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「高橋さんの同期って、たくさんいらっしゃるんですか?」
同期の中でも一番、というのだから、数人はいるはずだ。そう思って聞いたのだが、安藤は少し困ったような顔で首を横に振った。
「今はいないの」
「え?」
「高橋さんの同期は、五人ほどいたのよ。でも、全員がもういないの。結婚退職した人もいれば、転職した人もいるわ」
「そうだったんですか……」
菜花はまだ就職したことがないのでわからないが、同期が辞めていくというのはどんな気持ちなのだろうか。
「ちょっと寂しいですね」
菜花なら、自分が取り残された気持ちになるかもしれない。そう思って口にすると、安藤も小さく頷く。
「そうね。同期がいなくなるのは寂しいわ。私ももう同期がいないから……」
安藤もしんみりとする。が、彼女の次の言葉に、菜花はこれ以上なく大きく目を見開いた。
「でも、寂しいというより悔しかったかもしれないわ。なにせ、付き合ってた彼を同期に横取りされて、横取りした当人はそのまま退職だからね。あれはひどかったわ」
「え、え、それって……」
安藤は気の毒というように表情を歪め、コクリと頷く。
「そう、高橋さんは途中から二股をかけられてたのよ。相手の男は調子がよくて、いい加減な奴だったわ。高橋さんも、なんであんな男に引っかかっちゃったんだか。真面目だから、逆に惹かれちゃったのかもしれないけど」
仁奈がかつて二股をかけられていて、そのあげくに捨てられていた。その上、彼氏を奪ったのはかつての同期。
その同期と仁奈の仲がどうあれ、二人の間には深い溝ができただろう。もし仲が良かったとしたら、その裏切り行為に人間不信に陥ったかもしれない。
ひどい話だ。だが、本当にひどいのは、二股をかけていた男。彼はまだここにいるのだろうか。
「その……彼氏の方はまだここに?」
「ううん。さすがに居づらかったみたいで、すぐに転職したわ。入社当初はそこそこ上からも可愛がられていたんだけど、本当に最初だけだったわね。いい加減さが目立つようになってからは、どんどん見放されていった。その上、同じ会社の女子二人を天秤にかけてたことも社内にバレちゃって。そうなると、居続けるのは難しいわよね」
「そうですよね……」
安藤は当時を思い出してか、眉を顰めながら話を続ける。
「高橋さんの同期ってね、皆ガツガツしてたのよ。お金を稼ぐ男を早いとこゲットして、家庭に収まって好きなことしたいっていうね……なんていうか、それこそ昭和みたいよね。仕事を腰掛け程度にしか考えない、そんな子が集まってたわ。その中で、高橋さんは真面目だし仕事も手を抜かないし、ちょっと浮いてたかもしれないわね」
「その頃から、一人でいたんですか?」
「うーん……そうでもなかったわね。その頃は周りと合わせてたのか、同期と一緒に外にご飯に食べに行くこともあったと思うわよ。でも、その彼との件が発覚して以来、彼女は人と距離を取るようになったかも。もちろん周りは高橋さんの味方だったわよ。でも、それくらいで彼女の心の傷は癒えなかったんでしょうね……」
安藤は物憂げに溜息をついた。
安藤のことだから、当時の仁奈には同情し、気にかけたことだろう。それでも、彼女の心を開くことはできなかったのだ。
「……切ないですね」
「そうね。彼女が仕事一筋って感じになったのは、あれ以来ね。最初から一生懸命やる子だったけど、周りとのコミュニケーションも大事にする子だったのよ。だから、彼女はとても人気があったの。あんなことがあってからも、他の男からのアプローチを受けてたみたいだしね」
「わぁ! でも高橋さんがモテるの、ちょっとわかります」
「でしょう? 手先が器用なのか、いつも綺麗にお化粧してたし、髪型もこってたわねぇ。編み込んでアップにしてたり、緩く巻いてハーフアップにしてたり。あ、でも派手ってわけじゃなくて、品があったわね。同期にもアドバイスしてあげてたみたいだし、髪を結ってあげたりもしていたわね。……あぁ、いろいろ思い出しちゃったわ。ほんと、彼女は変わってしまった。今じゃ、メイクも髪型も地味になっちゃったし、男を寄せ付けないというか、隙がなくなったわね。……杉原さんの言うように、本当に切ない」
「……そうですね」
まさか、仁奈にそんな過去があるとは思わなかった。だがこれで、彼女が人と距離を置いていることも、地味で目立たないようにしていることもよくわかった。
「さ! そろそろ戻りましょうか。あ、一応この話は杉原さんの胸の内にしまっておいてね。皆知ってることなんだけど」
「もちろんです」
「うん。それじゃ、お昼までもう一息頑張りましょう」
「はい!」
菜花は安藤とともに休憩スペースを後にする。
この話は胸の内に。しかし、その約束は守れない。
何故なら、どんなに些細で、また監察対象とは関係のない内容であったとしても、金桝への報告は必須なのだ。
何がどう繋がるかわからない。この会社で得た情報は、全てS.P.Y.で共有する、それがルールだった。
ごめんなさい、と心の中で安藤に謝り、菜花は仕事の続きをしに書庫に戻ったのだった。
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