2.監察開始

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 わーわーと喚く結翔に構わず、金桝が指を顎に当てて考え込む。だが、すぐににこやかな表情に戻ると、菜花の方を向き、ポンと肩を叩いた。 「女たらし、もとい、女性に大人気で皆と仲良しな水無瀬さんも、高橋さんとは距離がある。結翔君じゃないけど、二人が現在進行中って線もなくはない。菜花君、その辺り探ってみてよ。社内の案内をしてもらったってことは、高橋さんが菜花君の教育係なんでしょ?」 「いえ、そういうわけでは……」 「うん、だったら他の人よりは距離が詰められるよね。よろしく!」 「え、でも、あの……」  強引に話をまとめる金桝に狼狽えていると、結翔がさらに追い打ちをかけてくる。 「だーいじょうぶだって! 菜花は人畜無害だし、おまけに派遣で週三勤務。のほほんと「せんぱーい、ここわからないんですけどぉ」なんて甘えれば、向こうも警戒せずに素を見せてくれるって!」  簡単に言ってくれる。  だが、結翔の言うことも一理ある。  同じ社員なら、今後長い付き合いになりうっかりボロは出せないと警戒しても、派遣社員には期間満了があり、その後はいなくなるのだ。菜花は週三日勤務で毎日顔を合わせるわけでもないし、警戒心は薄れるかもしれない。 「菜花君は口も堅そうだし、いろいろ話を聞いてくれそうな雰囲気もある。彼女と仲良くなれるんじゃないかな」 「ま、お人好しってことだけどー」 「結翔君っ!」  結翔は茶化すが、金桝に同意している。  二人がそう言うなら、自分なりに頑張ってみようか。ただ、仁奈を騙すようで少し気が咎める。が、しかし── 「私にできることならやってみたいと思います! 私は今、S.P.Y.の一員ですから」  これは仕事なのだ。菜花に与えられた、菜花にしかできない仕事。  金桝は菜花の頭をポンポンと撫で、結翔はワシャワシャと撫でまくった。  二人に頭を撫でられ、菜花の髪は乱れている。ブツブツ文句を言いながらそれを直すが、内心では照れくさくも嬉しかった。 「それじゃ、今日はこの辺で解散しようか」 「ふぇーい、お疲れ様っした!」 「お疲れ様でした」  金桝はまだ事務所に残るというので、菜花と結翔だけで外に出る。  階段で一階まで下り、結翔は会社の郵便受けの中身を確認する。菜花はそこに書かれた社名を見て、ここへ来た最初の日のことを思い出した。 『S.P.Yours株式会社』  だが、ビルの入口にあるオフィスプレートには、違う名前が記載されている。 『S.P.Y.株式会社』  オフィスプレートは会社の表札でもあり、正式名称で記載されるのが普通だ。にもかかわらず、略式名なのは何故か。  菜花は顔合わせの初日、軽い熱中症で眩暈を起こし、このビルの前で倒れそうになった。そこを金桝に助けられ、事務所まで運んでもらい、なんとなく面接のようなことをして、その場で採用が決まって。  そんなこんなで、菜花がこのオフィスプレートを見たのはその日の帰りだ。もし普通に訪れてこれを見ていたら、さぞ戸惑ったことだろう。結翔から聞いていたのは「S.P.Yours株式会社」で、プレートの名前と違っているのだから。 「結翔君」 「なに?」 「郵便受けにはちゃんと正しい社名を書いてるのに、どうしてこっちの表札の方は略してるの?」  素朴な疑問だった。だからこそ、聞こう聞こうと思いながら、つい忘れてしまっていたのだ。  結翔の顔を見ると、きょとんとしている。というか、今初めて気付いたという顔だ。 「あー……。こんなの普段見ないから、全然知らなかった」  嘘だろうと思いながら肩を落とすと、結翔は物珍しそうにプレートを見つめる。 「ふーん。ま、惇さんの考えることはよくわかんないよね。でもまぁ、さすがに郵便受けの方はS.P.Y.って書くわけにはいかなかったんだろうね。配達の人が困るだろうし」 「だったら、こっちも正しいのを書かないと困るよ。初めて会社を訪ねてくる人が混乱すると思うんだけどなぁ」 「そんなこと滅多にないから平気だよ。それに、その場合は事前に知らせておくんじゃない? ビルの表札はS.P.Y.になってますって。それも面倒っちゃあ面倒だけどね。そういや、事務所のドアのところもS.P.Y.って書かれてたんじゃないかな」 「うん、そうだった」 「あははは! 変なのー」  結翔は全く気にしていないようだ。  表札にS.P.Y.と書くくらいならこちらを正式名にすればよかったのに、などと思ったが、そういえば、名刺にはS.P.Yoursと書かれていた。  結翔の言うように、金桝がどういう意図でそうしているのかよくわからない。今度聞いてみようと思いながら、菜花は結翔とともに駅に向かって歩き出した。
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