1.柊と聖

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1.柊と聖

 開け放した窓の向こう、濡れ縁のさらに先、手入れを怠り雑草が生い茂る庭の片隅、わずかにこんもりした土の山を(しゅう)は眺める。  一昨日金魚を埋めたそこ。  前日まで金魚は元気に泳いでいた。けれど翌朝、覗いてみたら赤くぷっくりした体は平べったく横倒しになって、水面を漂っていた。  死する前と後、見た目にはなにも変わりがないように見えるのに、そこから魂だけが欠けていて。  動かなくなった金魚を掬い上げたときのぞっとするほどの軽さを思い出し、柊が目を閉じたときだった。  がらり、と玄関の引き戸が滑る音が聞こえた。次いで響いてきたのは、柊いる? という声。  肺に空気を入れ一拍置いてから、いる、と短く声を返すと、ぴしゃり、と引き戸が閉じる音の後に、廊下をすたすたと歩いてくる音が続いた。  柊が歩くと必ずみしみしと不自然に軋む床板が、きいとも鳴かない。滑るように近づく彼の足音を聞くたび、本当にこいつは自分とはまるで違う、と柊は思う。  からり、と軽い音を立てて障子が開く。顔を覗かせたのは幼馴染の(ひじり)だった。 「なに、こんな雨の日に」  ぶっきらぼうに言う柊を聖は感情の読めない黒い目で見据える。開けたとき同様の軽い音を立てて障子を閉ざして無言で近づいてくる聖を、柊はだらしなくベッドの縁にもたれたまま見上げる。 「なんとか言えば」  そう促すが、聖は柊にならってベッドの横にもたれて座ったきり、何も言わない。だがこれもまあ、いつものことだ。基本的に聖は無口で必要なとき以外口を開かない。しゃべるのが面倒くさいから、と本人は言っているが、本当は話すことが少し怖いと思っていることを柊は知っている。  きっかけとなったのは、告白、だった。 ……俺は好きじゃない。  中学時代、聖に告白をした女子に対して、聖はそう言った。もともとは聖と同じ委員会に所属していて聖もぽつりぽつりとながら会話ができるくらい親交のある女子だった。聖からしてみたら、良い友達、と思っていた相手だと思う。  その彼女が聖に告白をした。一人で言うのが怖かったのだろうか。彼女は友達二人を引き連れて聖に、付き合ってほしい、と言った。  その彼女への聖からの返事が「俺は好きじゃない」だった。  今思えばもう少しマイルドな言い方があったのではないかとは思う。しかし口下手な聖にしてみればそれが精一杯だったのだろう。聖の気持ちとしては「好きと言ってもらえて悪いけど、俺はそう言うふうに思えないからごめん」というところだったのだと思う。  しかし、受け取った側はそうは取らなかった。 ……気持ち悪い。嫌われてるのわからないのか。寄るな。  数日後、告白の模様を語った噂話は、聖の思いとは違う言葉に彩られて学校を駆け巡っていた。  そんなことは言っていない。そう一言否定すればよかったのかもしれない。  しかし聖はそうしなかった。言ったところで自分の本心など伝わるわけもない、そう聖が考えているらしいことを、幼いころからそばにいた柊は感じ取っていた。  結果、聖は「人の気持ちがわからない無感情人間」のレッテルが貼られ、居心地の悪い中学時代を送ることを余儀なくされた。  もちろん、その噂が誤解であると思ってくれる者もいた。その点では救いがあったと思う。しかし自分が発した言葉が思いもよらぬ誤解へと繋がることを知った聖は、なお一層寡黙になった。  そして、高校入学から二年経った今、聖には学校で新たなあだ名がついている。  「沈黙の貴公子」というのがそれだ。このあだ名に至るには聖の麗しい見た目も大きく影響したのだろうが、そう呼ばれる本人がどう感じているのか、柊にはわからない。  ただ、現在、沈黙の貴公子が困っているらしいことだけはわかっている。  その原因が柊であることも。  ……伝えるつもりなんてなかったのだ。本当は。なのに、柊は伝えてしまった。聖に。 「好きだから」と。  中学時代、告白がらみで痛い記憶を持つ聖に言うにはあまりにも配慮に欠けた言葉だったと柊は思っている。だが二週間前のあの瞬間、柊は自分を止められなかった。  あの日も、雨だった。
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