2016 夏 -2-

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 数日が経って、終業式の日がやって来た。帰り際に先生が言った「進路調査票の事、忘れずに家の人と相談しておいてくださいね」という言葉に、美緒は肩を落とす。今、由梨に進路調査票の話をすることはできなかった。いつも深くため息をついては、美緒の前ではカラ元気を見せる姉に将来の話なんて、今の美緒にできない。先日配られた調査票はリュックの中で今も眠り続けている。 「ねえ、美緒ちゃん!」  そのリュックを背負おうとしたとき、桃子が近づいてきた。凪も一緒にいる。 「今日、この後って何か用事ある?」 「ううん、何もないけど」 「じゃあさ、久しぶりに三人で遊びに行こうよ!」 「遊びに?」  美緒が凪を見ると、凪は頷いていた。 「夏休みだし、三人でパーッとしたいよねって桃子と話をしてたんだけど、どうかな? 無理にとは言わないけど」 「行きたい! 行く!」  雲の切れ間から見える日差しのように、美緒の薄暗い心の中に光が差し込んでくる。 「お姉ちゃんに連絡するからちょっと待ってて。あ、あと俊にも」 「OK! ゆっくりでいいよ」  久しぶりに明るい表情を見せる美緒に、二人は彼女に気づかれないようにほっと胸を撫でおろしていた。  すぐさまメッセージを送ると、由梨からは「あまり遅くならないでね」と返事がすぐに来た。美緒は俊を探しに廊下に出る。先にホームルームが終わっていた彼は美緒を待っていたのか、廊下の壁にもたれかかる様に立っていた。俊も、美緒が明るい顔をしているのを見て驚き、安心するように表情を和らげた。 「凪と桃ちゃんとで遊んでいくことにしたの」 「分かった。……無理するなよ」  二人に聞かれないように俊がそっと囁くと、美緒は頷く。俊は玄関で三人を見送り、バス停まで歩いていく。一人で帰るなら、と彼にはあることを考えていた。 「お昼、何食べる?」 「はい! 私、新作ハンバーガー食べたいです!」 「桃ちゃんって、ハンバーガー好きだよねー」  三人の楽しそうな声が遠くから聞こえてきて、俊は振り返った。彼はその当たり前の日常がこんなにも愛しいんだと、最近は深く実感するようになっていた。  ファーストフード店でお昼ごはんを食べて、凪が服を見たいというのでファッションビルに入っていく。凪が好きなブランドショップは二人はあまり行くことがない場所なので、二人は色んな服を体に当てては鏡に映し、それぞれ評価しあっていく。凪が好む服装はどれも大人っぽくて、二人には似合わないねという結論で落ち着いた。シンプルなカットソーを買った凪が出てきて、次はどこに行く? となったとき、桃子が高らかに手をあげた。桃子はいつも率先してアイディアを出してくれる。 「プリ、撮りに行こ!」 「いいよ。確かここの地下、ゲームセンターだしあると思う」  桃子は美緒の背中をぐいぐいと押して、エレベーターまで直進していく。三人きりで乗ったエレベーターの中で、桃子はうっとりと口を開いた。 「やっぱり美緒ちゃんの髪って綺麗だよね。キューティクルつやつや」 「お姉さんが手入れしてくれてるんだっけ?」 「うん」 「そりゃそうだよね~、お姉さん美容師だもん。今度どんなシャンプー使ってるかだけでも教えてくれないかな……でも高そう」  コロコロと表情が変わっていく桃子を見て、美緒は笑っていた。久しぶりにこんなに笑っている気がする。三人で撮ったプリントシールの中の美緒も、とびっきりの笑顔を見せていた。ペイントコーナーで装飾していく桃子と、過剰なデコレーションを止めようとする凪。二人を見つめていると、小さな頭痛がすばやく美緒の頭の中を走り抜けていく。美緒は一気に現実に引き戻されていくような気がした。  美緒が気がかりだったのは病気の事だけじゃない。二人に中々自分の病気を打ち明けられずにいる事も気がかりの一つだった。凪も桃子も、美緒にとっては親友と言ってもいいくらい仲が良くて信頼している。けれど、病院に搬送されてからずっと美緒の事を心配してくれた二人に病気の事、そして後遺症の話をしたら、きっと今以上に迷惑をかけてしまう。それが申し訳なくて、美緒は二人には黙ったままだった。けれど、いつか話をしないと……この楽しい思い出がなくなってしまう前に。そう思いながら、美緒は電車に乗るために駅に向かう二人を見送った。またね、と手を振る二人の表情は明るかった。  美緒はバスに乗って、帰路につく。とあるバス停に停まったとき、乗り込んでくる人物を見て美緒は驚きのあまり目を大きく丸めていた。 「俊っ?」  空いている席を探していたのか、違う方向を見ていた俊も、美緒の声に反応してびくりと体を大きく揺らした。 「どうしたの? こんな所で……」  美緒は外を見る。そこには市立図書館があった。俊もまだ制服を着ているから、きっと学校帰りにここに寄ったに違いない。 「図書館で勉強していたの?」  そう聞くと、俊は一瞬考えるように眉あたりに力を入れて、カバンを開いた。その中には何冊も、美緒の病気に関係する本が詰まっていた。サッと足元が冷たくなるような感覚が美緒にはあった。ぎこちなく笑みを浮かべた美緒は「どうしたの、これ」と小さな声で尋ねた。 「俺なりにさ、ちゃんと勉強しようと思って、美緒の病気の事」  俊はカバンを閉じていく。インターネットから得られる情報にはいまいち信ぴょう性がなくて、俊は著名な医師が書いた本を探しに図書館に来ていた。きっとそっちの方が信用できる。 「だって、何もできないじゃん、俺。医者じゃないから、美緒の事治すことも出来ない。けれど、知識を付けることはできる。……俺だって、美緒の力になりたいんだよ」
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