第1章 それは終わりから始まった 

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12.パウラ、困惑する  頼みがあるのだろうと言われて、パウラは素直に頷いた。  まあ気がつくだろうなと思う。  セスランからの夕食のお誘いに、それならばこちらでご一緒くださいと、パウラの部屋へ来てもらったのだ。  聖使の部屋とパウラの部屋では、格が違う。わざわざ格下のこちらへ呼ぶのには、何かあると思うのが自然だろう。 「正直に申し上げます。どうしてもお助けいただきたいことがあって」  眉を下げたから、困った顔になっているはず。表情を意のままに作るには、毎日の訓練がかかせない。  前世のパウラは、生真面目過ぎて冷たい印象を与えがちであったようだ。  これは今回の生では、いかにもまずい改善すべき点だと思う。  だから6才のリスタートを切ったあの日から、毎日鏡にむかって百面相の訓練をしている。柔術の稽古と同じで、さぼったことはない。  さてここからが大事。  4聖使は、竜の司る力をあまねく公平に分配し、世界の調和を見守るのが本来の役割である。  つまりあまりにも現実的で生々しい国家間の抗争に、関わることを良しとしない。それに関わってくださいと、まあ今回のお願いはそういうことだから。  すんなりとはいかないだろう。そう身構えていると。 「良いだろう。パウラの頼みならどんなことでもかなえよう」  え?  まだ頼みごとの中身、言ってません。 「セスラン様、今なんて……」  セスラン呼びは、外せない。ここで機嫌を損ねては大変だから、そこは押さえた。  だが聞き直したいのは、本当だった。  かなえようと、そう言った? 「かなえると言った」  てろりと艶のある深い緑の瞳は、滅多に見ることのない最高級の翡翠の色で、それがまっすぐにパウラを見つめる。 「あの……、わたくしまだ詳しくお話ししておりませんわ」  つっかえつっかえ本気かと聞き返すと、見事な赤毛を揺らして首を振る。 「パウラの頼みであれば、私はかなえる。どんなことでもだ。だから気にせずとも良い。詳細を話せ」  よく響く甘いテノールが、安心して良いのだとパウラを促した。  ふわりと包み込むように微笑んでくれるセスランの表情に戸惑うけれど、それでも今はセスランに頼るしかないのだ。  かなえると言ってくれたその言葉を、信じることにする。 「ヴィート、こっちへ来て」  次の間に隠れていた白虎の王子が姿を現すと、セスランはほんの少しだけ、その形の良い眉を寄せた。 「白虎のオスか」  その言い方はないと抗議したいところだが、機嫌を損ねてはならない。  ぐっと飲み込んで、パウラは頷く。 「アルカラスの王子ヴィートです。セスラン様」 「この騒動の元凶か」  翡翠の瞳が冷ややかにヴィートに向けられる。 「つまりこれを無事に返すように、そう命じれば良いのだな」  話が早い。  セスランは、さっさと結論を提示してみせた。  火竜の聖使セスランの命であれば、ゲルラ大公といえども従わざるをえない。そしてセスランの命であったと言えば、いわゆる鶴の一声というやつだ。簡単にヴィートを解放してもゲルラの面目は損なわれない。 「わかった。すぐに済ませてこよう」  やわらかい微笑をパウラに向けると、すいと立ち上がる。 「あの……、セスラン様」    食事にお招きしたのに、何も手をつけさせずそのまま帰すのでは、いくらなんでも礼を失している。何かお勧めするべきなのだろうけど。  一方でこの話の解決は急ぐべきだ。外の空気は一触即発、白虎の騎士が力にものを言わせ始めるのに、そんなに時間はかからないだろう。セスランの対応は早ければ早いほど良い。 「困った顔をするパウラも、愛らしいものだな」  小さな銀色の頭に手を置いて、ゆっくりぽんぽんと上下させる。 「心配せずとも良い。すぐに済ませて、戻ってこよう。そこの……白虎のオスを返すにも、私がいた方が良いのだろう?」  また少し、綺麗な眉を寄せた。  セスランも火竜の血を継ぐゲルラの出だから、白虎族のことはあまり好きではないのかもしれない。  種族間の嫌悪の感情は、パウラが思うよりずっと根深いものなのだろう。  それでも彼は、パウラの願いをきいてくれる。  今生では初めて会ったはずの幼いパウラに、どうしてそこまでしてくれるのか。  わからない。けれど今は突き詰めて考えるのはやめておく。考えてもおそらくわからない。  それよりもヴィートを返すことの方が、優先順位が高い。 「よろしくお願いいたします」  翡翠の瞳を和ませて、パウラだけに微笑みかける。  前世、見たこともない甘い色で思わずどきんとしてしまう。 「すぐに戻る」  厚い黒地のマントを翻すと、綺麗に背筋の伸びた姿勢、大きめのストライドで、セスランは部屋を出て行った。 「パウラは黄金竜の花嫁(オーディアナ)になるのか?」  手つかずの料理がだんだんに冷めてゆくテーブルの端、先ほどから身動きもせず立ったままのヴィートが、唐突に聞いた。  ようやく彼を返す段取りがつきそうでほっとしていたパウラは、綺麗なサファイヤの瞳がじっとこちらに向けられているのにようやく気づいた。 「父上に聞いたことがある。ヘルムダールは黄金竜の花嫁(オーディアナ)を出す家系なんだってな。ならパウラもってことか?」  なる予定なんだけど……。  17才で黄金竜の泉地(エル・アディ)に召喚されるが、それは今生ではまだ先の話である。  8才の今、それを知っているのはおかしい。 「わからないわ。20才までに召喚されなければならないし、召喚されればそうなるかもしれない」  パウラのトーガをとりあえずの着替えにと着せられたヴィートは、慣れない長い衣服の裾をたくし上げて、ずいっとパウラの傍に歩み寄る。 「じゃあ、ならないかもしれないんだな?」  ヴィートの白い頬に、ぽっと赤みがさしている。  わかりやすい。これならパウラにも、ヴィートの言いたいことはなんとなくわかる。 「そしたらオレがもらってやる」  白い肌を真っ赤に染めて、それでもヴィートはまっすぐにパウラをみつめていた。 「白虎の男は妻を大切にする。俺もパウラをこの世で一番大切にしてやるよ」  幼い愛の告白は、前世を通してパウラが初めてもらったプロポーズだった。  なんというか、とても恥ずかしい。照れるものなのだと初めて知った。  パウラも真っ赤になってうつむいていると、それまで沈黙を守っていた父テオドールが冷ややかな声で甘い空気をぶった切った。 「パウラの夫は4公家から迎えることになるよ。それは(いにしえ)の昔に成った、黄金竜オーディとヘルムダールとの約束だからね」  蛮族と呼ばれる白虎族の王子とヘルムダールの姫がどうこうなるなど、父にしてみれば考えられないことだろうから。  けれどパウラの計画どおりいけば、彼女は黄金竜から逃げ切ってヘルムダールへ戻ってこられるはずである。  その時には4公家から夫を迎えることになるのだろうが、もし4公家の男子より竜とは関わりのない一族に惹かれるようなことがあれば、それはそれで黄金竜と交渉してやるくらいの意気はある。  前世、数千年もただただ他人のために生きて、飼殺しの人生を終えた。それを強要された恨みは深い。  竜は生涯に1人だけを愛するものだと、黄金竜(オーディ)は竜后をのみ愛した。  竜妃聖女オーディアナは、世の安寧や調和のために仕事をさせる駒だ。駒の面目をたてるために妃とは呼ばせるものの、お飾りはお飾りで、ただ働くだけの使い捨ての駒であることに違いない。  なんとも身勝手なと、今でも思う。  自分は好きな女を妻にして、その女以外要らない?  それなら一生、その妻に仕事もさせれば良い。イヤな面倒はお飾りの妃にさせておいて、その妃の貞操を縛るとは。  蹴とばしたいくらいのクズ男だ。  だからもし今生でパウラに好きな男性ができたなら、それを素直にあきらめるほど従順ではなくなっている。   「先のことだわ、おとうさま。まだずっと先のこと」  父にこれ以上、何も言って欲しくなかった。  黄金竜(オーディ)に良い感情を持たないパウラには、白虎を蛮族だと嫌う感情もない。けれど父は海の色の瞳を、ぴたりとヴィートにあてて続ける。 「君も白虎の長の身内なら、自分の行動、言葉のひとつひとつが、一族の命運を揺るがしかねないことを知らなくてはね」  それはただ淡々とした、どんな感情も載っていない、冷たく事務的な声。  パウラが初めて聞いた、父の声だった。
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