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 インターホンを押さずに、カードキーで拓也の部屋のドアを開ける。ただいま、と言いながら裕斗が玄関の照明を点けると、リビングから拓也が廊下側に顔をひょいと出してきて、「おかえり」と返してくれる。  靴を脱ぎ、洗面所に行って手洗いうがいをしていると、「早く来いよ」と急かす声が聞こえてくる。 「なに?」  タオルハンガー右側に掛かっている青いタオルを引っ張って、口を拭う。  裕斗がリビングに行くと、拓也がテーブルに御馳走を並べているところだった。 「今日、何かあった? 記念日?」  そう聞きたくなるほどの料理の数々。真ん中に置かれたビーフステーキの皿には、ポテトフライとマッシュポテト、ニンジンのグラッセが添えられている。左隣の正方形の皿には、ブロッコリーと生ハムを和えた、彩り鮮やかなサラダ、右端には、深皿に入ったポタージュスープ。 「何かって――今日は裕斗の誕生日だろ」  拓也が呆れ顔でいう。 「あ、そうだった」  ナチュラルに忘れていた。八月十五日。確かに自分の誕生日だ。でもどうして、拓也が知っているのか。教えた覚えはないのに――と疑問が浮かんだが一瞬で消える。友斗の誕生日と一緒だからだ。 「ありがとう。いろいろ作ってくれて」  拓也は本当に料理が上手だ。大学一年の頃から一人暮らしで自炊が身に付いているというのもあるだろうが、料理のセンスが元々あるのだと思う。 「今日は時間があったから。さ、食べよう」  冷蔵庫から冷えたシャンパンを取り出して、細長いグラスに注いでくれる。立ち上る淡いピンク色の気泡が涼やかでとても綺麗だ。  二人はグラスを傾け合ってから一口飲んだ。 「シャンパンなんて滅多に飲んだことないよ。美味しいね」  いつも酒の場ではビールばかり飲んでいたので、気品感じるアルコールは新鮮だ。 「そうなんだ。普段はビール派?」 「そう。ビール一択」  正しくは、安い居酒屋で出している発泡酒だ。生ビールは高くて頼めない。 「じゃあ今度ビアガーデン行こう。暑い日に」 「いいね」  拓也の言葉に嬉しくなる。彼はいつだって裕斗に寄り添った提案をしてくれる。  美味しい料理を食べながら、お互い今日あった出来事を話したり、一週間分の予定を教え合う。 「俺は九月上旬まで研究室が休みだから――家で論文を書きつつ、塾のバイトをするよ。夏期講習で稼ぎ時だ」  拓也は八月に入ってから、夕方は家にいることが多い。ほぼ毎日、夕飯を作ってくれている。 「俺は今日で『WIND』のバイト終わり」 「じゃあ明日からはフリーだな。次の仕事は? 少し休んでからか」  自然な口調で尋ねられ、裕斗は返事に窮した。失敗した。口が滑った。  裕斗はまだ、自分が一か月後に留学することを、拓也に伝えていない。友斗も彼に教えていなかったようだ。  ――今いうべきなのかな。  留学する事実だけなら今いえば良い。  でも、それに付随する自分の望み、気持ちを伝えたかった。ちゃんと順序を踏んで。  拓也、と真面目な声で呼んだ。 「明日、そのことについて、ちょっと話がしたいんだ」 「明日? 今じゃダメなのか」  訝し気な顔をして拓也がいう。 「明日が良いから明日って言ってるんだよ」 「分かった。明日な」  若干不服そうな面持ちだが、納得してくれた。  食後のデザートは誕生日ケーキではなく、ミニトマトの盛り合わせだった。仕切りのあるプレートに、四種類のトマトが分けて盛られている。赤、オレンジ、薄い緑、黄色。 「あんまりケーキは好きじゃないって聞いたから」 「あ、友斗から?」 「そう。友斗も好きじゃないだろ」  折に触れて、友斗の名前が二人の会話に出現する。そのたびに、裕斗は申し訳ない気持ちになる。自分が拓也の傍にいて良いのか自問する。答えらしい答えは毎回出てこない。 「トマト、どれが一番美味しい?」 「黄色かな。どれも美味しいけど」  黄色は酸味が少なめでフルーツっぽい味だ。  二人でトマトを食べたあと、拓也がプレゼントをくれた。  三センチ四方の小さい箱だ。包装はされていない。  ピアスかな、と予測して蓋を開けると、当たりだった。 「黒真珠(ブラックパール)?」  一般的な真珠より少し小ぶりだが、透明感と艶がある。そっと箱からスタッド式のピアスを取り出し、顔の近くまで持って行く。と、真珠の表面に自分の顔がちゃんと映った。 「凄いな。綺麗だ」  感嘆の溜息が出た。こんな上品なプレゼントは貰ったことがない。 「気に入った?」 「もちろん。ありがとう。大事にする」 「良かった、気に入ってくれて。御徒町まで行って買ってきたんだ」 「え? そんなところまで?」 「色々見たかったから。現物を。白い真珠の方が沢山あったけど、黒の方が裕斗に合いそうで」  拓也が椅子から立ち上がり、裕斗の後ろに回り込む。 「俺が着けたい。今の外して?」  拓也に促され、裕斗はファーストピアスを耳から外した。ピアッサー込みで二千円弱の、安物のピアスだった。 「片耳用を買ったからスペアはないんだ。無くすなよ」 「無くさないよ、絶対」  慎重な手つきで、新しいピアスを嵌めてもらう。さっきより重みがあるが、耳に負担がかかるほどでもない。 「鏡で見たいな」  ワクワクしながら席を立って、洗面所に向かおうとすると、拓也が背後から手首を掴んで引き止めてくる。 「似合ってるよ」  口づけられ、ベッドに連れて行かれる。  裕斗が鏡の前に立てたのは、それから三時間後だった。
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