7.接近

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「はい、なんでしょう?」  菜花は席を立ち、出入口の方へ向かう。そこには、横山の他に仁奈もいた。 「杉原さんが頑張ってくれているおかげで、書類もかなり片付いてきたね。本当に助かっているよ」 「いえ、これがお仕事ですので……」  恐縮しながらそう答えると、横山は少し申し訳なさそうに眉を下げる。  あれ、と思う。悪い知らせ? もしかしてクビ? などと様々な考えが頭を過る。 「しっかり仕事してくれる杉原さんを見込んで、お願いがあるんだ。実は、今月は請求がかなり多くて、高橋さん一人では厳しいんだよ。だから、杉原さんにも少し手伝ってもらえないかと思うんだけど……いいかな?」  想像していたこととは全く違ったので、一瞬きょとんとしてしまった。  仁奈の手伝い、それは請求処理ということだろうか。  システムへの入力だけなら、特別な知識はいらないので菜花でもできる。だが責任重大だ。派遣社員の菜花にやらせていいのだろうか。  それがそのまま顔に出ていたのだろう、横山は表情を和らげた。 「他の人も自分たちの業務があるし、それに、高橋さんから杉原さんは真面目でよくやってくれていると聞いているからね。だったら、杉原さんに任せてもいいんじゃないかと思って。部長にも了承は得ているよ」 「あ……そ、そうだったんですね。えっと、あの……ありがとうございます」  思いがけないことで、スラスラと言葉が出てこない。つっかえながら礼を言うと、仁奈が優しく微笑んだ。 「杉原さんには請求システムの入力をお願いしたいの。システムはここのパソコンにも入っているし、杉原さんにも権限を付与してもらったからすぐに使えるわ。もし手伝ってもらえるなら、いろいろ説明させてもらいたいんだけど……大丈夫?」 「はい、もちろん大丈夫です。よろしくお願いします!」  何か手伝えたらと思っていたのだ。断る理由がない。  菜花の言葉に、仁奈はよかったと嬉しそうに笑った。 「それじゃ高橋さん、後は任せるから。杉原さん、受けてくれてありがとう。よろしく頼むね」 「はい!」  横山は部署に戻り、仁奈はそのまま残る。  彼女は支払い依頼書の束と、薄いファイルを持参していた。菜花にメモが書かれた付箋を渡すと、菜花が使っているパソコンを操作し始める。 「早速説明させてもらうわね。請求システムはこのアイコンをクリックすれば立ち上がるから、付箋に書かれているIDとパスワードを入力して……」 「は、はいっ、ちょっと待ってもらえますか? メモを取りたいので」  菜花は引き出しから小さなノートを取り出し、急いで新しいページを開く。仁奈は菜花の準備が整ったことを確認し、説明を再開した。  相変わらず仁奈の説明は丁寧だ。ところところでこちらが理解しているかどうかも確認してくれるので、置いていかれることもない。  それに、基本的には仁奈の持ってきた薄いファイル、これが請求システムのマニュアルだったのだが、それを見ながらで進めていけそうだった。 「支払い依頼書に書かれていることを転記するってイメージだけど、システムの違うところに入力しちゃうとやり直しになるから気をつけて。あと、請求元と金額は特にしっかりと確認しながら入力するように。入力が終わったら一覧でも確認できるから、ここでもチェックしてもらえるとより確実だと思う。スピードは求めないから、ゆっくり、正確にを心がけてもらえると助かるわ」 「はい、わかりました」  一覧には、すでに仁奈が入力した内容が表示されている。かなりの数だ。 「今は私が入力したものが表示されているけど、担当者のところを杉原さんにしたら、絞り込みできるようになってるから。……何かわからないことはある?」  丁寧な説明と詳細なマニュアル、何の不足もなかった。菜花は大丈夫だと答える。 「それじゃ、ひとまずこれを置いていくわね。これが終わったら、チャットで知らせてもらえる? 定時までに終わりそうになかったら、それも連絡して」 「わかりました。頑張ります!」 「ありがとう。よろしくお願いします」  仁奈はそう言って、書庫を後にした。  仁奈から渡された依頼書の束は、それなりにある。でも、無茶な量ではない。定時に退社できるよう調整されている。 「優しいなぁ、高橋さん。よし、頑張ろう!」  少しでも仁奈の助けになれるのなら、と菜花は気合を入れる。  急がずゆっくり正確に。でも、できるだけ早く終わらせられるように。  菜花は一件目の依頼書を手に取り、システムと向き合う。そして、何度も確認しながら慎重に入力していった。
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