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「ぼんやりしてると危ないよ」
穏やかな声が頭上から降ってくる。
菜花が顔を上げると、テレビもしくは雑誌、はたまた漫画の中から抜け出てきたような、完璧な美青年がそこにいた。彼は菜花を見つめ、優しく微笑んでいる。
「ぎゃあっ!」
「うわぁ、これで二回目だ。僕、そんなに怖い顔してる? 前も叫ばれたから、今回は怖がらせちゃいけないと思って、笑顔のつもりだったんだけど」
眉間に皺を寄せながら考え込む美青年は、金桝だった。
菜花が初めてS.P.Y.を訪れた時、一番最初に目に飛び込んできたのが金桝の顔だった。しかもかなり間近で。金桝が様子を窺おうと顔を近づけた瞬間、菜花が目覚めたのだ。そして、菜花は叫んだ。
……残念ながら、声にはならなかったのだが。
しかし、その声にならない菜花の叫びは、金桝に届いていた。
「ちちちち、違うんですっ! 金桝さんの顔が怖いとか、そういうんじゃなくて……」
美形すぎて、心臓が口から出そうなくらいびっくりするんです!
と心の中で叫ぶ。
これもある種、恐怖なのかもしれない。美形というのは、遠目から眺めているくらいでちょうどいい。それが癒しであり、目の保養だ。
そんなことをしみじみと思いながら、ハッとした。人にぶつかっておきながら、まだ謝ってもいない。
菜花は、大慌てで頭を下げた。
「すっ、すみませんでした! 勝手にぶつかっておきながら、私っ」
「いやいや、大丈夫だよ。菜花君がふらふら歩いているのが目に入ったものだから、どうしたのかと思ってね」
「金桝さん……」
すると、金桝は少し不機嫌な顔になり、独り言のように呟く。
「うーん、ペナルティーでも付けた方がいいのかな?」
「はい?」
菜花が首を傾げると、金桝は自分への呼び方について指摘した。
「あ……」
「僕、苗字で呼ばれるのはあんまり好きじゃないって言ったよね? 最初はしょうがないかと思って目を瞑ってたけど、もうそろそろ名前で呼んでくれてもよくない?」
「うっ」
金桝からは初日にそう言われたのだが、目上の人を名前で呼ぶことに全く免疫がない菜花にとって、それはかなりハードルの高いことだった。なので、金桝の名前は極力出さないように注意していたのだ。しかし、ついうっかり出てしまった。
「僕の名前、憶えてる? 「惇」だよ。はい、呼んでみて!」
「ひぃ……」
上司から無理やり名前を呼べと迫られるのは、セクハラにはなりませんか? ……いや、パワハラ?
そんな気持ちで金桝をそろりと窺うと、彼は大きな溜息をつき、肩を竦める。
「上目遣いでうるうるされちゃうと、何かイケナイ気分になるなぁ。ま、いいや。これからは気を付けるように。で!」
グイと顔を近づけられ、菜花はまた叫びそうになる。が、今度は堪えた。
「菜花君」
「はいっ」
近い近いと思いながらも、ありったけの精神力で、間近に迫る金桝の顔に耐える。
金桝は二ッと悪戯っぽい笑みを浮かべ、菜花の手を取った。
「かき氷を食べよう!」
「へ?」
「この先の大通りに、かき氷屋さんがあるの知ってる? 先月オープンしたばかりみたいなんだけど、すごく美味しそうだし、食べに行こうよ!」
「えっと、あの?」
「大丈夫、僕の奢りだから! いやぁ、まだまだ暑いよねぇ。かき氷でひんやりしたいよねぇ!」
菜花はさっぱり訳がわからないまま金桝のペースに巻き込まれ、そのまま大通りへ連れて行かれてしまった。
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