2016 秋 -1-

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***  修学旅行の一日目は、北海道・旭川の空港まで移動して、そこから動物園へ! よくテレビでも話題になっている動物園で、動物が大好きな桃子はいつも以上にはしゃいでいた。凪は丸まるとしたアザラシがトンネルの中を悠々と泳いでいくのを口を開けて眺めていて、こんなのも好きだったんだと、美緒は少しびっくりする。集中してアザラシを見つめる凪に京平が声をかけようとしていたけれど、それは俊に止められていた。俊は美緒を見つめて、まるで「騒がしてごめん」と言うように眉を下げる。美緒はそれに首を横に振って答えた。 「何かあった?」  美緒が頭を振っているのが変に映ったのか、凪が聞いてくる。美緒は「何もないよ」とだけ返事をして、持っていた地図に目を落とした。 「ほっきょくぐま館、近いみたい。そっちも行ってみる?」 「もちろん。桃子は?」 「わかんない。どこか行っちゃったみたい」  そう言うと、凪は「仕方ない子だね、ホント」と笑いながら電話をかける。桃子はもうほっきょくぐま館にいて、二人はそれに合流するような形で向かった。  初日は本当に調子が良かった。まるで病気なんてないみたいに体が動いて、疲れも感じることはなかった。きっと気分が高揚していたからだろう。二日目はバスに乗って、北海道の自然を感じることができる美瑛に寄ってから札幌に向かう。その途中で、美緒は吐き気と頭痛に襲われていた。 「武田さん、大丈夫?」 「……はい」  きっと長時間バスに乗り続けて酔ってしまったのだと思う。そう保健担当の先生に言って処方されていた鎮痛剤を飲み、美緒は深く息を吐いた。観光名所である大きな公園についたけれど、美緒はバスを降りず少し休むことにした。桃子も凪も心配してくれて残ろうとしてくれたけれど、美緒は二人を送り出した。まだ全てを打ち明けていないのに、先生との話を聞かれたらきっと知られてしまう。それに、二人には楽しんできて欲しかった。桃子は「写真、いっぱい撮ってくるね」と言ってくれたから、それを楽しみにしよう。目を閉じていると薬がじわじわと頭の中に広がっていくような感覚があった。痛みが遠ざかり、吐き気も落ち着いて来る。美緒は目を開けて、ミネラルウォーターを一口飲む。窓を見ると、鮮やかな花畑が広がっている。美緒はせめてここから見える景色だけでも楽しもうとしたとき、バスの乗降口あたりからトントンという音が聞こえてくる。それを不思議に思っていたのは美緒だけではなく、一緒にバスの中にいた保健担当の先生も同じだったみたい。先生は立ち上がってドアを開けた。 「浅香君、よね? 一組の」 「はい、あの、美緒……じゃなくて、武田さんに用があって……」  俊だ! 美緒は顔をあげる。 「武田さん、今具合が悪くて休んでるの。また後にしてもらってもいい?」 「先生! 私なら大丈夫です」  美緒が大きな声を出すと、保健の先生は「仕方ないわね」と言わんばかりに深く息を吐いた。俊は先生に「ありがとうございます」と言って、美緒が座っている座席に近づいて来る。手には薄紫色のソフトクリームを持っていた。俊は隣に座る。バスの座席は少し狭くて、俊の体温が美緒にじんわりと伝わってきた。それが何だか恥ずかしかった。俊はそれに気づいていないのか、いつもと変わらない横顔をしていた。 「ラベンダーソフト。ラベンダー咲いてないけど売ってた。どう? 食べない?」  パステルパープルのソフトクリーム、それを見ているとなんだかお腹が空いたような気持になる。美緒が「いいの?」と聞くと、俊は頷いた。 「美緒のために買ってきたんだから」 「ありがとう」  美緒が受け取ろうと手を伸ばすと、俊はソフトクリームに刺さっていた小さなスプーンですくって、美緒の口元に差し出した。 「あーん」 「やめてよ、恥ずかしい!」  保健の先生だってそこにいるのに。子ども扱いされているみたいで恥ずかしい。美緒はぷいっと顔を横にそむける。 「でも病人だろ?」 「一人で食べられるから!」  美緒は少し強引に俊からソフトクリームを受け取った。一口食べると、ラベンダーの香りが口や鼻に広がっていく。それが過ぎていくと、甘いソフトクリームの味だけが残った。俊はスプーンに乗った分を一口食べて「思ってたより美味しい」と話す。  冷たいソフトクリームを食べていると、頭が少しずつクリアになっていく。美緒の横顔を見ていた俊は一瞬だけ眉をひそめて、それが美緒にバレないようにいつもの表情に戻してから、小さく真剣な声で美緒に尋ねる。 「由梨姉ぇに連絡して、今からでも迎えに来てもらうか?」  美緒は驚いて、首を横に振った。俊だって背中を押してくれたのに、今更そんな事を言うなんて。心配してくれているのは分かるけれど。 「まだ、凪と桃ちゃんに病気の事、話してない」  修学旅行の目的に、二人に打ち明けるという事があった。これが終わったら、美緒は休学して治療に専念しようするため、二人とも気軽に会えなくなる。だから、三人でゆっくりできる、最後の時間だった。それに……と隣にいる俊をちらりと見た。俊は「ん?」と首を傾げる。その表情は幼い時とあまり変わりないようにも見える。  俊にも告白したかった。こっちは病気の事ではなく、好きだという気持ちを伝えるという意味で。記憶がなくなってしまう前に、どうしても俊には、今の自分の気持ちを打ち明けたい。 「無理に話す必要はないんじゃないか?」  いつもなら優しく後押ししてくれている俊はそう言った。 「美緒が話そうと思うほど、怖い顔になってる。気づいてる? もし美緒が話しても良いって言うなら、俺から言うことも出来るけど?」 「でも、二人とも友達だもん。親友だもん! 自分の口で、自分の言葉で話したいよ」
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