1.S.P.Y.株式会社

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1.S.P.Y.株式会社

 とても暑い日だった。  たかがアルバイトといえど、ちゃんとした会社だというのでスーツを着て出かけたのが間違いだった。いや、違う。十分な水分を取らずに出かけたことがいけなかったのだ。  あの日は少し寝坊してしまい、出かけるのがギリギリになってしまった。慌てていて、朝一に水を少し飲んだだけで炎天下の中に飛び出してしまったのだ。  大量の汗をかき、フラフラとよろめき、身体はしきりに危険信号を出していた。だが、菜花はそれらを一切無視して先を急ぎ──結局、会社に辿り着く前に倒れてしまった。 「菜花、ボーッとしてんなよ」  その声に、ふと現実に引き戻された。回想を打ち切るため、小さく頭を振る。  菜花は隣にいる結翔に頷き、意識を集中させた。  少し離れたその場所には、挙動不審な動きをする、ある一人の男の姿。  ここは、とあるオフィスビルの二フロアをぶち抜きで使用している会社、株式会社ディライト食品。その社内にあるシステム課という部署だ。ただし、今は真夜中である。  オフィス内は真っ暗で、もちろん誰もいない。いや、男が一人だけいる。  その男は暗闇の中、一つだけ離れた席に腰掛け、デスクに置いてあったノートパソコンを開けて何か作業をしていた。  一つだけ離れているデスクは、課長の席だ。そして、パソコンも課長のもの。しかし、作業をしている男は課長本人ではなかった。  菜花と結翔は給湯室に隠れ、その様子を観察していた。  結翔の手には、小型で高性能なビデオカメラが握られており、一部始終を録画している。  これが昼間ならスマートフォンで済ませただろうが、暗闇の中では上手く撮影できないだろうということで、超高感度撮影が可能なビデオカメラの登場と相成った。  結翔は録画を続けながら、呆れたように呟く。 「システム課の課長のくせに、セキュリティー甘々」 「……田川課長、面倒くさがりだから」 「そんな問題じゃないだろ。簡単にロック解除されるとか、ITのプロとして普通にありえない」  結翔の言うとおりだ。菜花も男を見つめながら、システム課の課長、田川の杜撰さに溜息をつく。  菜花と結翔は、ここひと月ほどこの会社で働いていた。派遣社員としてだ。  結翔は元々システムなどには明るい。なので、システムの保守管理などの仕事を任され、菜花は部署内の庶務業務を手伝っていた。  田川は社内でも人使いが荒いことで有名で、菜花が入ってきたのをこれ幸いと、様々な雑用を押し付けてきた。おかげで、菜花は毎日残業していたほどだ。ただそのおかげで、田川とは一番距離が近かった。  田川は部署内で嫌われており、誰も相手にしない。菜花は社内をよく知らない派遣社員ということで、何かというと田川の雑談に付き合わされたものだった。 『俺のパスワードはわかりやすいものにしてるんだ。大体、八桁のパスワードなんて覚えてられるか! 付箋を貼るのは禁止されているし、携帯にメモしておくのも面倒でな、俺と娘の誕生日にしている。それなら忘れないだろう?』  なんて、得意げに話していた。しかも、かなり大きな声で。  そして、田川と娘の誕生日は、システム課の人間なら皆が知るところだった。田川は、誕生日だ記念日だと、やたらと騒いで自己主張する人種だったのだ。  他のシステム課社員からその話を聞いていたものだから、菜花でさえ不用心だと眉を顰めた。システム課の課長の割に、田川は危機感がなさすぎる。  田川が菜花とパスワードの話をしていた時、社内にはもうあまり人はいなかったが、今二人の目の前で何やら作業している男は、その場にいた。菜花ははっきりと覚えている。
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