2人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
通り雨
ハッと体を起こした。
「こ……ここは?」
呟きは誰にも届かなかった。
白い天井。寝心地の悪いベッドを囲むカーテン。そこまで見てわかった。
「病院よ」
カーテンをすり抜け、あじさいが姿を現した。
「何があったか覚えてる?」
そう聞かれて記憶を辿ってみようとした瞬間、酷い頭痛がした。力なく首を振ると、あじさいは小さく「そうよね……」と、俯いた。
「……説明するわね」
そう、あじさいは語り出した。
霧雨の日。
「でも、『そのうち』死ぬんでしょう?」
ナツキは何も答えなかった。あじさいは続けた。
「好きな人の死に傷心している。と、なんだかんだと理由をつけて死にたいアピールして本音を隠してる」
ナツキは怯えた表情を引き攣らせながら後退り
「あ」
──落ちた。
「思い……出した」
(全部、思い出しちゃった)
あの時言われたことは全て図星だったのだ。今まで言語化できなかった……いや、言語化を避けてきたことだったのだ。それがわかって、それがとても恐ろしくて。避けられない理不尽に対しての行き場のない怒りも、恐怖も、全部全部どうしようもなかった。
雨と一緒に流れたものはきっと大事なものだった。
(死なないで……って)
あの都合のいい空耳も、雷の音に全部かき消されたと思っていた。
いつか言いかけた『誰かに──』の続きが聞けたのか確認する勇気はないけど、それでも抱いていたい想いも、未来への願望も何もかも雨の中に溶けてしまいそうで怖くて。胸の奥底に隠したのだ。
「ごめんなさい」
あじさいは俯いて肩を震わせていた。
「思い出してほしかった……アタシの我儘で、危うくアンタを殺しかけた」
その目からは、はらはらと雫が降っていた。
そうだ。あれはいつかの病院で──。
「死ぬの?」
すれ違った青年は薄い笑みを浮かべていた。私は、『そのうち』と答えた。青年は「……僕も」と、声をあげて笑った。
「死んだら、あの雨雲のトンネルを通りたいんだぁ」
青年は、そう言っていた。
変な人だな。と、思うのと同時に何故か、興味を惹かれた。
そうだった──。
次の来診時に青年はもういなかった。看護師たちがそう喋っていたのを聴いた。
そう、だったのだ。
不意に、いや、唐突に──カーテンが開いた。
「アンタは、青春を謳歌してきなさい。……せっかく、可愛いんだから」
あじさいが身を屈めた瞬間、額にふんわりと温かい風が吹いた様な感触がした。
「な、に……」
我に返った時にはもう、あじさいの姿はなかった。ぼんやりと窓を開けて──私は弾かれた様に駆け出した。
息をきらして駐車場から見上げた空には、小さな小さな晴れ間があった。あっという間に雨雲に埋もれたそれを、看護師が慌てて傘を持って走ってくるまで私はずっと、ずっと見上げていた。
最初のコメントを投稿しよう!