10.分岐点

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10.分岐点

 今日は仕事が終わり次第、S.P.Y.に集まって定期報告をすることになっていた。  しかし結翔は、駅前にある安さと速さがウリの居酒屋で、焼き鳥の櫛を弄っていた。 「吉良~、呑んでるかぁ?」 「呑んでますよ。それより、片倉さんは呑みすぎですって」 「いいんだよぉ、明日は休みだろぉ?」  すっかりベロベロ状態である。この分だと、家まで送っていく羽目になりそうだ。結翔は目の前の先輩に見つからないよう、こっそり溜息をついた。  今日は取引先を回って、そのまま直帰することになった。時間的には終業までまだ時間はあったが、水無瀬から直帰するようにと言われた。  S.P.Y.に行くまでには時間がありすぎる。駅の電光掲示板を眺めながら、これからどうやって時間を潰そうか考えていると、偶然近くの取引先を回っていた営業一課の先輩が、結翔に声をかけてきたのだ。  彼は水無瀬の一年上の先輩で、片倉という。片倉も一課ではやり手と言われているが、水無瀬がいるせいで霞んでしまっている感が否めない。  基本的には陽気で、後輩の面倒見もいい。ただ、酒が入ると少々難があった。普段は無理やり抑え込んでいる諸々が溢れ出してくるのか、酒が深くなるとやたらと絡んでくるのだ。  ただ、その分口が軽くなる。結翔はこのことを知ってから、機会があれば二人で飲みに行き、情報を取りたいと思っていた。なので、この偶然を利用して片倉を飲みに誘ったのだ。片倉は結翔の話に即座に乗ってきて、二人は移動に楽な駅前の居酒屋へ足を運んだのだった。  片倉は食べ物もそこそこに、最初から飛ばし気味で飲んでいた。そのせいか、酔うのも早かった。結翔としては願ったり叶ったりだったが、後の面倒については想定外だった。  この分だと、定期報告には遅れそうだ。結翔は手洗いに立つついでに、金桝に一報を入れた。 「ったくよぉ、水無瀬がいるせいで、俺はいつもなぁ~……」 「片倉先輩だって、契約件数すごいじゃないですか。俺、尊敬してますよ」 「吉良はいい奴だなぁ! 水無瀬なんかさ、今でこそ欠点がない完璧なリーマンかもしれないけど、昔は違ったんだからな!」 「あぁ、女性関係が派手だったそうですね。専務のお嬢さんと婚約するまで、社内の女の人とも何人か付き合っていたって」 「そうそうそう!」 「そんなの、普通は拗れそうですけどね。男女の関係が終わっても、その後に普通に付き合えてるとこがすごいですよね。俺だったら、そんな器用なことできないですよ」 「それ! そうなんだよなぁ。ったく、顔がいい上に口も上手いってどうなんだよ。散々社内の綺麗どころを食い散らかしたくせに、最後は専務の娘と婚約とか、ムカつく!」  結翔は苦笑しながら、片倉のグラスを水のものとこっそり交換する。  思った以上に水無瀬に対して溜め込んでいるものがありそうだ。  営業部の人間は皆、水無瀬を認めているし、それなりに敬意も払っている。だが、それだけであるはずはなかった。  営業部は他よりも厳しい成果主義だし、部内の人間は常に競争意識を持って仕事に取り組んでいる。水無瀬をライバル視し、隙あらばトップを奪い取ってやろうという輩も多い。そしてその筆頭が、この片倉だった。なにせ彼は、水無瀬が入ってくるまではトップの座に君臨していたのだから。 「あ、そういやさ! 水無瀬といえばあいつ、高橋さんにひでぇことしたの、知ってる?」 「えっ!?」  結翔が目を丸くしたのに気をよくしたのか、片倉は得意げに胸を反らす。 「水無瀬さんがですか?」 「そうだよ。そのせいで、高橋さんと水無瀬って、いまだにぎくしゃくしてるんだよな」 「そういえば、社内の女性全員と仲良しなのに、高橋さんとだけは距離がある気がしてたんです」 「だろーっ?」  片倉は上機嫌でグラスの液体を煽り、ぷはーっと大袈裟に息を吐く。「この酒、うまいな!」などと言いながら身を屈め、結翔にもそうするように促した。  水と酒の違いもわからなくなっている片倉に呆れながらも、結翔は言われたとおりに上半身を屈める。  片倉は声を潜め、結翔に水無瀬の過去を話し始めた。  水無瀬はその頃、社内のとある女性との交際が終了したばかりだった。彼女が他の男に心を移したのだ。しかしそれは、水無瀬があらかじめそう仕組んだことだった。他の者はともかく、水無瀬をことさらライバル視し、一挙手一投足に注意を払っていた片倉は、それに気付いていた。  水無瀬がその女性と別れた理由はたった一つ、別の女性に心を奪われたからだった。その女性というのが、高橋仁奈だったのだ。
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