第1章 それは終わりから始まった 

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13.パウラ、借りを作る  言葉どおり、セスランはすぐに戻ってきた。後ろに控えているのは、おそらくゲルラ大公。  セスランのものよりやや色調の暗い、赤い髪に明るい緑の瞳の青年だ。 「お初にお目にかかる。ヘルムダールのパウラ姫。私はゲルラ大公シルヴェストレ。本日はお迎えにも出ず、大変失礼した。お許しいただきたい」  長い腕を胸に引き寄せて、深々と頭を垂れる。  ヘルムダールは黄金竜に最も近い血を継ぐ家として、4公家より格上だけど、パウラはいまだ当主ではない。だからゲルラの当主が過剰に謙る必要はない。  けれどさすがに昼間の不手際は、詫びざるをえないようだ。  4公家の中で最も気位の高いゲルラの男、しかも大公が、小娘とも言えない幼いパウラに頭を下げるなど、滅多にあることではない。 「ヘルムダール公女パウラでございます。お国の大事と伺っております。大公陛下のご心労、いかばかりかと案じておりました」  腰を落として礼をとるパウラに、大公の緑の瞳が面白そうな表情を浮かべる。  続けて何かを口にしかけるところを、冷えたテノールの声が遮った。 「挨拶は後にせよ。それよりも先に、すべきことがあろう」  セスランは、眉間にシワを寄せている。それもかなり深い縦皺で、何かが気にさわったらしい。  ああ、とパウラは思いつく。  本来なら聖使が関わることのない、世俗の争いに引きずり込まれたのだ。彼にとって面白いはずはない。  パウラの頼みだからと、不承不承関わったのだ。さっさと済ませてしまいたいのだろう。 「御意」  瞬く間に、その表情に謹み深さを上書きして、大公は聖使セスランに頭を垂れる。 「そろそろ白虎の迎えが来る。パウラ姫、ヤツをこちらへ」  パウラがヴィートをかくまったことについては、不問に付すつもりらしい。  大公の淡々とした声に、一切の表情はなかった。  助かったとホッとしながらも、申し訳ないことをしたなと思う。事を穏便に片付ける為であったとはいえ、ゲルラにはゲルラの思いがあるはずだ。なのにセスランを引っ張り出されては従わざるを得ない。少し、いやかなり後ろめたい。 「ヴィート」  名を呼ぶと、緊張した面もちのヴィートがパウラの隣に立った。  唇をしっかり引き結んで、ゲルラ大公を無言で見上げている。 「3日前に捕らえたと聞いたが、間違いないか?」  緑の瞳が、ヴィートを見下ろす。明らかに、パウラに向けたものとは違う色をのせて。 「ああ、そうだ」  ぶつかる視線。  サファイアブルーの瞳も、逸らされることはない。  瞬きもせず、彼にとっての敵を直視し続けている。 「誰か、こやつに着替えを。その後、白虎の迎えに引き渡す」  視線はヴィートに向けたまま、ゲルラ大公は近侍に命じた。  控えていた騎士がヴィートを促して、連れ出そうと肩に手をかけた瞬間。 「オレにさわるな!」  ぴしりと言い放つ声は、それほど大きなものではなかったが、従わざるを得ない怒気と気概が含まれていた。  弾かれたように手を離した騎士の指が触れた肩を、ヴィートは右手でぱんと払う。  そしてパウラの前に出ると、はじめて微笑んだ。 「世話になったな、パウラ」  サファイアブルーの瞳が、少しだけ上からパウラを見下ろしている。 「おまえには、また会いたいと思う。オレが今みてぇなガキじゃなくなって、おまえももう少しオトナの女になったらな。きっと会いに行く」  うわっと、声が出そうになった。  わかりやすい想いをもらって、心の内は動揺しまくりである。  かぁっと頬に血が上る。  困った。なにしろ8+数千年の人生経験はあれど、この手の免疫取得はできていない。  ほんわりとやわらかい温かみに、パウラが微笑みかけた時のこと。 「何をしている。早く連れて行かぬか」  冷えたテノールの声が、辺りの空気を凍らせた。 「御意」  大公近侍の騎士が、ヴィートを促す。 「触れられたくなくば、自分で歩け」  有無を言わせぬ高圧的な調子で命じられると、ヴィートの細い頤がわずかに動く。  かちゃりと騎士の帯剣が鳴る。  革のブーツの靴音が続いて、扉が閉まった。 「わたくしも御前、失礼を」 ゲルラの大公もそれに続くと、静寂が戻った。 「白虎のオスが、それほどに気になるか」  パウラが目を上げると、眉間に深い縦皺(たてじわ)を刻んだセスランの白い顔があった。  白虎族がそれほどに厭わしいのか。  火竜の血を何よりも誇りに思う彼ならば、竜以外を始祖とする一族に寛大ではいられないのだろうが。  それにしても少し狭量すぎやしないか。 (こういうとこなのよ……。正しいと信じたことを疑いもしない。まっすぐすぎるというか、融通がきかないというか)  パウラは内心でため息をつく。  だから前世、エリーヌにやすやすともっていかれたのだろうと、詰りたくなる。  その方面に疎いパウラが見ても、いかにもあからさまなエリーヌの誘いに、簡単にのせられたセスランを思い出す。  それでもこれがセスランだ。  受け容れて、これを前提に攻略するしかない。  エリーヌよりほんの少しだけ好かれること。エリーヌとそういうことをしようと思わない程度には、パウラを気にかけてもらわなくてはならない。  計画的にセスランの心、それもパウラにとって都合のいい程度の心を得ようとしている。  ちくりと胸が痛むが、そんな甘いことを言っていたらまた飼殺しルートである。 「セスラン様、ありがとうございます」  感謝しているのは本当だから、その気持ちを母アデラをまねた微笑とともに伝えると、セスランの翡翠の瞳が甘やかな色に滲む。 「ようやく私を見てくれたか」  まるでダンスを申し込む礼のように、優雅に膝を折ってセスランは跪く。  小さなパウラの視線に合わせる為とわかっていても、心臓がドクンと大きくはね上がった。 「言ったはずだ。パウラの願いなら、なんでも叶えると」  バクバクと、心臓の鼓動がうるさい。  だから免疫がないと、さっきから自覚しまくりなのに。  前世、大人になったパウラでさえ聞いたことのない、甘い艶っぽいテノールは刺激が強過ぎる。  セスランには、幼い外見のパウラが本当に見えているのだろうか。  銀糸の髪に明度の高いエメラルドの瞳。確かにパーツは同じだが、身体の有り様は8才の子供でしかないはずだ。  なのにカゴいっぱいのキャンディのような、この甘さはなぜだ。  まるで、そう。  セスランの目には、成長したパウラが映っているような。  そしてそのパウラを特別なものとして、見ているような。 (ありえない)  即座にばかげた考えを否定する。  気のせいだ。  少しだけ、ほんの少しだけ気になっていたセスランだから、そしてパウラよりエリーヌを選んだ彼だから、それで過剰に反応しているに違いない。  これは多分、トラウマの一種。  冷静になれ、頭を冷やせと、パウラは何度も繰り返す。  それでも赤く染まったままのパウラの顔に、翡翠の瞳が嬉しそうに甘く揺れて。 「これは貸しにさせてもらうぞ」  珍しくからかうような口調で、セスランは微笑んだ。 「次に会う時、返してもらおう。楽しみだ」  これ、本当にセスランか。  前世のヘタレのセスランと、同じ男にはとても思えない。  次に会う時。  おそらくそれは9年後、黄金竜の泉地(エル・アディ)で。  精神修行をもっと厳しくしなくては。  ナナミに訓練メニューを追加してもらおう。  あらためて敵の怖さを知る、パウラだった。
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