2024-2025 冬

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「最近どう? 体とか、無理してない?」 「大丈夫そう。この前検査だったけれど、再発もしていないし」  桃子はいつも真っ先に美緒の体調を心配してくれる。それを聞いて安心したのか、ふふっと笑う声が聞こえてきた。 「浅香君は?」 「え?」  凪が口にしたその名前に美緒は少し動揺してしまう。 「今医学部の六年だっけ?」 「国家試験あるんだよね。大変そう……」 「まあ、浅香君の事だから問題ないとは思うけど」 「あれ? 美緒ちゃん、どうしたの?」  ツンッと楽しそうに桃子が美緒の頬をつついた。凪も顔をあげて、良く見えるように髪を耳にかける。美緒の顔がうっすらと赤くなっていることに気づいた桃子がニヤニヤと口角をあげているのを見て、凪は「あんまりからかわないの」と諫める。美緒は、俊の話をするか少し迷った。まだ一緒に暮らしている由梨や雅弘にも話していない『あの事』について、この日に至るまでずっと悩んでいた。美緒はぎゅっと手を握る。誰かに聞いてほしかった美緒は、二人に打ち明けていく。 「あのね……結婚しようって、言われて……」  美緒の小さな声に、桃子は「キャー!」と騒ぎ始めて、凪は「おー」と感嘆の声を漏らした。 「おめでとー!」 「やるじゃん、浅香君も。それで、返事したの?」  手のひらに爪が食い込む。 「……まだ」  美緒の晴れない表情を見た二人は顔を見合わせた。桃子が前のめりになる。 「どうして? 私は二人はとってもお似合いだと思ってるよ、今も昔も」  その『昔』のままでいられたら、こんなことで迷うことはなかったんだろうなと美緒は思った。 「でも、ずっと、不安に思っていることがあって」  病気の治療を終えてから、美緒の体に起きた悪い変化はまだあった。その一つに、生理があまり来なくなってしまったこと。来ても数か月に一度、これが続くなら妊娠をすることだって、家庭を望むことだって難しい。それに、再発するかもしれないというはかりしれない恐怖。自分の残り時間は想像している以上に、きっと短い。俊と一緒にいられるのはほんのわずかかもしれない、そんな人生に彼をつき合わせてしまってもいいのだろうか。それに目が覚めてから、以前の記憶を失っていると知ってしまった日からずっと体にまとわりついているあの感情。 「ずっと、ずっと悪い事をしてるんだって思ってて。みんなに、俊君にも」  ねばりつくように体を覆っていたのは、罪悪感だった。今の自分は『美緒』の皮を被った全くの別人、美緒の偽物。俊が好きなのは、今の美緒じゃなくて以前の美緒に違いない。彼は仕方なく今の美緒と一緒にいるのかもしれない。ならば、私は――偽物の私は彼の横にいるべきじゃない。美緒は心の底に溜まっていた物をすべて吐き出していた。桃子は美緒の手を握る。 「あのね、美緒ちゃん」  美緒は顔をあげなかった。けれど、桃子は話を続ける。 「俊君はずっと美緒ちゃんの事が好きだったよ。私、高校に入ってからしか知らないけど、美緒ちゃんの事を特別に想っているのはすぐに分かった。でも、それは今も変わらないよ」  美緒の手がわずかに震えるのが桃子にも伝わってくる。 「今の美緒ちゃんの事も、俊君は特別な女の子だって思ってる。今も変わらず美緒ちゃんの事が好きなの、俊君は」 「……でも」 「でも、じゃない! それに、美緒ちゃんは今の自分が偽物なんて言うけど、私たちは今の美緒ちゃんとの付き合いの方が長いんだよ。偽物なんかじゃない、私は、今の美緒ちゃんも好きだから友達続けてるの!」  前のめりになる桃子のイヤリングが揺れた。 「美緒ちゃんが不安に思っていること、全部俊君に打ち明けるべきだよ。俊君なら絶対に受け止めてくれるから、ね。凪ちゃんもそう思うでしょ?」  桃子は隣に座っている凪を見た。しかし、桃子はそこで言葉を失ってしまう。凪の瞳の色がどんよりと暗くなっていることに気づいてしまったから。 「美緒はいいよね、恵まれてるよ」  その声が雪や氷よりも冷たく感じられて、美緒は顔をあげた。凪は自分の言葉を後悔するように、すくっと立ち上がった。 「ごめん、頭冷やしてくる」  そのまま席を外して、しばらくの間帰ってこなかった。 「美緒ちゃん、大丈夫?」 「う、うん……」  凪の言葉は冷たかったけれど、美緒はその通りだと思っていたからあまり気にならなかった。でも、自分の考えが凪を苛立たせてしまったと後悔してしまう。 「凪、ちょっとイライラしていること多いから。……凪の夢が叶わなかったせいだと思う」  凪がCAを目指していたのは今の美緒も知っていた。ずっと英語の勉強をしていて、養成スクールにも通って、とても頑張っていたその姿を見ていた美緒は言葉にはしなかったけれどとても尊敬していた。でも、2019年末から始まった新型感染症の影響で志望していた航空業界の就職試験が軒並み中止になってしまった。凪は諦めることができずわざと大学を留年してまで受験の機会を待って、ようやっと受けることができたけれど……結果は不採用だった。それ以来少し荒んでいるみたいだった。美緒もその頃の事を思い出す。由梨が心配してしまうので感染症が流行している間は外出は控え、家でじっとしていた。メッセージアプリでは2人と会話をしていたけれど、ある日を境に凪の口数は一気に減ってしまった。それが、彼女の夢が手のひらからこぼれ落ちていった頃と重なっていた。
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