夕立に映る影

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
夏の夕暮れ、いきなり空が暗くなり、ゴロゴロと低い音が響いてくる。 「夕立が来るな」雑踏の中、誰かが呟く。  ここは都心の繁華街。老舗百貨店の前の歩道だ、目の前の車道をスピードを出した車が走ってゆく。  雷鳴がとどろく、それを合図のように夕立が降りだした。百貨店のウインドウを覗くとスーツ姿の私が映り、こちらを見返している。 「え、馬鹿な」 思わず声を出してしまったが、雨音で回りには聞こえない。 隣で雨宿りをしていた同年配の若いサラリーマンが、ウインドウに映る私を見てぎょっとした表情を浮かべ、私の立っている歩道とウインドウを何回か見比べたのち、首を振りながら足早に立ち去った。  サラリーマンの気持ちはよくわかる、私は 歩道に立っているが人の目には見えないのだ。なぜなら私は幽霊なのだから。  ウインドウに映っている事自体がおかしい。  ためつすがめつウインドウに見入っていると、雨足が急速に弱くなっていく。それと共にウインドウの私は薄くなる。雨が上がると同時に消えて無くなってしまった。  一年前の夏、今日と同じ夕立の時、恋人に渡す婚約指輪を受け取る為、百貨店に向かっていた私は無謀運転の車にひかれてしまった。  それからずっとここに立ち尽くしている。  どうしても彼女の事が忘れられなくて、ここから動く事が出来ない。  どういう事だろう、死んでから一年、今までウインドウに姿が映ることなんてなかったのに。  三日後、また夕立が来た。ウインドウを覗く、映っている。若いサラリーマン姿。濃紺のスラックスに水色のクールビズシャツ。茶色の革靴。髪を短く刈り、メタルフレームの眼鏡をかけ、ショルダーバックを下げている。  まごうことなき私の姿、一年前にはねられた時の服装だ。  雨が上がりそうだ、ウインドウに映る私が少しづつ薄くなってゆく。  その時だ、雨の向こうから小柄な影がやってきた。右手で傘を差し、左手に花束と紙袋を下げている。  影は車道と歩道を分けるガードレールの根本に花束を置き、紙袋から私の好きだった銘柄の缶コーヒーを取り出すと花束の横に置いて手を合わせた。目を閉じて呟いている。私は横に立ち、彼女の言葉を聞き取ろうとするが、雑踏と雨音にかき消されて分からない。  影は私の恋人、百貨店で指輪を受け取り、渡すはずだった女性。  ウインドウを見てくれ、私がいるから。一目見てくれたら、微笑んで立ち去るから。  彼女が立ちあがり、振り返った時にはもう雨は上がり、ウインドウに私の姿は無かった。  彼女は何かに気がついたように辺りを見渡していたが、軽く首を振り、もう一度ガードレールに向かって手を合わせて立ち去った。  翌年の命日、三回忌だ。同じように夕立が来る、ウインドウに姿が映る、彼女が現れ、花を手向けて缶コーヒーを置いてゆく。  手を合わせて立ちあがり、振り返った時にはもう夕立は止み、私の姿は無い。  そのまま立ち去ってゆく。  三年目、夕立の中彼女がやって来る、何故か隣に私と同じような年恰好の男が立っていた、なんだあいつは。  彼女が振り返った時、雨は上がっていた。  四年目、ゲリラ豪雨のような夕立がおさまりかけた頃に彼女が現れた、去年と同じ男が寄り添っている、昨年よりも距離が近いじゃないか。彼女は手を合わせながら何かを話しかけていた、私は慌てて彼女の口元で耳をそばだてたが雨音が邪魔をしてよく聞き取れない。 話終えた彼女は立ち上がり、男と目を見合わせて立ち去った。 今年もウインドウを見る事は無い。 供えられる缶コーヒーの銘柄が変わった。 五年目には彼女のお腹が大きくなっていた、六年目はベビーカーを押していた、八年目に二人目を身ごもり、九年目で抱っこしていた。ずっと例の男が傍らに寄り添い、ウインドウに気づく事は無かった。 さらに五年が経った。未だに彼女は私に気づいてくれない。 子供を連れた彼女が男と共に現れる。上の男の子は引っ込み思案な様子、下の女の子は勝気そうな顔をしている。女の子がウインドウをのぞき込んだ、不思議そうな表情を浮かべ私を見ている、私はにっこり笑って手を振った。 ウインドウに映る自分の姿を見る、死んだときと同じ若いままだ。彼女は十四年年分歳を重ね、その分の幸せを両手につないでいる。 今更顔をさらす事もあるまい。私はそっとウインドウから離れ夕立の中へ歩き出した。 了
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!