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テントを揺らし続けていた風が静まって目が覚めた。夜明けまでには、まだ時間があったが、山頂でご来光を拝もうと思って早めにテントを出た。山頂までの行程は往復で二時間程度。どのみちテントへ戻ってくるので、重い荷物は置き去りにして、カメラと最低限の装備を小型のザックに押し込んで出発した。
山頂からの景色に息を飲んだ。いつか日向子にも見せてあげたい、そんな事を思いたくなるような絶景だった。刻一刻と変化して行く薄雲の色、迫り来るような日輪の圧倒的な存在感。見つめていた目に涙が浮かび、やがて溢れ出し、目尻から一筋の線となって流れていく。時が経つのを忘れて呆然と見つめた。
俺の仕事に興味を持つようになった日向子は、一緒に山を登るようになった。運動センス抜群の日向子は、山を登ると言う行為を全く苦にしなかった。木漏れ日の中、スイスイと坂道を登って行く日向子は活き活きとしていた。首都近郊の低山では物足りなくなり、ちょっとした縦走なんかもこなせるようになった。
誰も居ない山頂で過ごす最高の瞬間、今度は日向子を連れて来てあげよう、そんな事を考えながら、俺はテントへ向かって標高を下げ始めた。
山頂からテントまでのルートは鎖を伝って下りるところや、切り立ったガレ場が沢山ある。ハイキングをするような登山とは違って危険性は格段に高い。初めて訪れた人ならば、足が竦んで動けなくなる事だってあるかもしれない。だけど熟練した者ならば、さほど恐怖を感じる事は無いだろう。油断せずに確実に歩を進めていけば、何て事の無いルートだ。
テントに戻ったら、片付けを済ませて、次のテント場へ向かう。いくらか気持ちが先走っていたかもしれないが、適度な緊張感は保っていた筈だ。油断などしていない…… していない筈だった。
鎖場を降りて、十数メートル横へトラバースする。足場は靴ニ足分、壁面には凹凸があるので、へばりつくように進まなければならない。もしも滑落したら…… そんな事態は、頭の片隅に追いやり、目先の一歩に集中して先へ進む。
何百回、何千回に一度、ミスが起るかもしれないポイントだった。だけど、この程度の難所は数え切れないほど通過して来た。なんの問題も無い筈……
しかし意識はそこで途絶えた。何百回、何千回に一度起きるかもしれないミスがこのタイミングで起こった。俺はミスを冒したのだろうか。俺としたことが……
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