霧雨

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霧雨

 しとしとと降る雨粒が足をじんわり湿らせてくる。  本日の天気は霧雨。辺りは白っぽく、空との境目も曖昧で。これじゃ空も見えているのかいないのかわかりそうにない。  3日前のことが頭をよぎる。 (なんでこんなことに……)      3日前。 「ここ数日アンタの様子見てたのよ‼︎ そしたらアンタったら毎日飽きもせず空ばっか見上げて!」 「今、お願いされてるんだよね? 私」  煽られているようにしか聞こえないのは気のせいだろうか。  しかしあじさいの口はノンストップだ。 「だからアタシのお願いにおあつらえ向きの人材だと思ったのよ!」  はあ。と、声にならない様な声が出た。言葉が出ないというか出す気力を奪われたというか。「困惑」の2文字が頭を埋め尽くした。  そんなこっちの気も知らず、あじさいはウィンクを1つ。 「ってことで。お願いね! ナツキ」 (承諾してないんだよなあ)  回想を終えて私はげんなりと肩を落とした。 「ちょっとちょっとぉ。ちゃんと見ててよね」  ふわふわと宙を漂い、あじさいが隣にきた。 「いや、見えないでしょ……」  あじさいは「ふむ」と、目を眇め 「ねえ、誰か亡くなったの?」  と、手元の紫陽花をつついた。 「大切な人?」 「なんであんたにそんなこと──」 「聞くわよ」 「……なんであんたにそんなこと言わなきゃいけないわけ?」  私が深く溜息を吐くと、「聞くわよ」と、あじさいは頬杖をついた。  私はこれ見よがしに溜息を吐いて。 (めんどくさ……)  渋々重い口を開いた。 「好きだった人。っていっても彼は私を知らないし、私も彼のこと何にも知らないけどね」 「一目惚れってやつ?」 「そういえば聞こえは良いかもね」  あじさいが「ふぅん」と相槌を打つ。 「まあ……今となっては好きだったかどうかすら、もうわからないけどね」  降り止まない雨が、雨音が。全てを洗い流し、かき消すように。  病院ですれ違っただけのあの人のことを、私はもうほとんど覚えていない。わかるのは、彼が病で亡くなったということだけ。  あじさいがズイッと顔を近付けてきた。 「こんなとこに腰掛けて、後追いでもしそうな顔してんのに?」 「それは誰かに──や、なんでもない」 (余計なこと言うとこだった)  唐突で不躾。本来腫れ物を触るように扱われるデリケートな話題にこの態度はいっそ清々しい。 他意がある訳では無く、ただ暇を潰す程度の質問なのだろうとわかっていても律儀に答える自分に、溜息混じりに苦笑した。 「当ててあげましょうか」  また唐突。今度はなんだと視線をさ迷わせたが、私は小さく頷いた。 「アンタ、本当は死にたくないのよ」  私は息を呑み、しかしすぐに首を振った。 「死にたいなんて一言も──」  言ってない。とは言えなかった。 「『そのうち』、死にたいんでしょ?」  私は何も言えなかった。
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