2024-2025 冬

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「気にしなくて大丈夫だよ。美緒ちゃんは美緒ちゃんの事だけ考えよう」 「……うん」  優しいフォローを受けても、美緒の胸にはさらに罪悪感が募っていくだけだった。戻ってきた凪はその後口を開くことはなくて、三人は気まずいまま解散した。 「……ただいま」 「あれ? 美緒ちゃん、早かったね。友達と遊んでくるんじゃなかったの?」  家に帰ると、リビングでは雅弘が雑誌を開いている。どうやら今日の献立を考えているみたいだった。由梨の声は美容室の方から聞こえてきた。 「ちょっと、色々あって」 「そう? お茶でも淹れようか?」 「大丈夫です、自分でできるから」  冷蔵庫を開けて麦茶を出し、グラスに注いでいく。食器棚には美緒の茶碗と、二人がお揃いで買った夫婦茶碗が入っている。そうだ、と美緒はあることに気づいた。結婚の先輩が身近にいた。 「あの、雅弘さん。聞きたいことがあるんですけど」 「どうぞー。改まってなんだろう?」  美緒は雅弘の正面に座る。首を傾げる雅弘に美緒は「どうして結婚しようと思ったんですか?」と思い切って尋ねた。雅弘は一瞬言葉を失ってから、クスクスと笑い始めた。真剣に聞いたのに、と美緒は少し肩を落とすと慌てて「ごめん」と手を振る。けれど、まだ少し笑っていた。 「一緒に暮らすようになってもう10年近いのに、初めて聞かれたなと思って」  少し考えるように手のひらを見てから、雅弘は昔話を始めた。 「僕が由梨さんに一目ぼれしたんだ。美緒ちゃんが初めて病院内の美容室に来た日、僕が髪を切った時に」  彼が勤める美容室に行って髪を切ってもらった話は、由梨からも雅弘からも聞いていたから知っていた。 「たまたま仕事も同じで、話も合って。でも勇気が出なくて、由梨さんは美緒ちゃんを支えるので精一杯で恋愛なんて二の次だったみたいだし。でも、その姿を見て、僕が由梨さんの力になりたいって思ったんだよ」  雅弘は開きっぱなしだった雑誌を閉じる。 「美緒ちゃんが退院した日、僕が家まで送ったでしょ? その時、二人きりになる機会があってさ、今だ! って思って結婚を申し込んだ」 「……付き合ってないのに?」 「そうそう。付き合ってください! って言うつもりだったのに、先走って結婚してください! って言っちゃったんだよ。由梨さん、びっくりしてたなぁ。目なんてまん丸にしてさ。でも、その後に今度は僕がびっくりしたんだよ。由梨さんが『不束者ですが、どうぞよろしくお願いします』なんて言うから。断られると思って覚悟してたのに」  雅弘はそれを思い出したみたいで、今度は嬉しそうな声で笑った。 「まあ、そんなわけで僕は由梨さんの側で由梨さんを支えることができるようになったんです。どうだった? 参考になった?」  美緒は少し考えるようにうつむいた。雅弘は焦って、美緒に「え? 大丈夫?」と聞いてくる。 「あの、一緒にいたいからって理由で、結婚するのはどう思いますか?」 「え?」  思いがけない質問に雅弘はガクッと体を揺らす。 「雅弘さんは、お姉さんの事を支えたいからって言っていたから……単純に一緒にいたいだけっていう理由はどう思うんだろうって」 「いやいや。むしろ、一緒にいるための手段の一つだよ、結婚するっていうことは」  美緒の不安げな表情を見て、雅弘はあることに気づいてしまった。顔がカーッと熱くなっていくのを感じる。これってまさか、もしや……っ! 「もしかして、美緒ちゃん……俊君にプロポーズされた?」  隠すことが出来なくなった美緒は小さく頷く。雅弘は声にならない叫びをあげた。 「いつ? いつの間に? あ、由梨さんに言わないと!」 「待って、お姉さんにはまだ言わないでください」  美緒は慌てて雅弘を口止めする。まだ俊と結婚すると決めた訳じゃないから、姉に誤解をされては困る。それに、自分の言葉でどうするのかを伝えたかった。だって、由梨にはずっとお世話になっていたから。それを汲み取ってくれてたのか、雅弘は深く頷いた。 「晩ご飯ができるまで部屋で休んでいたらいいよ。久しぶりに友達に会って疲れたでしょう?」  雅弘はそう言って立ち上がって、先ほどの雑誌を片手にキッチンに向かう。それを見送った美緒は言われた通り部屋に戻る。イヤリングを外してアクセサリー箱の中に入れる。バッグの中も整理しようと開けてスマホを取り出した時、電話の通知が来ていることに気づいた。凪からだった。美緒は少しためらい、勇気を出して折り返す。 『……美緒?』  凪の声は先ほどと比べるととても落ち着いているようにも聞こえた。 『さっきはごめんね。私、イライラして変な事言っちゃった。本当にごめん』 「ううん、大丈夫。私こそ、自分の話ばっかりになっちゃったから」  美緒は椅子に座る。机には高校生の時に撮ったであろうプリントシールが貼ってあった。そこに写っているのは桃子と凪、そして美緒。ロングヘアの時と、今よりもずっと短い髪の時の美緒の姿がそこにある。表情は分からないけれど、三人ともとても楽しそうであることだけは分かった。これを撮ったときの美緒が大切にしたいと思っていた三人の友情は、今の美緒にとってもかけがえのないものになっていた。だから、友達が悩んでいたり困っていることがあるならば、助けになりたい。何もできないかもしれないけれど、話を聞くだけでも……美緒はそう思ってぐっとお腹に力を込める。
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