みんな、嘘つき

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 ぼくは、本当は、かなり早い段階で、その異変に気付いていた。  最初におかしいなって思ったのは、ぼくに内緒で、お母さんとお医者さんが話しているのを聞いたときだった。  その病院は、風邪を引いたときに連れて行かれるような小さな病院ではなく、デパートみたいに大きな建物だった。自動ドアにエレベーター、花屋さんまである。お年寄りがたくさんいる。 「マァちゃんのことで先生と話してくるから、タっちゃんは、ここで待っててね」  お母さんが指をさした場所は、待合席という小さな一角だった。ひっくり返したカボチャプリンのような丸いイスがいくつか並んでいたけど、ぼくの他は誰もいない。何だか寂しい場所だ。  壁際にちょこんと置かれていた本棚に、絵本や童話の本がぎっしりと詰められていた。いかにも子ども向けという感じで、イヤになる。  例えば絵本だけど、ぼくも幼い頃、読んだことのあるものばかりだ。大きなカブをみんなで引っ張ったり、大きな手袋の中に動物がたくさん入ったり、大きな鍋でパンケーキを焼いたり。絵本にはいつだって、大きな何かが出てくる。  お母さんは、お医者さんとマナミのことを話してくると言った。マナミは妹で、まだ幼稚園に通い始めたばかりだ。その妹のことで先生と話というのだから、もしかしたらとても具合が悪いのかなという想像は、子どもにだってできる。  それにいつも元気で走り回っているマナミが、最近は何だかぐったりと寝転がったり、腫れぼったい目でぶすっとしているときが増えたから、少し心配だったんだ。  今日も一緒に来るはずだったんだけど、マナミは「寝てたい」と言って布団から出なかった。だからおばあちゃんが面倒を見てくれている。  ぼくは、お母さんが入っていった部屋のドアに近づいた。  引き戸のドアはぴったりと閉じられて中を見ることはできなかったけど、話し声が聞こえた。ぼくは、耳を澄ませた。  じんぞう、たんぱく、ねふろーぜ、すてろいど。  その二人の声が交互に、難しい言葉を並べる。まるでゲームに出てくる呪文かアイテムの名前みたいだ。  ただ「じんぞう」というのが身体の中にあるものだということは、何となく分かった。要するに、「しんぞう」の仲間だ。  お母さんも「はい」「ええ」と何だか真面目ぶって、冗談を言っているときの声とは全然違った。  そのドアに耳を引っ付けてしばらく聞いていたけど、結局よく分からなかったので、ぼくは待合席に戻った。  ここは、少し寒い。そろそろ秋が終わる頃だ。窓の外には茶色い葉っぱを付けた樹が何本か見えて、ぼくが今日着ているコートの色と同じだなと思った。  お母さんは、まだ出て来ない。マナミに、何かあったのだろうか。  妹はぼくより背が低く、足が遅く、字が書けず、それに絵も歌もまだうまくない。だからぼくがいろいろなことを教えてあげていて、今は、ちょうど成長しているときだ。ぐったりとするようなことはあってほしくない。  そのとき、ドアが開いた。 「タッちゃん、ごめんね。待ったね」  お母さんは、いつもより優しい声で言った。少しだけ、目が赤く見えた。  それから部屋の奥に向かって、お母さんは何度かお辞儀をして、「よろしくお願いします」と言った。ぼくが伸び上がって中を見ると、白衣を来た男の先生と女の先生が、並んで立っていた。  ぼくはお母さんに手を引かれて、廊下を歩いた。 「マナミ、どうしたの?」  最初に通った大きな広場まで来ると、ぼくはお母さんに聞いた。ぼくたちは、黒いソファに並んで腰掛けた。 「マァちゃん、最近ちょっと元気なかったでしょ? それで先週この病院に来て、さっきの先生に診てもらってたの」 「どこか、悪いの?」 「……ううん、ちょっと疲れちゃっただけ。マァちゃんはまだ小さいからね、疲れちゃうこともあるんだよ」  ウソだ、と直感的に思った。  お母さんは、ぼくがまだ子どもだと思っている。いや実際に子どもなんだけど、そういうことではない。 「だから何も心配いらないよ。タッちゃん、優しいね」  お母さんは少し笑った。ぼくを騙せたと思って、安心したんだ。僕はお腹が熱くなって、もう口を聞くのをやめた。  病院の入り口を抜けると、冷たい風が吹いた。やっぱり、どうしても気になる。 「お母さん、ちょっと、トイレ。待ってて」 「あっ、一人で大丈夫? 場所わかる?」  お母さんがそう言うよりも早く、ぼくは走り出していた。今通ったばかりの自動ドアをくぐって、さっきの場所へ急ぐ。  忘れようったって忘れない、寂しい部屋だったんだから。  あの先生たちは、まだいるかな。  男の先生は眼鏡をかけていて、ちょっと太ったおじさんだ。女の先生はもっと年上で、おばあちゃんと同じくらいのおばさんだった。  走って、あの部屋の前まで来た。ドアは相変わらずぴったりと閉まっていたけど、曇りガラスが光っている。ぼくは呼吸を整え、ドアを少し開けた。  二人はパソコンの画面を覗き込んでいたけれど、すぐにこちらに気付いた。 「あら……あなた、さっきの子じゃないの」  ぼくは「はい」とだけ言った。聞きたいことははっきりしているのに、それが言葉にできない。 「マナミちゃんのお兄ちゃん?」  男の先生が言った。ぼくが答える前に、女の先生が「そうよ」と答えた。 「何か、お母さんの忘れ物?」 「えっと、そうじゃなくて、マナミのこと、マナミ、最近あまり元気ないから、その……」 「分かった、心配なんだろう。小さくても、お兄ちゃんだな」  男の先生は言った。小さい、は余計だ。 「お母さん、聞いても話してくれなくて、心配いらないって」 「そっか、それはお母さんの言うとおりよ。お兄ちゃんは、いつも通りマナミちゃんに優しくしてあげて」  でも、お母さんは、目を赤くしていたんだ。 「お兄ちゃん、しっかりしてるねえ。それなら私たちも、ちゃんと自己紹介しなきゃね。私は、子どもの病気を治す医者で、サワタリっていいます」 「僕は、腎臓専門のマエカワです。腎臓って分かるかな? お兄ちゃんの名前は?」 「えっと、あの、キタジマタツヤです」  大人たちに自己紹介をされて、何やら妙な気恥ずかしさと、緊張と、誇らしさが入り混じった。 「私たちがしているのは、マナミちゃんが元気になるお手伝いよ。でもね、お母さんもお父さんも、それにタツヤくんもいるから、大丈夫」  子ども扱いされていると思った。たった今、対等に名乗り合ったばかりなのに、それだってぼくを騙すためのものだったんだ。  大丈夫なんて言葉、何の意味もないことを、ぼくは知っている。だってそれは、おまじない(、、、、、)と同じだ。  お母さん、目を赤くして、多分、泣いてた。大丈夫なら、大人は泣かない。この二人もウソつきだ。 「マナミちゃんは、大丈夫よ」  その人はまた同じことを繰り返したので、僕はカッとなって、「ありがとうございました!」と言って部屋を飛び出した。  理由はわからないけれど、お母さんも、二人の先生も、みんなでぼくを騙しているのだと思う。ぼくが宿題のことや玉ねぎのことでウソをついたら必ず叱られるのに、大人は平気でウソをつく。  ぼくは、正面入り口のところまで来た。お母さんは自動ドアのこちら側で待っていた。  ぼくを見ると安心した様子で、手をつないでくれたけど、ぼくはもう、お母さんを信用することはできなかった。  もう何日かすると、さらに寒くなって、外に出るときは、手袋が欠かせなくなった。  ぼくが住む町では毎年必ず雪が降るので、雪だるまを作ったり、雪合戦をする。マナミも楽しそうにそりで遊んでいたけど、今は幼稚園にも行けず、寝てばかりだ。  それでもぼくが近づいて顔を見ていると、時々それに気付いて、こっちを見る。そして笑顔でいろいろ話しかけてくるんだ。だからぼくは、おでこを撫でてやったり、布団を整えてやったり、面倒を見た。  あるとき、お父さんが珍しく早くに帰ってきたので、ぼくはお母さんの目を盗んで、聞いてみた。 「マナミ、どこか悪いの?」  お父さんは背広をハンガーに掛けながら、ぼくを見つめた。 「タツヤ、お母さんから聞いてないのか?」 「ちょっと疲れただけだって言ってた」 「なんだ、聞いてるんじゃないか。そうだよ、マナミはお前より、ずっと小さいだろ?」 「小さい」 「疲れちゃうときもあるんだ。だから時々は、休ませてあげないとな」  そう言うとお父さんは笑って、ぼくの頭をぽんぽんと叩いた。  だけどその日の夜、僕が布団をかぶって寝ていると、お腹に響くような低い音で、お父さんとお母さんの声が聞こえた。  何て言っているかは分からない。二人がケンカした日の夜に、よくこんな声を耳にする。  このお腹に響く二人の声を聞くと、ぼくは胸がドキドキした。嬉しいドキドキではなくて、怖くて、真っ暗闇のようなドキドキだ。  ぼくがあんなことを聞いたから?  マナミのことだろう。ぼくが何かに勘づいていると思ったに違いない。だから慌てて相談をしている。  ぼくは布団を頭までかぶり、目をぎゅっと閉じた。  それからまた何日かしたある日、ぼくが学校へ行く前に、お母さんがぼくに言った。 「今日、マァちゃんをまた病院に連れていくね。今回は入院するの、何日か病院にお泊まりよ」 「お泊まりって、帰ってこないの?」  ぼくは驚いて聞き返した。 「前にも言ったでしょ、ちょっと疲れちゃったから、元気になるお泊まり」 「だって、それって」  もう終わったはずだ、と言おうとした。こないだ病院に行って、先生に診てもらったんだから。  だけど元気になんてなっていないことはマナミを見れば分かるし、これ以上聞くのをやめたんだ。  でも、ぼくがいないうちに、マナミを病院に連れて行かれるなんて。学校に行って、家に帰ってきても、もうマナミはいない。  その日の時間割は、一時間目は国語で、二時間目は算数だった。  沈んだ気持ちで前半の授業を終えると、二十分間の休み時間になった。友達たちはいつもみたいにふざけ合っていたけど、とてもそんな気持ちにはなれなかった。  今頃、お母さんがマナミを連れて、病院に向かっている。マナミは泣いたりしていないだろうか。  いても立ってもいられず、ぼくは、職員室に行った。担任の先生に、マナミのことを話してみようと思ったからだ。先生は忙しそうにしていたけど、ぼくを見つけると、すぐにこちらに来てくれた。 「妹が、入院するんです」  ぼくが切り出すと、先生は少しも驚かずに、ちょっと腰をかがめた。 「キタジマの妹か、実はお母さんから聞いてるんだ。今日だってな」 「えっ」  ぼくは驚いた。なぜお母さんは、先生にマナミの入院のことを話したのだろう。 「キタジマがしょんぼりしているかもしれないからって、わざわざ教えてくれたんだ。いいお母さんだな」  いいお母さん? どうしてそうなる。 「お母さんも、お父さんも、病院の先生も、みんな本当のことを言ってくれないんです」 「本当のことって?」 「だから、マナミの」  先生は少し笑った。だからぼくは、てっきりこの先生なら本当のことを教えてくれるかもしれないと、期待してしまった。 「キタジマに何か隠してると思ったんだな。それは、お前が子どもだから?」 「分からないけど……そうだと思います」 「考えすぎだ。子どもにだって、大事なことは話すさ」 「でも、それって―― 」  言いかけたけど、やめた。結局この先生も、同じだ。いい先生だと思っていたから、残念だった。もうこの先生の授業は、まともには聞けない。  ぼくは落胆して、職員室を出た。  教室に帰ると、友達にも、妹の入院の話をしてみた。  男子の一人は「テレビもおやつも独り占めだな」と笑った。女子の一人は「可哀想だね」と言ったあと、他の女子と好きなアイドルの話を始めた。  ぼくはもう、決意を固めていた。この件は、誰も頼りにしてはいけない。  自分一人でもう一度、病院に行って、あの先生たちにマナミのことを聞こう。ウソをつくような大人たちに頭を下げるのは何ともシャクだったけど、やらなければならない。  決行は、明後日にした。  その日はクリスマスイヴだけど、きっとマナミは帰って来ないだろう。  去年のイヴはマナミの好きなチョコのケーキをみんなで食べた。クラッカーにマナミはすごく驚いて、それがとても面白かった。  朝になったら、プレゼントももらった。  持ってきたのはサンタだとお父さんは言ったけど、本当かどうか分からない。何しろサンタなんていないという説がクラスでは多数派で、どうも最近は分が悪いのだ。  さて、決行までに、やることがある。ぼくが最初に取り掛かったのは、あの病院の名前と行き方を調べることだった。  あの日はお母さんの運転する車で行ったが、バスか電車で行けるのか。行けなければ何にもならないのだから、これは重要だ。  学校から帰ると、お母さんはまだ帰っていなかった。  いつもマナミが寝ている小さな布団も、片付けられていた。寂しい気持ちになったが、寂しがっている暇はない。  お母さんはマナミを病院に連れて行って、それから多分、スーパーの仕事に行っている。  ぼくは、リビングやキッチンをくまなく探した。あの病院の情報が分かるもの―― 。そうして、一冊の薄っぺらい本を見つけた。病院の名前と写真、それに「入院」という文字も書いてある。  あの病院は、中央病院というらしい。ぼくの町の駅からもバスが出ている。これなら一人でも、何とか行けそうだ。  もうひとつやることは、クリスマスプレゼントを買うことだった。  貯金箱に、二千円くらいは入っている。明日のバス代を考えると、全部は使えない。サンタにはなれないけど、何かマナミが喜びそうなものを買ってあげたいと思った。  ぼくはカギを掛けて家を出ると、近所の雑貨屋さんに向かった。  ひとつ思い当たるものがあって、それはヒツジのぬいぐるみだ。しかも、コンセントを挿すとポカポカと暖かくなるという代物だった。  店に入ると、そのヒツジを探した。千二百八十円だ、何とかなる。レジでぼくは「プレゼント用です」と言った。こう言うと、綺麗な箱とリボンで包んでくれる。  もうひとつ気になっていたものを見つけた。それは「じゅーしぃグミ」というお菓子で、見るたびに食べたいなと思っていたものだ。たった百円だったので、ついでに買った。これは、自分用だ。  さて、準備は整った。  家に帰るとお母さんが帰っていたので、ぼくは見つからないようにプレゼントを抱え、子ども部屋に入った。  その日から二日間、ぼくはできるだけ、お母さんともお父さんとも口を利かなかった。  クリスマスイヴの日、ぼくは学校に行ったふりをして、病院へ向かった。  あとで先生から連絡が入って怒られるだろうか。それでもかまわない。  ヒツジのプレゼントは、ランドセルに入れてある。そのために、教科書やノートはすべて家に置いてきた。  駅までは歩いて行けるので、ひたすら歩いた。曇り空で、今にも雨が降りそうだ。  途中で、こないだ買って食べずにいた「じゅーしぃグミ」を一粒、口に入れた。これが信じられないほど酸っぱくて、ものすごくマズかった。その一粒は何とか飲み込んだけど、もう食べる気はしない。  駅から、バスに乗る。  バスの乗り方は確か、最初に紙の券を取って、あとは目的地まで座っているだけだ。  途中で気になって席を立ち、運転手さんに「中央病院へは行きますか」と聞いたら、ぶっきらぼうに「行くよ」と答えてくれた。  座席に腰かけると、改めて気持ちを整理した。あの先生たちに立ち向かって、今度はちゃんと聞き出さなければならないこと。  病院前のバス停が近づいたのに、ぼくは気付いていなかったらしく、運転手さんが「坊や!」と声を掛けてくれたので、何とか降りることができた。 「一人で遠出なんだな、気ぃ付けんだぞ」  優しいようだけど、大人の言葉は全部ウソっぽくて、簡単には信じられない。  病院の自動ドアを通って中に入ると、どこに行けばいいのか分からなくて、ぼくはしばらくウロウロした。  そんな様子を見て、スーツ姿の男の人が近づいてきた。その人はぼくに「お見舞い?」と聞いてきたので、キタジママナミという名前を伝えると、病室を調べてきてくれた。病室は、東側の建物の四階にあるという。  ぼくは階段を上った。  四階に着くと、白衣を着た看護師さんたちが、みんな忙しそうに動き回っている。ぼくはそこを早足で通りすぎ、部屋の番号を見ながら歩いてまわった。  412号室。マナミの部屋を見つけた。  そっと中に入ると、ベッドが右と左に二つずつ、並んで置いてあった。 どこだろうと思っていると、先に「お兄ちゃん?」という声が聞こえてびっくりした。  左の窓際に、マナミがいた。  家で着ているパジャマと同じだ。白くてモコモコした生地に、犬の絵のプリント。マナミはベッドの上で身体を起こしていて、塗り絵帳を手に持っている。  ぼくも「マナミ」と声をかけた。なぜだか少し、緊張していた。マナミの目は相変わらず腫れぼったいけれど、ニコッと笑ったので安心した。 「お兄ちゃん、どうして来たのぉ」 「だ、だって、今日はクリスマスだぞ」  正確にはイヴだけど、言い直すことはしなかった。 「そっかぁ。マナミ、一人でここで寝てるのヤだな。ママはどこにいるの?」 「来てないよ、オレ一人」  少し誇らしい気持ちで言ったけど、よく考えたら、マナミはお母さんに会いたいに決まっている。寂しそうな顔をしたので、すぐにそれに気がついた。 「あ、後で来るよ。オレだけ先に来たの」  ぼくは背中からランドセルを下ろした。  そしてプレゼントを取り出して、手渡した。青いリボンが斜めによじれていて慌てた。 「ありがとぉ、お兄ちゃん。これカワイイ」  一番の目的はこれではなかったけど、でも一番になっちゃったくらい、マナミは何度も何度もヒツジを抱きしめてキャッキャと笑っていた。 「あったかいんだぞ」  ぼくは言ったけど、まわりにコンセントの差込口が見当たらなかったから、説明はしなかった。  これから、兄ちゃんは勝負しなければならない。あの先生たちに会って、本当の話を聞き出すこと。それが目的で来たんだ。 「あっ、マナミもね」  マナミはベッドの隣に置いてある小さなテーブルから、何かを手に取った。小さな手で差し出されたのは、まだ封の切られていない「じゅーしぃグミ」だった。 「え、なんで、コレくれるの」 「だって、クリスマスでしょ? マナミだってあげたいもん」  ぼくは驚いて、言葉が出なかった。 「これね、ママに買ってきてもらったんだ、お兄ちゃんが食べたいって言ってたヤツ」  マナミは嬉しそうに説明する。  だけど、それはすごくマズいんだよ。さっき食べたから分かる、酸っぱすぎて、とても食べられたものじゃない。 「うれしい?」  マナミは、ぼくの顔を覗き込んで、にこにこ笑って聞いた。  ぼくはちょっとの間、その箱を受け取れなかった。だけど―― 。 「うれしい、食べたかったんだよ。マナミ、ありがと。よく知ってたなぁ、オレ食べたいって言ったんだっけ」  ぼくはそれを受け取った。一番大事なマナミに、大人(、、)みたいな(、、、、)ウソ(、、)をついてしまった。 「タッちゃん!」  大きな声がしたので振り向くと、そこにはお母さんが立っていた。きっとぼくの計画を知って、叱りにきたのだ。  ああ、これから勝負なのに、それもできなくなってしまう。黙って学校を休んだことも、きっと怒られる。 「ママ!」  マナミはそんなぼくの気持ちも知らず、今までで一番の笑顔で喜んだ。  ぼくはお母さんに、どうして、どうやってここまで来たのかを話した。お母さんは、不思議と怒らなかった。  お昼にはお父さんも会社から駆けつけてくれて、病室で家族がそろったんだ。お父さんはマナミに、「サンタはきっと病院にも来てくれるよ」と言った。それからぼくには、「あとで話がある」と真剣な顔で言った。  雪が降り始めたのは、そのすぐ後のことだ。  ぼくとマナミは並んで窓に張り付いて、舞い落ちる雪のひとつひとつを見つめた。
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