2016 夏 -1-

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「俊君って進路どうするの?」 「俺? 医学部に行くつもりだけど」 「あ、やっぱりそうなんだ。俊君って頭いいしね」  俊の言葉に、美緒は特に驚くことはない。彼の家は医者一家。両親は皮膚科を開業していて、俊のお兄さんも今医学部に通っている。彼の優秀さをよく知っている二人も納得している様子だった。 「そっちのクラスも進路調査票配られたの?」  俊の影から、彼の友達である牧村 京平が顔をのぞかせた。俊と同じクラスの彼にも進路の事を聞くと、京平は凪をチラチラと見ながら答える。 「とりあえず、東京の有名私大かな。そこからいい所――メガバンクと――に就職するのが今の目標」  それが彼なりの凪へのアピールだったらしい。突然胸を張って、こんなことを言い放った。 「いい所に就職するからさ、凪ちゃん、俺と付き合ってくれない?」 「イヤ」  突然の告白を凪は即答で断る。京平は凪に一目ぼれをして以来ずっと片想いで、ことあるごとにこうやって告白をしては、あっさりと断られる。それはまるで習慣のようにもなっていた。もう美緒も桃子も、俊だって気にしなくなっている。しかし、断られるたびに京平は肩を落としていた。 「そうだ! 美緒ちゃん、お姉さんみたいに美容師になるのは?」  桃子の提案に俊が噴き出すように笑った。美緒がムッと怒ったことに気づいた俊はすぐに謝る。けれど、まだ顔が笑っていた。 「美容師なんて向いてないよ、美緒は。こう見えて不器用だから」 「そうなの? 美緒って料理上手いし、そんなイメージなかった」 「前に由梨姉ぇにやめろって言われたんだよな」  由梨に言われた事を思い出して、美緒は恥ずかしくてみるみる小さくなっていく。それはまだ小学生の頃、由梨の仕事ぶりに憧れた美緒が「美容師さんになろうかな」と言ってみた時、全力で止められた。 「アンタ器用じゃないんだから、きっと自分の指をハサミで切っちゃって、お客さんの髪を血まみれにするよ。だからやめておきなさい」  美緒はそれに言い返すことができなかった。幼かったころの美緒は不器用で、絆創膏をよく指に巻いていた。それを俊もよく知っているから、彼は美緒に美容師の仕事したら? なんて勧めてくることもない。 「もう! 俊も笑ってないで早く行ってよ、お昼休み終わっちゃうよ」 「はいはい、じゃあな」  手を振って背中を向ける俊を、美緒は軽く睨んだ。ひらひらとアピールをするように手を振る京平を無視して、凪は「相変わらずの美緒博士だね」と俊を見つめながら言う。 「あんなことで笑わなくたっていいのに」  美緒は憤慨した後、小さく息を吐いた。 「でも、みんないろいろ考えてるんだね。頭痛くなってきた」 「美緒ちゃんも卒業するまでには何とかなるよ! 大学入ってから決めてもいいわけだし」 「そうなんだけど……」  美緒はこめかみのあたりを抑える。ズキズキと感じていた頭痛が、次第に頭全体に広がっていくのを感じていた。 「ちょっと、薬飲んでくるね」 「また頭痛? 美緒、最近薬飲み過ぎじゃない?」  大丈夫なの? と凪が心配してくれる。けれど、その声がとても遠くから聞こえるように感じた。まるで地面が大きく揺れているかのように美緒の足がぐらりとふらつく。いつもの頭痛と少し様子が違うような気がする。でも、リュックに入っている薬さえ飲めば落ち着くはずだから。自分に言い聞かせるように美緒は席に置いてあるリュックに手を伸ばした。その瞬間、まるで頭が爆発してしまいそうになるくらいの強烈な痛みと、体の底からこみ上げてくるような吐き気に襲われていた。体に力が入らなくて、美緒は崩れ落ちるようにその場に倒れ込んでいた。呼吸が苦しくて仕方ない、まるで水の中で溺れているみたい――そう思った瞬間、美緒はそのままぷつりと意識を失くしていた。 美緒の体が机にぶつかり大きな音を立てて倒れていくのを、桃子と凪は見逃さなかった。 「美緒!」 「美緒ちゃん!」  二人は駆け寄る。しかし、どれだけ美緒の名前を呼びかけても、肩や頬を叩いても彼女は反応しない。教室中がざわめき始める。凪はぐったりとした美緒の体を抱き起こし、何度もその名前を呼ぶ。桃子は焦りながらも立ち上がっていた。まずは先生に連絡して、救急車を呼んでもらって――廊下を飛び出して職員室に急ぐ。その途中で、先ほど見たばかりの俊の背中が見えてきた。まるで藁にでもすがるように、桃子は俊の名前を叫んでいた。 「俊君!」  その切迫した声に驚いたのか、俊はすぐに振り向いた。 「み、美緒ちゃんが!」  真っ青になっている桃子の表情を見て何かを察した俊は、持っていたお弁当を投げ出して、美緒の教室まで走り出していた。
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