2016 夏 -1-

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 バスの座席に座った美緒は窓にもたれかかり、外を見つめた。慣れ親しんだ街なのに、美緒は遠く離れた場所に来てしまったような孤独感ばかり感じていた。寂しい、つらい、美緒がそう思った時、いつも行く場所があった。美緒は自宅近くのバス停ではなく、少し手前で降りる。足は自然と、小さな頃よく遊んでいた公園に向かっていた。美緒は嫌なことがあるとこの公園のベンチに座り、嫌な気持ちがなくなってしまうまで待っていた。美緒は夕暮れのオレンジと夜の深い青色のグラデーションを見ながら、小学一年生の時の事を思い出していた。  それは小学校の入学式が終わって、まだそんなに時間が経っていないある日の事。美緒の両親は交通事故に遭い、二人とも帰らぬ人になってしまった。まだ専門学校に通っていた姉や親族は慌ただしく、お葬式の事や亡くなった後の手続きに奔走されていた日々。両親がいっぺんに亡くなってしまった美緒の悲しみを癒してくれる人はいなかった。夜が来るたびにその寂しさは深まり、悲しくて仕方がない時が来たら、美緒は家を飛び出してはこの公園に来ていた。ベンチに座って、ただぼんやりと星を眺める。星の名前なんてひとつも知らないけれど、その小さな瞬きが美緒に寄り添ってくれる。そして、ここに来ると美緒は必ず『一人ではなくなった』。 「やっぱりいた」  美緒がこのベンチに座って悲しみを癒していると、必ず俊がやってくる。美緒は拙い口調で「俊ちゃん」と彼を呼ぶ。小さな頃は俊の事をいつもそう呼んでいた。彼は何も言わず、美緒の隣に座って、わずかに震える手を握って同じように星を眺める。その横顔を見つめながら、美緒は一度聞いたことがある。 「どうして俊ちゃんは来てくれるの?」  俊は少し考えて、こう答える。 「美緒が呼んでいるような気がしたから、来た」  美緒は俊の手を握り返した。目の奥からじんわりと涙が溢れそうになり、鼻の奥がつんと痛む。俊も美緒の手を強く握る。 「美緒が大丈夫になるまでさ、俺、ずっと隣にいてやる。絶対に美緒を一人になんてしないから」  その優しい言葉を聞いているうちに、美緒が感じていた悲しさも寂しさも癒えていくような感覚を覚えた。  今、俊さえ一緒にいてくれたら――美緒が強く願った時、長い影が近づいてきた。ハッと顔をあげると、目の前には願ってもやまない姿があった。息を切らせて肩を上下させ呼吸している、きっと走って来てくれたんだと美緒にはすぐに分かった。 「……俊ちゃん?」  俊がそう呼ばれるのは本当に久しぶりだった。彼はその短い言葉から、彼女の心のうちをすべて悟る。強く両の拳を握ると手のひらに爪が食い込む。しかし、美緒はそれ以上の痛みを感じているはずだ。俊は感情的にならないように、努めて冷静さを保った。 「由梨姉ぇから全部聞いた」  その声は、美緒にはいつもの俊よりも大人っぽく聞こえた。本当に全部聞いたようで、俊は病気の事も、手術しなきゃいけない事も、後遺症の事も全て知っていた。俊の口からその言葉が続くと、やっぱりあれは現実だったのかと実感させられる。美緒が目を閉じた瞬間、堪えていた涙がぽとりと彼女の膝に落ちた。堰をきったように溢れ出したそれを、美緒は抑えることができなかった。俊は歩み寄り、泣きじゃくる美緒の隣に座る。 「どうして私なの? どうして私だけ?」  何度も頭で繰り返していた言葉。なんで私だけが、こんなにつらい思いをしなければいけないの? もしかしたら、神様は美緒の事が嫌いなのかもしれない。だから幼い時に両親を奪い、今は病魔が襲ってきた。いや、きっと神様なんていないんだ。もしそんな尊い存在が本当にいたならば、不幸になる人なんて一人もいないはずなのだから。 俊はぼろぼろと涙の滴を流す美緒の肩を抱き、そのまま自分の胸元まで抱き寄せた。肩を震わせて泣きじゃくる美緒は俊のシャツをぎゅっとすがる様に掴んだ。そして消え入りそうなくらい小さな声で呟く。 「俊ちゃん……私、死にたくない」  その言葉を聞いて、俊は強く彼女を抱きしめる。細い肩、小さな背中、自分に見せる笑顔。彼が愛した全てを、いとも簡単に奪われてたまるかと言わんばかりに、強く。 「大丈夫だ、美緒」  俊の声が耳に響く。 「俺が美緒の事守るって約束しただろ。俺は絶対に、美緒を死なせたりしないから」  彼は美緒を救う術は持っていない。それなのに、その言葉が今の美緒にはどんな薬よりも魔法よりも効果があった。荒れ狂っていた心が次第に落ち着いてくる。美緒はぎゅっと俊に体を近づける。どうかこの体温を忘れてしまう日が来ませんように、その願いは涙と共に彼の肩に染み込んでいく。  美緒はふと、幼かったころの願いを思い出した。彼と二人で過ごしていた晩、流れ星が通り過ぎていった時に願った想い。 ――どうか、ずっとずっと、大人になっても俊ちゃんと一緒にいられますように。
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