41

2/3
前へ
/67ページ
次へ
 今日が晴れていて本当に良かったと思う。ホリゾンブルーに染まった水平線を眺めながら、裕斗は「最高」と呟いていた。  拓也は隣に立って、寝起きの欠伸をかましている。そんな彼を「本当に着くまで寝てるとはね」とからかいながら、砂浜にレジャーシートを敷いた。 「悪かったって。すぐに起きれると思ってたんだけど」  頭を掻きながら拓也がいう。 「気にしてないって。運転に集中できたし」  赤信号のときは、イケメンの寝顔を堪能できたし。  二人は靴を脱いで、持って来たビーチサンダルに履き替えて海まで走った。  波打ち際で、バシャバシャと水を掛け合う。小学生級のはしゃぎっぷりだ。 「なんだろうな、これ。童心に帰るってやつ?」  拓也に話しかけると、「海は理性を壊すな」 と返してくる。  その通りだと思った。  踏み込みすぎちゃダメだと自制していたはずなのに、それが全くできていない。  一休みしようと、レジャーシートに二人並んで寝転ぶ。  話そう、と同時に言ってしまって、笑い合う。 「拓也はどんな研究してるの。大学院で」  聞いても理解できないかもしれないが、気になっていたので質問する。 「研究しているテーマは経済成長論だよ。行動経済学の理論的な応用とか……」  のっけから意味が分からない。分野のタイトルからして難しそうだ。 「行動経済学をマクロ経済学に応用するってことなんだけど――分からないか」  拓也が苦笑して、話すのをやめる。 「もっと噛み砕いて説明しろよ」 「簡単に……簡単にか……」  拓也が考え込んでいる。日頃あまり、自分が研究していることを、素人に説明する機会がないのだろう。周りが同じ研究をしている人たちばかりだから。友斗もそうだ。裕斗に研究分野の話をしてくれたことがない。 「消費税が身近で良いかな。消費税は価格体系に歪みを生じさせるから本来は良くないんだけど、消費の効用、労働の不効用を絡めて多角的に見ると、望ましい場合もあるんだ」  そのまま専門用語を連発しながら説明されて、裕斗の頭は悲鳴を上げた。 「――ごめん、分かんない」 「いや、俺の説明が下手すぎるんだ」  気落ちしたように拓也が肩を落とす。 「なんで経済学部に入ったの。他に学んでみたい学部はなかった?」  気を取り直して、違う質問を投げた。 「親は医学部を勧めてきたな。俺の父親は医師で大学病院に勤めてるんだ。でも俺は興味が持てなかった――わけでもないんだけど、医学って十九世紀以降、研究され続けて成熟している分野なんだよ。経済学はそれに比べるとまだ未熟で、研究し甲斐がある」 「へえ……」  やっぱり拓也は、解明されていな事象を掘り下げて調べることが好きなようだ。根っからの研究者タイプなのだろう。 「昨日、夜中まで論文書いてたって言ってたけど。大学院では論文書くのがメイン?」 「それだけじゃないよ。普通に講義があるし。あと教授の手伝いと調べものと。まあ論文を書くのが一番好きだな。形式に則って、持論を展開するのが。資料集めも宝探しみたいで楽しい」 「へえ……」  としか言えない。ただただ感心する。自分にはない、学びへの好奇心の強さに。 「俺ばっかり話してるな。裕斗は? なんで服に興味を持ったの」 「最初に興味を持ったのは小学生の時かな。テレビドラマでたまたま見たんだ。ピンワークをやってるところ」 「ピンワークって?」 「ああ……えっと、裁断してない真っ新な布をマネキンに巻いて、ピンだけ使って服の形に仕上げるんだ。凄い速さでやってて魔法みたいだった」 「へえ、面白いな。裕斗もできるの」 「できるよ。学校で何回もやった。サテンの布を使ってドレスにした」 「裕斗も魔法使いだな」  顔を見合わせて二人は笑った。  話すのが楽しい。拓也は聞き上手だ。 「実は俺、高校は制服で選んだんだ。公立だけどセンスの良いブレザーで。三年間着るならここの制服が良いって」 「そういう決め方もあるんだな。進学先」  拓也がちょっと笑った。 「俺にとっては服って、すごく心に影響する物なんだ。『いい子でいなさい』って親に注意されても聞く耳持たないけど、格好良いスーツを着せられたら、それに見合う行動をしようって自粛するみたいな」 「ああ、それはあるよな。着ている服によって行動も変わる。たしかに心に影響があるな」 「衣食住って、消費されていくばっかりだけど、その瞬間瞬間で喜びとか楽しさとか、残る物もあるだろ。俺は衣服で、そういうの作りたいんだ」  話し終わったとたん、羞恥心に襲われる。こんな夢見がちなことを平然と語るなんて。普段の自分ならあり得ない。 「あ、照れてる。可愛い」  拓也が微笑みながら、裕斗の髪を撫でてくる。  その後、レジャーシートに座ったまま、拓也が持ってきたクーラーボックスの中身を食べる。お手製のサンドイッチとおにぎりが沢山入っていた。  食べたあとは、お腹休めでグダグダしていた。  拓也の胸に頭をのせて、レジャーシートの重しにしている本を読んでみる。高校時代に拓也が愛読していた経済学入門書で、比較的理解しやすいとか。  裕斗は眩しいページをパラパラ捲っていたが、すぐに睡魔に襲われた。  吹いてくる風が気持ち良い。潮騒が耳に心地良く流れ込んでくる。日差しも、強すぎない。暖かい。そして触れている自分以外の体温も。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!

761人が本棚に入れています
本棚に追加