一縷の

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何年もこの山奥に住んできて、まさか今さら崖から足を滑らせるとは。 嗚呼、手の感覚がなくなってきた。 落下の瞬間、咄嗟に木の根を掴むことができたが、それももういくばももたないだろう。 こんな夜更けだ。誰か僕が滑落したことに気付いてくれるだろうか……。 「お兄さま……?」 小さな声が頭上で響く。 僕の心臓は希望で跳ね上がった! よかった、人が来た! 助かる……! 「アリシア、助けてくれ。僕をここから引き上げて――」 妹を見上げて、僕は愕然とする。 そうだ、アリシアは両腕が無いのだった。 アリシアだけじゃない。妻も、父も、母も、みんな。みんな。 僕がこの手で切り落としたのだった。 「いい気味よ、ゲス野郎。そこで野垂れ死ぬのを見ててあげる」 いつの間にか、僕が腕を奪った全員が崖の上に立ち、憎悪と愉悦に満ちた目で僕を見下ろしていた。 赤いおでこ靴が僕の手を踏み付ける。 僕は、墜ちた。
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