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3.綻び
結翔は営業見習い兼水無瀬のアシスタントとして、一から十まで彼に仕事を教わっていた。営業先にも顔を出し、接待があればそのまま付き合う。
取引先に合わせて接待する場所も様々なのだが、水無瀬が重点を置いているのは、大手よりむしろ中小企業の方で、彼らを接待することが多い。
大手は営業部長や部長補佐などが相手をするからだろうと思ったのだが、上昇志向のある若手などはそれにくっついて出席したりするので、そういうわけではなさそうだ。水無瀬はあえてそちらへ行かないのだろう。現に、水無瀬は上から声がかかった時にしか顔を出さない。
それでも実力で結果を出し、昇進話が出るのだから、周りにいくら気を遣っているとはいえ、皆本音では、多少のやっかみくらいはあるのだろうなと思った。
「こんばんは。エリカです」
結翔の隣に一人の女性が腰掛ける。紫のドレスがよく似合う美女だ。サイドにスリットが入っており、そこから覗く素足が艶めかしい。巻き髪をふんわりとアップにしており、動く度に後れ毛が揺れる。
結翔はエリカから名刺を受け取ると、自分も渡して自己紹介をする。水無瀬も新顔の女性にはそうしていたので、問題はないはずだ。
ここは、都内某所にあるキャバクラ『クラブ・アンジェ』。
様々なタイプの女性が在籍しており、それがまたことごとく美人揃いというので有名だ。人気が高く、一見ではなかなか入れないような店だった。
結翔は今、水無瀬とともにここで取引先を接待していた。
相手方は、従業員数五十名にも満たないながら、技術が高く、開発力も評価されている会社だ。また、此花電機とは古くから付き合いがあった。
水無瀬がここを担当してからもう十年近くになるらしい。そういうこともあり、接待は和やかに進んでいた。
「いやぁ、彼もまたえらくイケメンだねぇ。水無瀬君と並ぶと、まるでアイドルみたいだよ」
「いやいやご冗談を。でも私はともかく、吉良は本当にアイドルみたいですよね。入社してきた途端、女子社員が大騒ぎで、もう大変だったんですよ」
「だろうなぁ! 吉良君、もしかして昔アイドルだった、とか?」
「そんな、とんでもないです! 水無瀬さん、話を大袈裟にしないでくださいよ!」
「あら、でも本当にアイドルみたい。こんなに可愛らしい男の人ってそうそう見かけないもの! って、可愛いは褒め言葉じゃないわね。ごめんなさい」
「あはははは! エリカは可愛い子が好みだもんなぁ!」
「もう! 佐藤社長ったら!」
取引先の社長である佐藤は、キャバ嬢に囲まれて上機嫌である。水無瀬も自然な感じで佐藤を持ち上げ、彼は益々気を良くしている。結翔もそれに倣うが、内心ではうんざりしていた。これも仕事とはいえ、結翔にとっては苦行である。
水無瀬は爽やかな笑顔を一切崩すことなく、あちこちに目を配り、佐藤の部下たちにまで世話を焼いている。とにかく腰が低い。
それに、女性に対しても常に気を遣っている。水無瀬のさりげない優しさに、このテーブルについているキャバ嬢たちの瞳はうっとりと蕩けていた。
こんな風に、取引先との接待に付き合うことももう何度目か。しかし、その度に水無瀬の完璧な振舞いに驚かされるばかりだ。いや、むしろ勉強になる。
料亭に行っても、キャバクラに行っても、高級レストランに行っても、水無瀬は女性に大人気だ。だが、特に気になる点はない。
これは本格的に白、つまり、問題なしなのかもしれないなと、つい思ってしまう。先日、金桝から思い込みは捨てろと言われたばかりなのに。
その時、店内がざわめきが起こった。
何事かと思ってそちらを見ると、白に近い薄いピンクのドレスを纏った女が優雅に歩いてくる。そして彼女は、ここから少し離れたテーブルについた。騒いでいたのは、そのテーブルにいた客たちだ。
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