747人が本棚に入れています
本棚に追加
/67ページ
友斗視点2
兄がフランスから帰ってきて一ヶ月が経過した。年下彼氏との恋愛が順調すぎて、拓也と兄が目の前で仲良くしていても全く動じないところまで来ている友斗は、今日もこうして彼らと楽しく飲んでいる。
場所は新宿の居酒屋。駅から徒歩五分の、美味しい地鶏料理を出してくれる店だ。金曜日の夜だから混んでいる。テーブルはすべて埋まっていた。
「本当に琢磨(たくま)くん、襲ってこないの」
向かい側に座っている裕斗が、訝しげな顔をして聞いてくる。少し酔っているようで、白目が充血している。彼の隣に座っている拓也が、「そろそろ飲むのはやめておけよ」と小声で窘めている。その眼差しは優しいが、目にはほんのりと不埒な色が浮かんでいる、ような。この二人は、自分と別れて自宅に戻ったらセックスするんだろうか。そんなことを、ぼんやり考える。
「襲ってこないよ。そういうことがなくても上手くいってる」
少し間を置いて答えると、「ふーん」とつまらなそうな声が返ってくる。
「なら良いんだけどさ。本当に我慢してないのかな、琢磨くんは」
「我慢はしてないんじゃない。手を繋ぐだけで嬉しそうだし」
友斗は焼き鳥を食べながら、二歳年下の恋人を思い浮かべた。去年、カーシェアステーションで困っていた自分を助けてくれた琢磨。出会ったときも爽やかな笑顔を向けてくれたが、今では友斗限定の表情を見せてくれるのだ。顔を合わせた瞬間の喜びに満ちた顔、手を繋いだときの照れ顔、キスをする直前の恥ずかしそうな顔――。思い浮かべるだけで胸がドキドキする。
――なんか初(うぶ)なんだよな。今まで誰とも付き合ったことないって言ってたし。
本人曰く、小さい頃からずっと車に夢中で、恋愛に興味がなかったとのこと。
小学生のときは数え切れないほど隣県のサーキット場まで赴いて50CCのカートに乗っていたそうだ。高校生になったらバイクの免許を取って毎日のように運転し、十八歳の誕生日に自動車教習所に行って申込書を提出した。今は一級自動車整備士の資格を取るべく、四年制の自動車専門学校に通っている。
「聞いた感じだと、拓也とは全然タイプが違うね」
裕斗がそういって、拓也の頬を指でツンツンと押している。いたずらっぽく笑った顔はちょっと色っぽい。
「名前は似てるけどな。さっきから裕斗が『琢磨』っていうたびにドキっとするよ、俺は」 拓也が苦笑しながらいう。
たしかに。名前だけは似ている。いや、体格も似ているか。顔は当たり前だが違う。拓也はテレビに出ていてもおかしくないほどの美形だが、琢磨はスポーツ選手(競泳とか)のイケメン枠というか。どちらも格好良いことに変わりはないのだが。
「琢磨だって格好良いんだよ。ガソリンスタンドの制服、黒なんだけどすごく似合ってるんだ。筋肉質な体にぴったり合っててさ」
精悍な顔立ちだから、制服系がすこぶる合う。道着系も。弓道なんかやらせたら様になりそうだ。
「本当に琢磨くんのこと好きなんだな。幸せそうで良かった」
裕斗が嬉しそうに笑って、ふいに立ち上がった。そして友斗の隣の席までやってきてギュッと抱きついてくる。
「ほんと、心配してたんだぞ。良い人に出会えて良かった」
ワシャワシャと髪まで撫でられて気恥ずかしくなる。だからといって、兄の手を跳ね除ける気にもならなかった。本当に喜んでくれているのが分かるから。
「なにか問題が起きたら相談してくれよ。一緒に考えるから」
ポンポンと背中を軽く叩かれ、頼もしいなと思った。裕斗は自分よりずっと恋愛経験が豊富だ。
「ありがとう。なにかあったら相談する」
素直に答えると、ようやく裕斗が体を離してくれた。
二十時過ぎ。帰りの電車に乗っていると、琢磨からLINEのメッセージが届いた。
『まだ飲み会中ですよね。飲みすぎないように気をつけて』
『もう終わった。今帰っている途中だよ』
速攻で返事をすると、『終わるの早いですね』と秒で返事が来た。
『もっと飲む予定だったんだけど、兄に用事ができて』
正しくは用事ではなくハプニングだが。
兄が友斗の横に来てそのまま喋っていたときに、隣の座席にいた客が声をかけてきたのだ。彼は兄の同僚だった。一応自己紹介はしてもらったが、あまり覚えていない。裕斗が最近就職したブランド――フォワードのデザイナーをしているとか言っていたが。
彼の他にも男が三人いて、二組合同の飲み会になりそうな雰囲気だったので、友斗だけ先にお暇したのだ。拓也はあの輪に入れていた。
――俺はあんまり、大勢で話すの好きじゃないんだよな。初対面の人とは特に。
『じゃあG駅に迎えに行きます。車で』
ポンとメッセージが送られてくる。嬉しくなって、また即レス。
『そうしてくれると嬉しい。ありがとう』
やっぱり早く帰って良かった。ハプニングが起きて良かった。
顔が勝手ににやけてくる。あと三十分後には最寄りの駅で琢磨に会えるのだ。嬉しすぎる。今日は会えないと思っていたのに。
計算通り、三十分後に電車はG駅に着いた。
改札を通ったところで、ターミナル前に立っている恋人が視界に入った。手を振ってくれている。手を振り返して、小走りになって彼のもとに向かう。
「ありがとう。迎えに来てくれて」
「いえ、俺が会いたかったんで」
ボソッと彼がいった。少し照れている感じだ。
「少しドライブしませんか。時間があるなら」
嬉しい提案に、友斗は何度も頷いた。
二人は三十分ほどドライブをした。車中では、明日明後日(土日)のデートの予定を組み立て、余った時間は雑談だ。琢磨は学校の友達の話。友斗は兄の話をした。
友斗の自宅まで五十メートル、というあたりで、琢磨が車を路肩に寄せた。
「そのうちお兄さんにも会ってみたいな。双子だから似てるんですよね?」
「似てるよ。一卵性だし。琢磨も見分けられないかも」
なんとか笑顔を保ったまま話すことができた。でも会わせたくないと思ってしまった。
――会わせたら、琢磨も裕斗に惹かれるかもしれない。
友斗は琢磨に告白されたときのことを思い出した。本格的に付き合う前の、お試しデート五回目の別れ際だった。
――初めて会ったときから、友斗さんのこと良いなって思ってました。一目惚れだったのかもしれません。
好きになった理由は一目惚れ――それって顔が好みだった、ということだ。だったら、同じ顔の裕斗を好きになってもおかしくない。
自分よりコミュニケーション能力があるし、色気もあるし、セックスだって出来る。
「いえ、ちゃんと見分けます。好きな人なんだから」
いつの間にか俯いていたようだ。顎を持ち上げられ、視線を合わせられる。
「でも本当にそっくりだから」
「それでも必ず」
真剣な声でいわれ、胸が熱くなる。信じたくなった。
顔同士の距離が近づく。音が聞こえそうなほど鼓動がどんどん速くなった。
そっと唇が触れてくる。少しカサついた、あまり柔らかさのない男らしい唇。
何度も触れるだけのキスを繰り返したあと、ぎゅっと抱きしめあった。
車から出て、手を振って琢磨と別れた。
家まで五十メートル。そんな短い距離じゃ、この火照った頬は冷えてくれない。
スキップしたくなるのを抑えて、ふつうに歩く。
今の恋人が拓也とは違うことを実感する。もし車でキスをしたのが拓也だったら、すんなり家に帰してはくれない。強引にディープキスをしてきて、ホテルに行こうと誘ってきただろう。
ちゃんと付き合う前に言っておいたのが良かった。琢磨に告白されたときに、すぐに伝えたのだ。自分には性欲が一切なくて、好きな相手に対してもセックスしたいと思えない、ということを。
――友斗さんがしたくないなら、それで良いです。俺も淡白な方だから。
彼はさほど衝撃を受けた風でもなく、友斗の性嗜好を受け入れてくれた。
そして、セックスをしたがる素振りをしてくることはない。だから安心してデートができるし、キスもできる。
まだ少女漫画は続いている。幸せなまま。
最初のコメントを投稿しよう!