ダム

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「戻りは、こっちの崖を降りるとはやいんです」 「崖……? それって、大丈夫なんですか? さっきの道に戻った方が良いのでは?」 「大丈夫です。しょっちゅう降りてますから。登りは厳しいんですけど、降りるのはこっちの方が断然便利です」 「冒険家ですね」 「ふふふ。庭から出られない冒険家なんです」 「そこ、降りるんですか。だいぶ角度きつい斜面に見えますが……。二メートル以上ありますし」 「この突き出た岩に足を引っかけて、そこからあの垂れた木の根を伝って降りるんです」 「大丈夫ですか、怪我しないでくださいよ」 「次にやってもらうのでっ、ふんっ、ちゃんと見ててください……よっと」 「ヒヤヒヤします」 「ここまで降りれたら、後は飛び降ります。えいっ。さあ有一さんも」 「ここに足をかけて、それからこれを、こう、ぐっと」 「そうです。いい感じです」 「つか……んで、えいっ」 「そこまで来れたら後はこっちに飛び降りて」 「行きます。はっ、ぐっ」 「お疲れさまです」 「ふう……スリルがありました」 「では、こっちに」 「はい」 「このまま行くと家が並ぶ通りに出て、そこからダムに戻る道があるんです。暗くなってきましたし、ちょっと急ぎましょう」 「別に急がなくても大丈夫ですよ」 「いえ、もう一つ見せたいものがあるんです」 「そういうことなら」 「こっちの道に入ります」 「はい。この道。古い家が並んでいて、趣ありますね」 「言われてみればそうですね。あ、ほら見て、あの向日葵が咲いている家。二階の窓」 「んー。あ、カーテンから猫が覗いてますね」 「あの猫、滅多に顔を出さないんですよ。有一さん、ラッキーですよ」 「ラッキー、か」 「……」 「だいぶ暗くなってきましたね」 「この坂道上ります」 「ここも中々険しいですね」 「ここを上ったら、すぐにダムです」 「了解です」 「間に合うかな。ちょっと走りますか」 「間に合わせましょう。足には自信あります」 「ほら、あそこ、はあ……、見てください」 「おー。燃えるような太陽って、まさにこんな感じですね」 「もっとこっちまで、はあ……、来て」 「はい」 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「沈みましたね」 「ケホッ、これを見て欲しかったんです……はあ」 「とても綺麗でした。ダムの水面に沈んでいく夕陽」 「コホ、ケホッ」 「大丈夫ですか」 「ちょっと、ゲホ、はしゃぎすぎました、ゴホッ」 「え、血が」 「……」 「本当に大丈夫ですか? そんなに体が悪かったなんて。無理させてしまってすみません」 「いえ、勝手に走ったのは私ですから、有一さんは悪くないですし。それに、きっとすぐこんなこともできなくなってしまうので、できなくなる前に思い切りやってみたかったんです」 「……」 「有一さんは気にしないでください」 「もしかして、美希さんは、死にたいんじゃなくて……?」 「ごめんなさい。黙ってて」 「いや、まあ……」 「もう、余命が無いんです」 「え……」 「今日が余命宣告をされた、最期の日だったんです。だから、私、もういつ死んでもおかしくないんです」 「そんな……ご家族は?」 「家族は誰もいません」 「すみません」 「謝らないでください。私がいなくなっても悲しむ人がいないってことですから。そんな悲しいことでも、ないですよ」 「……」 「誰もが死に向かって生きているのに、最期が近づいてくる、と感じた途端、この景色はずっと綺麗に見えるようになったんですよね」 「……」 「ごめんなさい、こんな語っちゃって。私はここで死を待つだけの人間なんです」 「綺麗です」 「え?」 「美希さんはとっても綺麗です」 「……」 「絵にしたいくらい」 「ふふ、突然何ですか、照れちゃいます」 「自分勝手な願いですが、描かせてもらえませんかね。美希さんを」 「有一さんは絵を描かれるんですか?」 「一応、砂絵作家なんです」 「砂絵……面白そうですね、是非、描いてください」 「今は道具がないので、スケッチさせてもらっても?」 「どうぞ」 「ありがとうございます」 「では、そこに座ってもらって」 「こんな感じですか?」 「はい、もうちょっと右を見て、OKです」 「……あの、私からもお願いがあるんですけど」 「はい」 「もし良ければ、一緒に旅に出てくれませんか?」 「え? 旅に」 「どうせ死んでしまうなら、夢を叶えながら死にたいなーと」 「……それで、どこへ?」 「まずは、東京。それから後は、気の向くままに!」 「あはは、急に無鉄砲ですね」 「ここにいても死んでしまうなら、冒険して死んでしまっても後悔はしないですから! 有一さんも、色々な場所での私が描けますよ」 「そうですね。美希さんのお願いを前に、死にたいなんて言えなくなっちゃいましたよ」 「それはOKってことですよね?」 「そうです」 「楽しみ! やっと夢が叶う!」 「……」 「……」 「日が沈んでも、綺麗ですね」 「もう死を待つのはやめたけど、それでも綺麗です」 「そうですね」 「有一さんは、なぜここへやってきたんですか?」 「……ずっと一緒にいた親友が死んでしまったんです。あの、小さい頃から家族みたいな存在で、つい最近も一緒に仕事をして、順調にうまくいっていたんです。それなのに、この前、急に交通事故で彼が死んでしまって……。それから、何もやる気がでなくなって、自分は何のために生きているんだろう、と思うようになって。それで、気がついたらここにいました」 「そうだったんですね」 「その先で、生きる理由を見つけて、こんな景色が見えるなんて、思いもしませんでしたよ」 「私も、有一さんも、絶望の向こうに見える景色を見ていたのは、同じなのかも」 「そうですね」 「……」 「……」 「声、かけてくれて、ありがとうございました」 「そんな言葉が聞けて、良かったです」 「あなたが生きている限り、俺も生きようと思います」 「私がいなくなっても生きてくださいよ。私が生きていたことをこの世に刻んでください」 「急に大きな課題だ」 「私も生きている限り、忘れられないようにあなたの中に傷跡をつけるので」 「まだまだ、元気そうに見えてきました」 「私はまだまだ元気です!」 「一緒に、全力で逃げてやりましょう」 「私、死に追いつかれないように歩き続けます。これでもかというくらいに生きてやります」
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