年で定年の父は最近、目覚めが早い。30を過ぎたというのに会社を休んで家に居続けることは、何とも居心地が悪かった。
勤め先である安座富町中央病院で、小菅は人事係長を担当している。病休はいわゆる心の病で、思考力や集中力の低下から始まり、職場で急に理由もなく涙が流れるようになって、これはマズいと思いクリニックを受診した。
――こんなはずじゃなかったのに。
そんな思いがずっと燻っている。去年の春ごろに人事課長から、新専門医制度への対応について、厚生係長である畑野伊織とともに指示を受けた。渡されたのは、ちょうどその2年前の2013年4月に発出された、1つの報告書である。
「専門医の在り方に関する検討会……医政局か。小菅くん、読んだことある?」
「いや、ないです」
畑野は同期だったが、小菅は敬語で話していた。
「医師の負担軽減とか、医師数を増やす話――ではないのかなぁ。偏在の解消って、何だろう」
「そういう主旨だったら良いですね」
それから2人で、勉強と準備を始めた。
新専門医制度は、各診療科の学会が独自に運用していた「専門医」の認定基準統一を図り、良質な医療を提供することを目的として導入される。日本専門医機構が発足したのが、昨年の5月だ。今は準備期間として、とても重要な時期だった。
「小菅くん、頼りにしてるから頑張ってよね」
畑野は冗談めかしてそう言った。だが、自分には何もできない。これは人との調整が必要な仕事だ。昔から人と向き合うと緊張して言葉が出なくなるし、何度か医師や看護師に怒鳴られてから、それは顕著になった。
いつだって、自信がないのだ。職場に来るのが、怖かった。新しい仕事は、不安でしかない。
こんなときは決まって、この中央病院へ入職した頃のことを思い出す。
毎年恒例の光景だった。
新採用者向けのオリエンテーションでは、講堂に百人弱の新採用者が集まる。2009年の4月、小菅と畑野も、並んでその場所にいた。
講義は院長の挨拶から始まり、病院の歴史や診療機能、経営状態と続き、就業規則の説明に入ったあたりで、隣の席から寝息が聞こえてきた。
「畑野さん」
首を項垂れて眠る彼女に、小菅は小さな声で呼びかけたが、起きなかった。髪に隠れて顔はほとんど見えなかったが、閉じた瞼と長い睫毛、少し赤みの差した頬を見て、綺麗な人だなと思った。
昼食を取ったあと、建物の周りをぶらぶら歩いていると、入院患者向けに設えたと思われる赤レンガタイルの通り沿いで、ベンチに腰掛け、ぼーっと何かを見つめている畑野の姿を見つけた。
「あ、小菅くんだっけ。さっきはどうも」
畑野は小菅に気付き、少し微笑んだ。
「ねえ、その鳥さぁ、動き面白いんだよ。見て。ずーっと飛ばないの」
指さす方向を見ると、白黒模様の小鳥がタイルの上で首を傾げ、いきなり全速力で駆け出したかと思うと、またふと立ち止まったりしていた。
「変な鳥ですね。飛びそうで飛ばない」
「でしょ? ちょこちょこ走って、止まってまた走って、不思議だよね。名前、知ってる?」
「わからないです」
そこで、会話は終わった。
だがその日以降、「ちょこちょこ鳥」の存在は気になるようになった。見つけるときはいつもあの走り方で、いつも一羽きりだ。小菅は僕みたいだなと思い、自分を重ねた。
特命を受けて約2カ月後、中央病院の母体である橘橙会本部で、新専門医制度に関する研修が行われ、小菅は畑野とともに参加した。
新専門医制度は、卒後2年間の初期臨床研修制度と同様に、各医療機関の申請に基づき、基幹施設と連携施設が認定される。「専攻医」と呼ばれる3年目以降の後期研修医は、基本領域とされる19の診療科から選択して基幹施設病院へ入職し、協力施設への派遣研修などを経て、専門医の認定を取得するのだ。その後、さらに専門性の高いサブスペシャリティ領域へステップアップするというのが、大まかな流れだ。
「うちは初期臨床研修の基幹施設ではないけど、新専門医制度の基幹施設になれるんですか?」
午前の講義が終わり、周りが昼食を取りに研修室の外へ出ていくなか、小菅は畑野に聞いた。
「何言ってんの、今さら。新専門医制度で基幹施設に手挙げするのは、最終的には初期研修のほうでも基幹施設を再取得するための布石でしょ。経営企画課長も、そこは大丈夫って言ってたじゃん」
「そうでしたっけ。それにしても、うちは何で内科の基幹施設を選んだんでしょうね」
「基本領域に呼吸器内科がないからじゃない?」
畑野は小菅の顔を見ずに答えた。中央病院は旧県立時代から、呼吸器内科が強みの一つだ。
「基幹施設だと、医師確保が楽になるんですか」
「知らないって! 知らないから研修に来てるんでしょ? 小菅くんも自分で勉強しなよっ」
大声を出され、小菅はびくっとして押し黙った。自分にしては、よく会話したつもりだった。何が畑野を苛立たせたのか、わからなかった。
昼食は別々に取った。午後の講義も、会話もなくただ聴講するだけとなった。
だが夕方、研修が終わると、畑野のほうから「さっきはごめんね」と声をかけてきた。新専門医の件とは別に、仕事のことで悩んでいて、ここ最近ずっとイライラしているのだと彼女は言った。
「無神経に、すみませんでした」
「いいよ。それより、行きたいお店があるんだ。ディナー、付き合ってくれない?」
「えっ――」
小菅は別の意味で再び委縮したが、迷う余地も与えられず、行くことになった。
その店は東京ミッドタウンにあって、小菅はその手の場所は苦手だったから、ほとんど初めてだった。物見遊山のごとく歩きまわり、インフォメーションで、何冊かパンフレットを手に取った。
「何それ」
「フロアガイドですね。参考に持って帰ります」
畑野は少し笑って、別のパンフレットを取った。オレンジ色の鳥のイラストが描かれている。
「バードハンドブックだって」
彼女はクロス折りの冊子を開き、見せてくれた。
「こんなに鳥がいたら、東京って感じがしないですね。檜町公園、昼間に歩いてみたかったです」
「そうだね。あっ!」
畑野は声をあげて1つの鳥のイラストを指さし、小菅のほうを見た。
「これさ、採用の時に2人で見た鳥じゃない?」
「あっ、ホントだ」
それは白と黒のツートンカラーで、間違いなくあの「ちょこちょこ鳥」だった。
「ハクセキレイっていう 名前なのか、知らなかった です」
「すごいね、ネットとかで自分で調べるより、こういう知り方のほうがずっと良かった気がする」
彼女は小菅の目をじっと見ながら、少し興奮気味にそう言った。
「あたしたちの鳥の名前、覚えておこうね」
この瞬間、小菅は完全に恋に落ちた。
その後レストランで食事をしたが、ほとんど何も覚えていない。畑野の一方的な話を黙って聞きながら、その顔を、何度も盗み見た。
その日から、職場に来るのが楽しみになった。
人事課は、通常業務だけでもかなり忙しい。だがわずか数分でも一緒に新専門医制度の仕事ができた日は、紛れもなく良い日だった。
院内においては、内科や呼吸器内科など多くの医師と調整したり、臨床研修管理委員会の規定を見直したりと、やることは多かった。院外では近隣医療機関と情報共有することも重要だ。そして内科領域の専門研修プログラム整備基準を読み込んで、申請書を作成する。それらを畑野と2人、力を合わせて取り組んできた。
――と、思っていた。
あれは秋頃のことだから、今からちょうど1年ほど前だろうか。朝一番で小菅は畑野に声をかけられ、「岩村総合病院の小児外科の件、教えてくれる?」と怖い顔で詰問された。
「えっと、副院長から話があって――」
「向こうの小児外科部長を、形だけでも在職してることにできないかって言われたんだってね」
「副院長が、週一の非常勤でいいから書類を作れるかって言って――」
「できるって答えたの? 小菅くん、その意味わかってる?」
意味、意味、意味――。小菅は頭が真っ白になった。たしか副院長は前院長時代から世話になっている病院だから、何とかならないかと言った。
「もういい、あたしが副院長に話してくる」
畑野が足早にその場を去ったので、小菅もあとを追った。彼女は副院長室の戸を叩き、その勢いのまま中へと押し入ったので、小菅は締め出された。自分で戸を開ける勇気がなくて、部屋の前で立ちすくむ。
中からは、2人の声が聞こえた。
「今がどういう時期か、わかってますよね?」
「畑野さん。いや、まあ、落ち着いて」
副院長の声は、小さくて聞き取りづらかった。
「小児外科はサブスペシャリティでしたね。岩村総合病院はウチを連携施設にしたいんでしょうけど、形だけなんて、不正もいいところですよ」
そういえば、小児外科学会が謳う連携施設の認定要件として、小児外科専門医が最低一人在席し、研修医を直接指導できること、というものがあった気がする。小児外科医だった前院長が退職した今、専門医はいないはずだ。先方の小児外科部長を形だけ在職させて連携施設の認定を受け、実際に専攻医を受け入れるのだとしたら問題だ。
「小菅くんに聞いて、了解は得たんだけどな」
「先生、これから始まる大型事案で、疚しいことはただの一つだってすべきじゃありません。小菅くんの言うことなんか、聞かないでくださいっ」
最後の言葉で、小菅は頭を殴られたようなショックを受け、ふらふらとその場を離れた。
しばらくは、何もできなかった。
それでも気持ちを立て直したくて、今回の反省と、今やるべきことを洗い出した。畑野も、今までどおり接してくれるようになった。
だがこの時から、人と向き合うことが、今まで以上に怖くなってしまった。
医師との調整はほとんど畑野に頼み、小菅は資料の作成などを担当した。誰かに顔をじっと見られると、糾弾されているような錯覚に陥ることがあった。
少しずつ、病の症状も出てきた。
眠りは浅くなったし、朝は目覚めると、どうしても頭と身体が動かなくて、出勤できないときがあった。その頻度が、少しずつ増えていく。
人事業務は、部下の相本が大部分をフォローしてくれた。仕事が雑で気分屋な若者と思っていたが、自分などよりもずっと器用に仕事をする。
年が明け、気持ちは新たになったと思っていたのに、間もなく、病休の手続きを取った。
奇しくも翌2月、厚生労働省において第44回社会保障審議会医療部会が開催され、ここで新専門医制度が動き出したことが、明確に確認された。中央病院においても畑野がきっと滞りなく手続きを終え、2017年度には新人専攻医たちが採用されることとなるだろう。
スウェットに着替え、小菅は家を出た。
空はまだ薄暗くて、朝の澄んだ空気が満ちている。人に会いたくはないが、曾孫川沿いの道を行き交う人は、ジョギングか犬の散歩か、小菅にとってはただの風景だった。
ふと、向かいから、見知った顔が歩いてきた。
まずいと思い、小菅は目を伏せた。よりによって、財務経理課の嶋野だ。彼は何となく自分と似たような雰囲気を感じて、ずっと気にかけていた後輩だ。出勤前だろうか。
さすがに素通りできず、立ち止まって「久しぶり」と声をかけた。嶋野はぺこりと頭を下げ、「お元気ですか」と答えた。
いつだったか嶋野に、ハクセキレイの話をしたことがある。彼は、すずめが好きだと答えた。この遊歩道には、ハクセキレイも、すずめの群れも、よく姿を見せる。
「待ってますね」
そう言って嶋野はすれ違い、歩いて行った。しばらくして小菅も、逆方向へと歩き出した。
時々、考える。いつか症状が治まって、もう一度職場に行こうとしたとき、背中を押してくれる何かがあるとして、それは何だろうか。
心の片隅には、良い仕事をしたいという気持ちがあった。誰かと一緒に、良い仕事をしたい。
きっと明日も、自分は朝日を見るだろう。
その意味が、少しだけ変わる気がした。
最初のコメントを投稿しよう!