尾張柳生と江戸柳生

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尾張柳生と江戸柳生

 柳生新陰流は新陰流始祖、上泉信綱より「無刀取り」を課せられた柳生宗厳に伝えられ、柳生氏によって伝承された。  柳生宗厳以降、五男の柳生宗矩(将軍家御指南役にして、大目付)の江戸柳生と、孫である柳生利厳(宗厳の嫡子、柳生厳勝の次男、尾張藩御指南役)の尾張柳生とに分派する。  ところが、江戸柳生と尾張柳生は、同門でありながら、仲がすこぶる悪くなる。  どちらが正統、どちらが強いかと、人知れず、醜い争いを繰り広げていた。  徳川幕府が倒れ、廃藩置県、明治の時代になっても、同門の確執は終わらなかった。  そして、令和の現在、新陰流は、尾張柳生の血筋の宗家が継いでいる。  「新陰流兵法転会」「柳生会」「春風館」など、いくつかの系統も、存在する。  そう、私の今は亡き父上は、尾張柳生の血筋の直系で、「円珠館」の館長であった。  私は、その愛娘である。  
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