オマケ 静かなる食卓

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オマケ 静かなる食卓

 その日、東堂家の食卓は静まりかえっていた。まさに、針が落ちる音さえも響きわたる。  異様な緊張感がただよっていた。  不穏な気配を感じたのか、愛猫のミャーコもどこかへ姿を消した。いつもなら、おかずの肉や魚をねだって、ゴロゴロすりよってくるというのに。  この食卓はなぜ、静かなのか?  それが問題だ。  * 「……」 「……」 「……」 「……」  僕らはおたがいをよこ目でながめる。どの顔も微妙にまぬけ。  だが、負けるわけにはいかない。ひと声、笑っただけでも、それは敗北を意味するのだ。  ちなみに、僕らってのは、僕、兄の猛、同居人の蘭さん、大阪からわざわざ、このためにやってきた友達の三村くんだ。なんで、うちに? 家族とやればいいんじゃない? 本場なんだしさ。  まあいい。とにかく、早く食べてしまわないと。  もぐもぐ。もぐもぐもぐ。  縁側に一列ならんで、ただ無言で食う僕ら。  早く食べないと、絶対、猛が笑わせにかかってくる。  だが、見ると、兄はすでに半分以上を食っていた。  やっぱり早い。イケメンだが大口。ビッグマウスの美青年。それが猛。さらに言えば、食いしん坊。  対する僕は、まだ四分の一だ。あんまり太いと食べるときの苦行が増すと思って、細めに作ったんだけどな。カンピョウがかたい。なかなか噛みきれない。こんなことなら、カンピョウのかわりににしとくんだったか? でも味のバランスってものがある。 「……」 「……」 「……」 「……おかわり」  なっ! 嘘だろ? さっき見たとき、まだ半分は残ってたじゃん? いつのまに食いきったんだよ? 一瞬の魔法。猛マジック。  そんなの自分でとってこいよ——と言ってやりたいんだけど、まだ僕は沈黙の行の最中だ。しょうがなく立ちあがり、慎重にあとずさる。そう。体のむきは変えられない。縁側に対して、ややななめ。これが今年のベストポジションだ。  そのままの姿勢をたもちつつ、片手をうしろにまわして、むかいのキッチンに入る。こんなことなら、最初から予備も居間に運んどくんだった。テーブルをまわりこんで、どうにか皿をつかむと、もとの部屋に戻る。なにしろ、つねに片手がふさがってるから不便のなんのって。 (ほらよ。食いたきゃ、食え!)  無言でさしだす皿を見て、わが兄はニッコリ笑った。予備は二本。酢飯作りすぎた。ただし、具材は七つもない。高いウナギやエビを余分に買ってなかったからだ。七福神マイナス二。しかし、兄は食えればかまわない派。 「……」 「……」 「……」 「……」  もぐもぐ。もぐもぐ。もぐ……と、そのときだ。とつぜん、三村くんのようすがおかしくなった。ジタバタして、胸をドンドンたたく。 「……! ……!」  無言で何かを訴えてる。  あの中途半端な半円の手つきは……そうか! 湯呑みだ。お茶、または水を求めてる。喉につまったんだな。  僕はクルリときびすを返すと、あわててキッチンへ走る。方角は……このさい、しょうがない。三村くんが死んじゃう! それに咀嚼(そしゃく)を止めれば、そのあいだは方向転換しても問題ないはずだ。  僕は片手で、まだ半分残ったものを支えながら、キッチンにとびこんだ。お茶、お茶……いや、こんなときは水道水でもいい。とにかく、急げ、僕!  なみなみと水をそそいだコップを持って、居間にとびこむ。三村くんは首を左右にふって悶え苦しみつつも、声は出さなかった。なんて執念だ。そんなに儲かりたいのか?  ゴクゴクゴク……。  コップの水を飲みほすと、三村くんのようすが落ちつく。 「ぷはー。死ぬかと思うたわ」 (あっ!)  しゃべった。静寂がやぶられた。  三村くんは青ざめ、そののち、ガックリと縁側にひざをつく。  僕と蘭さんは敗者を哀れみつつ、それぞれの長さを計る。僕のほうがちょっと早いな。残り三分の一。もうじき、この苦しい沈黙から解放される。頼むから、猛。笑わかせないでよね。 「……」 「……」 「……おかわり」  ま、まさか! またか?  猛をチラ見すると、たしかにヤツの手にはがない。わずかに口をモグモグ動かすところに名残があるだけだ。  てかさ。そこにあるんだから、勝手に食べてよ——と言おうとして、僕はあわてふためいた。あやうく、猛の誘いにのるところだった。沈黙。沈黙。沈黙、と。  ドン、と兄の前に、残り一本の皿を置く。 「……」 「……」 「……」  もぐもぐ。もぐ。もぐもぐもぐもぐ……ゴックン。 「やったー! 食べおわったー!」 「おれ、しゃべってもうたやんか」 「僕も終わりました」 「うまかった。かーくん。おかわりないの?」 「ないよ! 兄ちゃん、一人で三本食ったくせに」  ようやく沈黙の行からぬけだした僕らは、いっせいにわめきちらす。  本日は二月三日。  今年の恵方は南南東なり。  *  恵方巻き  二月三日の節分に商売繁盛、福運を願い、その年の恵方をむきながら、無言でかぶりつく太巻き。切らずに一本まるごと食べきる。具材は七福神にちなんで七種。大阪が発祥地。  了
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