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「詠眞さん、仕事は続けるんですよね?」
唯は不安そうに尋ねる。大好きな先輩が幸せになるのは嬉しいが、いなくなるのは寂し過ぎる。
「うん。辞めないよ。私、ようやく働くの楽しくなってきたんだから。前まで仕事なんてただ生活するためのものって思ってたのに」
「それは旦那さんが同じ部署にいるからですね」
「もー、唯ちゃん。やめてよ、旦那さんとか言うの」
「だって旦那さんじゃないですか! 私も今となっては上司なのか先輩の旦那さんなのかどっちの目で見たらいいのかわかりません」
唯は両手で丸を作って両目に当てた。眼鏡のように丸く空いた穴から唯の猫目が覗く。その様子に詠眞はおかしそうにクスクス笑いながら「それは上司だわ」と肩にかかった髪を後ろに流した。
「でもよかったです。千葉さんがあっさり身を引いてくれて」
唯はそう言って安堵の表情を浮かべるが、今までの行為を考えると詠眞にとっては全くあっさりではなかった。
結婚が決まった時も、入籍した時も何度も詠眞を訪ねてこようとしていたのだ。それを海外営業部と企画部とで阻止したのは上だけの秘密。
唯にはさらっと言ったことはあるが、「家に来なかっただけマシですね」なんて言ったものだから、詠眞も唯も賢人の異常な行動のせいで普通の感覚が麻痺しているように思えた。
「結婚式に呼ばれてないって不服そうにしてるって聞いたけどね」
「うわっ! なんで呼ばれると思ったんでしょうか! 勝手にきたりしないですよね?」
「怖いこと言わないでよ。式場には絶対に入れないでって写真も渡してあるから大丈夫」
「さすがです!」
ぽんっと手を叩いた唯は、にっこりと笑って大きく頷いた。つられるようにして微笑んだ詠眞は、「ちょっと課長のところに行ってくる。叶衣から式のことで確認したいことがあるって言われて相談したいの」と言ってその場に立ち上がった。
「あー、桐生さん受け付けやってくれるんでしたね」
「そうそう。そのことでね。家に帰ってからでもいいんだけど、他の同期とも社内にいる内に打ち合わせしたいって言われちゃってさ」
「了解です! いってらっしゃい」
快く手を振って送り出してくれる可愛い後輩に微笑みながら、詠眞は冴久のもとへ向かった。
昼休みは資料室にいると予め聞いていたため、そちらへ向かう。社員は皆、休憩に入っただろうから誰もいないはず。そう思って資料室のドアを軽くノックして中へ入った。
「片岡課長ー!」
誰かいたら困る。そう思いながらも広い資料室の中を名前を呼んで進んだ。
「詠眞か、こっちだ」
数メートル進んだところで声をかけられて、詠眞は足を止めた。オールバックで黒縁眼鏡姿の課長がそこにいる。
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