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事務所内はしばらく誰もいなかったせいで、蒸していた。結翔が文句を言いながらエアコンをつける。
「もうそろそろ涼しくなってもいい頃だと思うんだけどなぁ。ったく、いつまで暑いんだろ。俺、暑いの苦手」
涼しくなるまでは、冷たい飲み物でも飲んで涼むしかない。菜花は給湯室に向かい、三人分のアイスコーヒーを用意した。
金桝と結翔はミーティングスペースにいたので、三つのグラスをテーブルに置き、菜花も二人に倣ってそこに腰かけた。
「菜花君、ありがとう」
「いえいえ」
「ふぅーっ! 生き返る~」
金桝はまずお礼を言ってから口をつけるのに対し、結翔はすでに半分くらいまで一気飲みしている。
菜花は苦笑いを浮かべながら、グラスを傾けた。氷がカランと音を立て、ひんやりとしたコーヒーが喉を通っていく。
訳がわからないままここへ連れてこられたが、菜花は内心ホッとしていた。
書庫で横山と水無瀬の話を聞いてしまってからは、平静を保つのに必死で、心身ともに緊張していた。とにかく早く二人に会って話したかったので、本当によかったとしみじみする。
この際、GPSアプリの件は目を瞑ろうと思った。いつもいる場所を把握されるのもどうかと思うが、残念なことに、把握されたところで特に困らないことに気付いたのである。
「さて。菜花君が何か話したそうにしているし、まずはそれを聞こうか」
一息ついた後、金桝が話を振ってくる。菜花は待ってましたとばかりに、書庫で聞いてしまった話を二人に報告した。
「なんかあるよね」
「ありそうだね」
二人の意見は一致した。やはり、ただの雑談ではなかったのだ。
「あの、これってどういうことだと思いますか?」
話を聞いて、二人はどういう風に捉えたのだろうか。それが聞きたかった。
金桝は曖昧に微笑んでいるだけなので、結翔が先に口を開く。
「菜花の言うとおり、請求システムを同じ人間に長く使わせたくないんだと思う。じゃあ今まではなんだよって話だけど、単純に言うと都合が悪くなった、または、なりそうだってとこじゃないかな」
「都合が悪い?」
仁奈がこれからも担当していくことは、不都合だというのだろうか。それがよくわからない。
しかし、金桝が後を続けたことで、結翔の言わんとすることを理解した。
「システムに入力する人間は、誰よりも一番長く請求書に向き合うことになる。内容や金額、入金先を何度も確認するからね。請求書は大量にあるだろうけど、毎月決まって取引のある会社、その請求金額、それらが担当者の記憶に残ると困る人間がいるのかもしれない」
「惇さん! それ、今言おうとしてたのに!」
「あははは、ごめんごめん」
ぷりぷりする結翔の肩を軽く叩きながら、金桝が笑う。そんな二人を眺めながら、菜花は大きく頷いた。
そうだ、水無瀬が懸念していたではないか。過去の経理書類をまとめている菜花が入力をして大丈夫なのかと。
例えば、取引先のA社の請求が毎月十万あったとする。それを覚えていた菜花が実際にA社の請求処理をした時、請求書には十五万とあった。いつも十万なのに、今回は十五万、それは何故? といった具合に、金額の差異に気付く。それが困るのだ。
だが、考え直す。以前と今とで請求金額が変わったところで、それほどおかしなことだろうか。それに、菜花が気付いたところで、今月は多く発注した、とでも言われたらすぐに納得するだろう。
「もし、以前と今とで請求金額に差異があったとしても、請求書にそう記載されていれば問題なくないですか?」
菜花が二人にそう尋ねると、二人とも示しを合わせたように同じ顔をした。
ニヤリ、と口角を上げたのだ。
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