5.無茶ぶり

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5.無茶ぶり

 午後からの仕事も、書庫にこもってひたすら書類整理だ。細かい作業は苦手ではないが、目を酷使するので疲れも溜まる。  菜花はぎゅっと目を瞑り、ゆるゆると開けた。目の前の書類の文字が若干ぼやける。 「これだけ大量の書類をいちいちチェックして、全部にハンコ押さなきゃいけないなんて、それだけで一日が終わりそう」  支払い申請書類の束の量といったら凄まじい。  今は電子化が進んでいるようだが、それまでは紙での処理が主だった。  取引先によっては、今も紙だという。新しいシステムに対応できない、もしくはしたくない、そういった会社も残念ながらまだまだある。システムだけで処理できれば、こんないちいち押印する手間も省け、便利なのに。 「文字とかもそうだけど、ハンコの押し方でも性格って出るものなんだなぁ」  ほとんどの書類には、担当者、補佐、部長という欄にそれぞれ押印がされているのだが、スタンプ印とはいえ、並びはバラバラだ。  菜花が今見ている書類では、部長の小金沢がまだ補佐で、補佐の横山が担当者の頃なのだが、この二人も面白いほど違う。  小金沢はどちらかというと雑な感じで、印の向きがあちこちに曲がっていた。しかし、横山のものは真っ直ぐに押印されている。  横山は几帳面というイメージだったが、こんなところにも表れていた。どれを見ても向きが揃っていて、逆に驚かされる。 「偶には曲がっちゃったりもすると思うんだけどなぁ」  そう呟いてしまうほど、横山の押印はどれも真っ直ぐで曲がったものは見当たらない。言い方は悪いが、まるでロボットのようだ。  部長欄には菜花の知らない名前が押されていたが、彼か彼女か、その印も真っ直ぐだったり曲がっていたりと一律ではない。だが、むしろこれが普通だろう。 「忙しいのに、一つ一つ丁寧に仕事しているんだろうなぁ。すごいな、横山さん」  菜花は感心しながら書類を仕分けていく。その時、貸与されているパソコンが小さな音を立てた。  メールや社内チャットが届くと音が鳴るように設定している。鳴らさないことも可能だが、作業に夢中になって大切なメールや急ぎのチャットを見逃さないためにだ。今回は、チャットだった。 『お疲れ様です。総務の佐野です。おつかいを頼みたいんだけど、大丈夫ですか?』  菜花はすぐさまキーボードを叩いて返事をする。 『はい、大丈夫ですよ。急ぎですか?』 『ありがとう! 今みんなバタバタしてて出られないの。ごめんなさい。取引先への手土産を買ってきてほしいんだけど、夜の接待だから18時くらいまでに買ってきてもらえば間に合います。買ってくるものと買いに行く場所だけど、プリントアウトしたものを渡すので、行く時に総務に寄ってもらえますか?』 『わかりました。ちょうど気分転換したいと思っていたので、今からそちらに行きますね』 『ありがとう、助かります! 横山さんにはもう了解取ってあるから』 『ありがとうございます』  先に話を通してくれているのはありがたい。  菜花は席を立ち、上半身を軽く動かして伸びをする。 「それじゃ、行きますか」  財布やスマートフォンなど必要なものを小さな手提げバッグに入れ、菜花は書庫を出て総務部へと向かった。
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