第1章 それは終わりから始まった 

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11.パウラ、少しは敏感になる  臭いでバレるからと、パウラは少年を風呂に入れた。  随分長く身だしなみに気を使えなかったのか、ひどい臭いがしていたからだ。  刃物の類いはすべて片付けるように、メイジーに言ってある。パウラ付メイドのメイジーには、絶対の信頼があった。彼女であれば、けして口外はしない。  だから少年の世話も安心して任せた。さすがにパウラ自身で彼の入浴を手伝うのは、やめた方がいいと思ったから。  白虎族の長を、族長と呼ぶ。  けれどそれは黄金竜を敬うこちらの使う呼称で、白虎族の長ならば「王」と呼ばれるのが普通だと思う。だからこの少年もきっと王子。故郷では王族としての扱いを受けているだろう。  その彼が、パウラに身体を触れさせたがるとは思えない。  パウラの瞳は緑だ。それは黄金竜により近い身の証で、彼にとっては憎むべき敵の血の証でもあるはずだから。   (ここは任せておくべきよね)  自分に言い聞かせて、少年の着替えを待つ。  父は約束どおり、見て見ぬフリをするつもりらしく、居間の長椅子で本を読んでいた。 「姫様」  メイジーが抑えた声で知らせる。  すっかり綺麗に整えられた王族の少年が、目の前に立っていた。 「わたくしはヘルムダールの公女パウラ。あちらで本を読んでいるのは、父よ」  威嚇こそしてこないけれど、サファイアブルーの瞳に警戒中のランプがちかちか点滅している。 「あなたは白虎の王族ですわね?」  ピクりと、彼の頬が動く。  白いまつ毛に縁どられた瞳を見開くようにして、パウラをじっと見る。 「そ……うだ」 「なぜこんなところにいたか、聞いてもいい?」  瞬間、少年は顔を歪めて声を荒らげた。 「バカか、おまえは! オレがこんなとこに、あんなザマでいるわけなんて決まってんだろう。捕まったんだよ、アイツらに」  その後渋る彼をなだめすかして、なんとか聞き出した経緯を要約すると、一人でお忍び道中に出た挙げ句、正体がバレてゲルラの兵に捕まったんだそうだ。  バカかと、さっきパウラにかみついた彼に、「あなたこそね」と言ってやりたい。  一人で故郷を出る?  無鉄砲にもほどがある。 「それでわかりましたわ。あなたの国から、あなたを返せと言ってきてるんでしょうね。多分、あまり優しくない言い方で」  パウラはため息をついた。  ゲルラ公家が今、このタイミングで、自らすすんで白虎族と諍を起こすとは思えない。  明日には火竜の祭典を控えている。公国の威信にかけて、祭典をしくじるなどあってはならないはずだから。  それなのに揉め事、厄介ごとは起きて、大公や公子はその対応に追われている。  すべてこの王子が原因か。 「さっさとオレを逃がせ。オレさえ戻れば、おさまるだろ?」  ふぃっと顔を背けて乱暴に言い放つ彼に、パウラは首を振って見せた。 「ここを出ても、城を出る前にまた捕まるわ。そうしたらわたくし達も困る。恩人に迷惑かけたくないわよね?」  ゲルラの国内事情にヘルムダールが首を突っ込んだと言われるのは、かなりまずい。  かと言って今さら放り出すこともできないから、このまま事がおさまらないようなら、衣装ケースに隠してヘルムダールへ連れて帰ろうか。  ヘルムダールからこっそり、送り返せば良い。  けれどそれでは王子を捕らえた挙げ句、行方不明にしてしまったゲルラの面目はまる潰れになる。  それにヘルムダール経由で王子が帰郷したなどと、いつまでも隠し通せるはずもない。  首を突っ込んだことがバレバレになって、ゲルラの恨みを買うことになるだろう。  う〜ん。なんとか穏便に済ませる方法はないものか。 「聖使様に使いを出そうか。夕食をこちらでご一緒にと」  ここまで黙ったまま本を読んでいた父テオドールが、顔を上げた。 「ナナミに頼もう。メイジー、伝えてきてくれないか」  ナナミを使いに出した後、父テオドールは初めて王子に声をかけた。 「まず君は、名乗らなければね。助けてもらった礼も、済んではいないようだけれど」  銀青色のさらさらの髪に、海の色の瞳。  女性だと言われても通るだろう優しげな美貌の父は、笑っているのか怒っているのかわからない、不思議な微笑を浮かべている。 「それとも君は、礼儀をまるで知らないの? やはり蛮族……というところかな」 「な……んだと?」  王子の白い頬にカッと血が上る。  でもその後すぐにキュッと目を閉じて、パウラの前で膝を折った。  胸に手をあてて頭を下げる。 「オレはアルカラスの第一王子、ヴィート・デ・アルカラス。世話になった。礼を言う」 「ヴィートと呼んで良い?」  誇り高い白虎の王族ではあるが、「様」をつけるには抵抗があった。  蛮族だからではない。おマヌケでアホすぎる王子に、様は似合わない。 「じゃあオレは、パウラと呼ぶ。それならいい。ヴィートと呼べよ」  サファイアブルーの目元が、紅く染まっている。  やや早口に投げ出すように応えて、ぷいとヴィートは顔を背けた。 (あ、これはキたわ)  パウラにでもわかる。ヴィートは、パウラを悪く思っていない。  この反応、こういう素直な反応はセスランには望めない。  けどわかりやすい反応なら気づくようになっているんだから、前世よりは人の気持ちの機微に明るくなっている。   (前世の人生経験も無駄ではなかったわ)    パウラは自分をちょっと褒めてやりたい。    父が晩餐を遠慮したので、急遽部屋に夕食のテーブルが用意された。いったい何人が食べるのだと言いたくなるほどの品数が、急ごしらえのテーブルの上にずらりと並べられている。  出迎えもしなかった無礼のお詫びだと、ゲルラ大公からの伝言が添えられた花束とチョコレートも。   「聖使様、おいでになりました」  扉の向こうで、先触れの声がする。  パウラと父は腰を落とした最敬礼の姿勢を作り、入ってくる人を待つ。 「聖使様にはわざわざお運びいただき、お礼を申し上げます」  パウラが定型の文句で出迎えると、下げた頭の上で空気が変わる。  薄い氷にヒビが入るような音が、聞こえたような。  気のせいか。 「セスラン。そう呼んで欲しいと言ったはずだが?」  そこにこだわるか。  なんと言われても、ヘルムダールの公女としては、最初の最初からフレンドリーにくだけては、ダメだろう。  相手が望むのならくだけた方が良い場合もあるけど、最初からはない。  礼儀作法に厳しいセスランに、それがわからないはずはないのに。  うかがうように見上げると、触れんばかりの間近に翡翠の瞳があった。 「私に頼みがあるのだろう? ならば先に、パウラが私の願いをかなえなくては」  下心は、しっかり見透かされていた。
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