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 六月末日、水曜日。オープン一時間前。 『WIND』も周りの服屋と同様に、サマーセールを開始させた。  裕斗の忙しい一週間が始まる。  高井が買い付けていたセール用の服が届いたので、綺麗に折り畳んでワゴンに積んでおく。昨日まで定価で売っていた既製品は、値札に割引シールを貼る。ハンドメイド品に関しては、クリエイター次第だ。売れ残りを処分をしたいという要望があれば、彼らと割引率を決めて値下げする。  手作りの『サマーセール開催中』のポップを、店のガラスドアに貼っていると、高井が浮かない顔をして話しかけてきた。 「またインスタで、粘着コメントだ」  スマホを見せてこられ、裕斗はうんざりしながら確認する。『WIND』の公式アカウントの最新コーディネイトの写真。 『ここの店員はバイでヤリチン』『客を食いまくってる。みんな気を付けて』  そんな類の誹謗中傷が、コメント欄を埋めていた。裕斗への悪意の書き込みだ。二週間前から始まった。 「コメントは消すし、このユーザーのアカウントもブロックするけどさ」  はあ、と大きな溜息を吐いて高井が続ける。 「そんな事してもいたちごっこなんだよな。違うアカウントを作って書き込みしてくる」 「まあ、バイもヤリチンも事実なんですけどね。客は食ってないけど」 「本当に食ってない? なんか執念の書き込みって感じなんだけど。心当たりないのか」  高井が疑いの眼差しを向けてくる。 「店長だったときは食ったことありますけど――復帰してからは一度もないですよ」 「だよなあ、拓也とラブラブだしな」 「縒りは戻してないです」 「またまたあ」  ニヤニヤ笑う高井に、裕斗は「本当です」と言い切った。  拓也と海に行ってから一か月以上経っているが、これといって進展はない。大学院が忙しいようで、平日は電話で話すだけ。土日どちらかは、店にやってきてランチに誘ってくるので応じている。  ――意外とガッついてないんだよな。  セックスもキスもないが、会話は多くなっていて、友達以上、恋人未満のような曖昧な関係が続いているのだ。 「拓也に相談してみたらどうだ? 大学院行ってるくらいだし、良いアイディア出してくれるかも」 「いや……自分で心当たり探してみます」  拓也に知られるのは嫌だ。余計な心配をかけたくない。  ――さっさと解決しないとな。  そう思っていた矢先、拓也からインスタの件で電話がかかってきてしまった。アパートに帰宅したときに。 「夜中にたまたまインスタ見たんだけど――なんだよ、あの書き込み」 「いま調査中なんだけど、書き込みした人物に心当たりがないんだ」 「本当に?」  疑いの籠った声で問われ、俺って信用がないんだな、と情けなくなった。 「店長だったときは、その、何回かあったけど。今は全然」  しどろもどろに言うと、拓也が呆れたような溜息を吐いた。 「犯人の特定ができないなら、ほとぼりが冷めるまでインスタをやめれば良いんじゃないか。更新しないで、コメントもオフにして」 「それは難しいんだよ。女性の常連が、インスタの写真を見て来店することが多いんだ」 「でも女性向けの服は、全体の三割しか置いてないんだろ」  意外と裕斗が言ったことを覚えてくれている。さらっと説明しただけなのに。 「確かに女性客の母数は少ないけど、購入率が高いんだ。冷やかしじゃなくて、目当ての服があって店に来てくれるから」  いまインスタをやめたら、確実に売り上げが落ちる。サマーセールで書き入れ時だというのに。 「そうか、難しいな。とりあえず、裕斗の写真が一枚載せてあっただろ。あれは消した方が良いよな」 「ああ、そうだ。あれまだ載せたまま」 『WIND』に復帰したばかりのときにニュースタッフの紹介と題して、写真を晒されていたのだ。 「とにかく日頃から気をつけろよ。店でもどこでも、出来るだけ一人にならないようにして」  真剣な声で忠告され、裕斗は「うん」とだけ答えた。心配しすぎだと思いつつ。  拓也との通話を終わらせたあと、裕斗はマッキーにLINEしてみた。 『マッキー久しぶり。ちょっと聞きたいんだけど、俺って人の恨みを買うようなことしてないよな?』  一応、専門学校時代にも遡って、自分を恨んでいそうな人物を炙りだそうと考えた。マッキーにも協力してもらおう。  すぐに既読にならなかった。マッキーは大手セレクトショップの販売員として就職している。サマーセール真っ只中で忙しいのかもしれない。 一時間後に、マッキーから返事が来た。 『久しぶりに連絡来たと思ったら、何だよ、恨みって』  裕斗は電話に切り替えると断って、通話ボタンを押した。  留学するまでの間、今の店で働くようになって、と事の経緯を説明する。 「基本ヒロさんは良い人だから、恨まれることはないと思うけどね。でも、恋愛面はかなり派手だったね。一年のときは特に。いつも誰かと付き合ってたじゃん」 「でも、恨まれるってのは……」  浮気も、クズな言動もした覚えはないのだ。 「あ、一人だけ、諦めの悪い人いなかったっけ。言い寄られて何回か相手したけど、すぐにヒロさんが振っちゃって。だけど相手は諦めなくてずっと追い縋ってたじゃん。いつの間にか消えてたけど」 「あ、いたな。たしかに」 「名前も顔も忘れたけど、なんか岩っぽい感じだったような」  岩っぽい、のフレーズに、裕斗は笑いそうになる。確かにイメージとしてはそんな感じだった。  いわゆる、ガチムチ体型でむさ苦しいタイプだ。 「あいつ今どうしてるんだろう」 「さあ、知らないけどさ。同じ科で、あいつと仲良かった人はいたね」  まだ連絡を取り合っている可能性はあるか。だが、マッキーも裕斗も、その人物を特定することはできなかった。
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