8.雑談か密談か

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 この会話の内容から察するに、仁奈は支払い処理の仕事から外れるようだ。そして、今後その仕事は派遣が行う。今は菜花になるが、菜花がここを去った後も、新しい派遣社員がそれを担当するということだろう。  それ自体は別に不自然ではないが、「その方が安全」と言っていた。この意味がどうにも不可解だ。そして、そう言っていたのは横山だった。また、請求資料を整理整頓している菜花にその仕事をさせても大丈夫なのかと心配していた人物は、水無瀬だった。  経理部の横山と営業部の水無瀬、接点がないとは言わないが、二人きりで話す内容としてはどこかおかしい。  どうして横山は経理部の業務分担の話を水無瀬にし、水無瀬がそれに対して意見しているのか。また、派遣は雇用期間が調整できるので安全と言っている。これも意味がわからない。 「システム入力を長く担当させたくないってこと……?」  それは何故なのか。そして、どうしてこの二人がそんな話をするのか。  心臓がバクバクと暴れている。聞いてはいけない話を聞いてしまった気がする。 「……と、とりあえず、これを終わらせなくちゃ」  動揺する気持ちを必死に抑えつつ、菜花は支払い依頼書を次々と処理していった。  コン、コン、ピーガチャッ。  書庫に響き渡るノックの音とロック解除の音に、菜花は飛び上がりそうになる。 「ヒッ」 「杉原さん? まだ仕事してるの?」  その声は横山だ。休憩室を出たらしい。 「は、はいっ! もう少しで終わりそうなので、高橋さんにもお願いしてやらせていただいてます」  コツコツという足音にビクつく。  菜花がここで二人の話を盗み聞きしていたことなど気付くはずもないだろうが、やましい気持ちがあるこちらとしては、気が気ではない。 「お疲れ様。あまり無理しないようにね。もう遅い時間だし、そろそろ帰った方がいいよ」  ラックの影から横山の顔が出てくる。いつものように穏やかな笑みを湛えたその顔が、今の菜花には不穏に映る。だが、それを彼に悟らせてはいけない。  菜花は懸命に笑顔を作り、素直に頷いた。 「はい、ありがとうございます! あと五件で終わりなので、それだけやっちゃいます」 「そうか、ありがとう。よろしく頼むね」 「はい」  横山はニコニコと微笑みながら去っていく。その後ろ姿が見えなくなるまで、菜花は緊張しながら見送った。  バタンと扉の閉まる音とほぼ同時に、大きく息を吐き出す。 「はぁ~~~っ」  まだ心臓がドキドキしている。 「早く帰りたい……」  まだよく意味はわからないが、彼らの話がただの雑談とは思えなかった。さっさと残りを片付けて退社し、この件を金桝と結翔に報告しなければいけない。  菜花は騒ぐ心を落ち着けながら、できるだけスピードを上げて依頼書を処理していく。  それでも、これまでより少し時間がかかってしまったのは仕方がない。落ち着こうとすればするほど、どうしても震える指を抑えることができなかったのだから。
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